つぶやき日記・2

顕彰の意義

 明日は天皇誕生日で祝日。
 平成最後の天皇誕生日ということで、私も、こちらのブログおやすみします………というのは冗談ですが(笑)
 祝日だからじゃないですが、おやすみします(笑)
 年末ですんで、なにかと野暮用がね……(ぶちぶち)

 そのようなわけですので、明後日ですね、日曜日にはお目にかかりたいと思います。m(_ _)m
 
       ●

 毎春、毎秋、叙勲(じょくん)を受ける人々が発表されますが。
 こう言ったらなんですが、国会議員を何十年も務めたなんていうより、こういう人に勲章をあげてほしいよなあ、と思ったりして。(^^ゞ

信号無視した車を猛追 自転車に乗った警官に「すごい脚力」
2017年12月19日 12時24分 livedoorニュース

 違反(信号無視)して捕まった車が(よりにもよって😅)ランボルギーニ、捕まえたお巡りさんがいわゆるママチャリタイプ、ってところがもうなんともいえません(笑)

 この動画では捕まえる瞬間の様子は映っていませんが、ほかの動画で、やはりママチャリのお巡りさんが激走、交通違反の車を停止させて捕まえる動画を見たことがありまして。
 そちらの動画は、撮影者は隣の車線を走っていた車で(映像はドライブレコーダーのようでした)が、おまわりさんに協力する形でちょっと幅寄せしたりしていたようですけども、それにしたってすごい😅
 おまわりさんてふだん、どーゆー訓練してるんだろうと思っちゃいますよね。

 国が、功績のある人を称えて叙勲するというのは結構なことなんですが、でもたまに、——国会議員を何十年とかね……それで叙勲されるの? とちょっと疑問に思うことがないこともない。
 こういったらなんですが国会議員などはもとから国に奉仕するのがお仕事なんで……その仕事の中で顕著な功績があったんならわかるけども、話を聞いていると、まあ長くは務めたけど功績があったかって言われるとどうなの……という例が。
(これ以上言うと角が立つからやめよう・笑)

 もっとこう、世の中の、目立たないところでも、すんごく力強く社会を支えている人っているわけなので、そういう人をもっと顕彰する制度があってもいいと思うんですよねえ……。
 そういう意味では明治時代が意外とそういうことに熱心だったところがありますよね。叙勲とまではいかずとも、お姑さんの介護を非常に熱心に献身的に務めた女性を、大きく取り上げて顕彰したなんて記録は結構ありますし。

 人々をよく治めるのには、悪いことをすれば罰せられ、良いことをすれば賞される、ということを徹底せよとマキャベリも言ってますね。たしかに、人心というのはそういうもんじゃないかな。

 ただ、叙勲——勲章、というのはただ国内での「褒められた」というだけではなく、対外的——外交という場面においてはまた違う意味を持つ。
 なんだかんだ言っても世の中には「格」というものはあるのでして、パスポートだって、その国の政府が、外務大臣名義で「この人、うちのニンゲンなんで、よろしくお願いしますね」と書いてくれてあるから絶大な保証になるわけです。

 勲章というのは外国に行ったときには、「この人は、その国ではどれくらいえらい人なのか」を示すものであり、対応する側としては、その「位」「格」によって用意される外交プロトコル(儀礼)も変えなきゃいけないんで(対応するのに、不足も過剰もあっちゃならんのですよね、受け入れる側には)、これは大事なもの。

 であるにも関わらず、自衛官の皆様には、どれほどの階級の人であっても勲章が授与されないために、外交という場面では困ることが往々にしてある、とも聞いています。
 この辺りは考え直してほしいし(この辺がきちんとできないということは、日本という国自体が、いー加減なことをやる連中だってことで恥をかいてるんですよ本当は💧)、それを憲法が「邪魔」しているのならさっさと書き換えたら? という話になるわけです。
(この話もこのへんでやめとこ💧)

 まあ、そんな具合で。
 最高速度300km/hを超え、0〜100km/h加速が3.0秒という、マンション1件くらい買えるお値段の車を、ママチャリで捕まえたおまわりさんには、何か顕彰されることがあってもいいんじゃないかなと思ったり。
 いえ別に、高いお車だからってひがんでんじゃないですよ(値段がすごすぎて庶民にはかえって実感がないレベル)。私が感心したのは、「ママチャリで激走」の「熱意」の方。

 日米の模擬戦で、F-104でF-15を「撃墜」したという空自の「伝説」(つっても本当に実話)を彷彿とさせますね、このお姿は。

 ご本人方はさらっとやっているので特に何とも思わないのかもしれませんが、こういう「技能」で日常的な法治の概念を守る、その功績を、やはり「お上(かみ)」も認めてしかるべきなのでは。ねえ?
 小さいことを大事にしないと、大きなことには繋がっていかない。
 そう思うんですけどね。

 ただ。
 おまわりさんに捕まる側としましては、また違う感想もありまして、
「あの矢印信号って、うっかりすることありますよね!」
 ということ。(^^ゞ
 すみませんただのいいわけです(笑)

 私の住んでいるあたりでも、以前にはふつーの信号だったのが、ある時から矢印信号になった交差点がありまして。
 以前の信号なら、いけるのであれば右折してもよかったのが、信号は赤、矢印は直進と左折を表示している場合、右折は「赤信号」に従います。
 が。
 ほんっとーにこれはうっかりなんで、いつもの調子でそのまま右折してしまい、後から「はっ?!!」と思ったことがあります💦

 ……このランボルギーニ の方ももしかしたら、そういう勘違いをなさっていたのかもしれません。
直進が青の場合は左折も一緒に青信号になっていることも多いので。(右折は大抵、ダメです💧)

 私もおまわりさんに過去何回か捕まっていますが、捕まったときは言い訳はしないで粛々と手続きすることにしております💧 違反は違反なんで、泣こうが喚こうが、ダメですからね。抵抗するだけ時間の無駄ですお互いに。

 でも、じつは過去一番嫌だったのは、もう10年も前にはなりますが、同級生の男の子が交通機動隊に入ったんだ〜と言ったときでしたね。今はもうちょっと偉くなって現場にはいないはず。
 違反で捕まってみたら相手が同級生だったなんてやだよ〜💦
 現実にならないままですんでよかったです(笑)
 
  

料金プランの見直し

 お昼休みにちょっと駆け込みで、ケータイのプランを見直してもらってきました。
 結果、現在よりはだいぶお安くなるようで、ちょっとびっくりですわ。(´⊙ω⊙`)

 以前から、こっちのプランの方がいいんじゃないかなあと思い、web上で、自分でシミュレーションを試みるも、結局、いろんな条件が付いたり消えたりするので、トータルおいくらになるのかがわからない。
 なんでこうケータイの料金てのはスッキリしないのよ!!💢 とキレ気味になって終わるのがつね。
 やはり店頭でちゃんと聞いた方が早いわ……とは思いつつ、なかなか時間が取れないわけですね。

 で、今日はやっと行ってきて…良かったです。なんとかというサービスをご利用になってますが、と言われても、使ってませんそんなの(失言)というのが2つもあったわ💧
 当初は良かれと思って、例えば迷惑電話撃退サービスをつけたけれども、なんせ電話自体を使わないのでほぼ必要ない。
 ということで外してもらって……というようなことがいくつかありました。😅

 もうちょっとわかりやすいようになりませんかね本当にもう💧

 ともあれ、これで来月からは少し身軽になれる(サイフが)はず。

      ※     ※

 やはり新サービスを使い始めよう、というときは、自分が何をどんな風に使うようになるかも予想がつかない。
 だから、何か不測の事態が起きても対応できるようにとついつい、過剰にあれこれのサービスを付加したり、多めのプランを設定したりしてしまうんですね。

 結局私の場合、ケータイ電話では電話しない(ほとんど緊急連絡用)、最近ではメールすらあまりしない、セルラー回線はほぼ使わず、ほとんどがWi-Fi利用。
 ということで。
 最初に想定したよりは、想定外と言いたいほどの使い方になってしまいました。

 でもまあ、やってみないとそれもわかんないんだし、初期投資だと思うしかないですよね〜。

 そうやって自分の利用の傾向がはっきりわかったので、今年になってまたiPadを買いましたが、その時にはもう迷うことなく、Wi-Fiのみタイプに決めることができた。
 やはり何事も経験……というか、やってみないとなんとも言えない、ってこと、ありますよね。事前にきちんと予測が立てられれば一番いいとは思うけども。

 ただ、Wi-Fiの環境についていうと、たぶん、私がスマホを持ち始めた時期と現在とでは、もうかなり違う、というのも確かですね。自宅のインターネット環境自体がかなり良くなっています。

 Wi-Fiどころか、ISDN の回線で動画もカクカクしていた時代もあったよねえ(遠い目)……それどこか、ネットにつなぐのに、あのファックスと同じ信号音、ピ〜ギャラギャラギャラ…という音がなっていたとか、時間をすんごい気にして何分間ネットに繋いでいたかを気にしているとか……今となっては、嘘のような状況でしたねえ。

 今はフツーにネットで動画配信も見ることができる。
 動画配信にストレスもなくて——、なんていうと、動画配信になんのストレスが? と、ネトフリなんかが当たり前の世代には逆に理解されなかったり(笑)
 現在ですと、インスタのライブ動画の配信、たまに電波がよろしくないと画像がガサガサになりますが、まああんな感じ。
 むかーしはあれが珍しいことでもなかったし、そうならないように祈る思いで見つめているとか、そんなこともありました。

 ずいぶん環境は良くなりました。
 そういえば、全日空さんは日航さんに続くように、機内Wi-Fi無料にするとか。

ANAが2018年4月から国内線の機内Wi-Fi無料化、JALに追随
2017/12/20  日経コンピュータ

 公衆無線LANにはまだちょっと信用がおけないのですが、でもまあ、こういう動きもさらに進んで行くのでしょう。

 ………保険と同じで、スマホなどの料金プランも、もっとこまめに見直した方がいいんだろうな😅
 だけどやっぱり一番いいのは、もっとスッキリわかりやすくしてくれることですけどね(涙)
 
 

ツイッターの平和主義

 他の SNSと比べても自由度が高く、好き勝手にやってられるのがツイッターのいいところ、だと私自身は思っております。が。
 そう割り切っていてさえ、フォロワーさんが減ったりするのは寂しいもの。
 でもそれはある意味とても平和的なことだと思っていたので、なるほどそうですよねえ、と思いました。こちらのツイート。↓



 自分がどんなツイートをするとフォロワーさんが離れていく(フォローをやめる=リムーブする、リムる、)かを図にしたものですが、なるほどその通りで(笑)

 私自身にはフォロワーさんがごっそり増えたり減ったりしたことがあまりないし、フォローもリムーブもご自由に(私もそうするし)という態度なのであまり気にしてない、というか、仮にリムられたとしても何が原因かはあんまりよくわからない。😅

 それでも、こういう傾向はありますよね——フツーの一般的な話題から、だんだん自分のディープなところをさらけ出していくときの、人様の動き。

 リムられてがっかりするお気持ちはわかるんですけど、でもこれは本当に平和的でありがたいことだと思います。現実世界での「繋がり」とやらだったら、嫌味を言われる、嫌がらせをされる、なんか知らんが大勢に取り囲まれて「説得」される、喧嘩になる、あるいは派閥抗争にさえなる。
 …………というのをすべて避けられるわけですよね、この仮想世界では。

 好きなものなら見るし嫌だと思えばシャッターを下ろす。これだけ。

 仮想世界の方がいいという話ではなくて、仮想世界ならではの平和な態度なので、そうがっかりすることはないですよ、というお話。
 それに、捨てる神あれば拾う神ありで、うっかりディープな趣味の話をしたらフォロワーさんが減ったとがっかりするも、もう開き直ってそちらに徹していたら、かえってそれを面白がられてまた増えてきた、ということ、ありますしね。

 利害関係もお金の関係もない、自分がただ好きでやっていることなんで、好きにやればいい。
 もちろんこれは実社会と同じで、「公序良俗に反しない」ことは守っていく必要はありますけども。
 
 私が、こちらの図を見て面白いと思ったのは、自分が提示した話題でフォロワーさんが減ったときの、説明と本人の気持ちの部分。
 例えば、
「政治的や社会的なつぶやき」→「※ここで減っても、考え方は人それぞれなので仕方ない」
 とありますが、仕方ない、というのが本人の気持ちの部分ですね。
 悲しい、寂しいという気持ちがあるのは事実だけど、でも、全ての考え方が一致するなんて人はいないんですから、ここで別れるのは仕方ない。むしろ、自分のツイート傾向は今後も変わらないのだから、早めに(合わないと)判明したのはお互いによかったのだという考えですね。
 
 これは実際その通り。
 
 私も、政治的な考えで合わないなと思えばそのまま離れることがあります。
 私個人は、エロ系よりも政治的な考え方の方が「地雷」になるかなあ。エロツイートは、そうですかそういうのお好きですかと言ったまま「無視」できるけど、放射脳にはどうしても我慢できないしなー……。うーん。

 あとは——、ある人のエロ系ツイートは「へえ」で済むのに、別のある人ものではすみませんと言いつつリムーブということがある。
 これは結局、「全体」としてどうか、なんでしょうね。

 どんな人間でも、ありとあらゆる面で気があって気に入らないことがない、なんて人はいない。
 多少、「またそーゆーことを…」と困惑することがあっても、でも、全体としてはファンですと言える、そういう場合は、「へえ」で済ませていくわけですね。

 なかなか、ツイッターの世界も奥深い(笑) というか、仮想現実であるけれど、やはりそこにいるのは人間なんだな、という感じ。

 仮想現実ですから、女子高生かと思っていたら現実のその人は結構なご年配のおじさまだったとか、もちろんそーゆーことはあるので、
「ツイッター垢といえども、結局は、人間性ですよ」
 な〜んてことまでいう気はナイですが(笑)

 まあ、それぞれの人が平和に楽しく過ごせればいいんじゃないかと。
 ちょっとくらい引っかかるものがあったとしても、「見て見ぬ振り」をし、「へえ〜」で「流す」のも、「良いフォロワー」としてのスキルかもしれません。

 それに。
 ある話題には寛容なのに、別の話題だと異様に心が狭くなる自分、というのを発見することがあります。

 自分でも、「そうか私はこういう話題がダメか」と、ちょっと驚くこともある。
 未知の自分を知る。これも楽しいことじゃないでしょうか。

 あと——私の場合はやはり、なんの話題であるかということより、言葉遣いや気遣いの方を重視しているのかもなー…と、自分で思うことがありますね。

 ドヘンタイはドヘンタイでも、まあいいです、と言える場合と言えない場合がある。
「表現」というもの、——ヘンタイでもユーモアがあるかとか、上手に人に「伝える」気遣いがあるかとか、その辺りの違いが、受け取ったときの印象をまるで変えてしまう。

 同じことを言ってんのになー……と、たまに、自分でも不思議に思って複数のツイートを眺めて考え込むこともありますよ。
 ハッシュタグで検索・抽出したタイムラインを眺めると、これができますね。同じ内容だけど、でも、ツイ主様の個性が出るよねえ……。
 ほぼ同じ内容のツイートなのに、ふふふと笑いを誘われるものもある一方、なんか不愉快な気分になるものがある……って、考えてみると面白いことです。

 
 まあなんにしろ、この図を見ながら、
「どうも自分にはついていけないと思ってリムるのもまた、だれかの『表現の自由』を『尊重する』態度なんだよな」
 と思いました。

 気に入らないと思った自分を相手に押し付けず、ただ煙のように消え去る。
 これはSNS特有の平和主義の実現である。
 ——とまで言ったら大げさでしょうか(笑)
 
 

適正価格

 今日は時間もないので本当に雑談で。
 というか毎回雑談ですけどこのブログ。(^^ゞ

 ちょっと気が早いかなとは思いつつ、4月分で宿泊予約を取ってみたんです。が。
 お値段を見て、正直、びっくり。
 東京なんですけど、値が上がりましたね〜。

 2012年だったかな、そのあたりで開業なさったと思うんですけど、新橋のとあるホテルを定宿にしてまいりましたが、いや〜、宿泊料が全然違いますね(笑)

 不景気どん底、という頃には、
「本来なら繁忙期のはずなのに、こんなお値段でいいのかなあ」
 と、逆にこちらが恐縮するくらい、はっきりいえばお安い時期があったんですよね。
 
 景気は回復しているし、経済状況も順調なんだな、と、こんなところで実感します。

 ここ2、3年でしょうか、特に、じわじわと宿泊料も全体的に(どのホテルがというのではなくて、全体に)上がってきているのを感じてましたが、少なくとも、リーマンショック前くらいには戻ってきたように思います。

 東京はまだいい方で、西日本方面は宿泊先が完全に不足している、という話も聞いてますしね〜。じっさい私も、この3年ほど、関西方面にある縁故のお墓参りを、「宿が取れない」という理由で断念し続けております。

 本気で「金に糸目をつけぬ」気なら、そりゃ、まったくお宿がないってことはないですが、こちとら由緒正しいド庶民ですし、墓参りの前泊に利用したいだけですからねー。あまり無理をする気にもなりませんし。

 ということで、ホテルのお値段も、ある意味、元に戻りつつあるんだな、と思うと、まあ、こちらとしてはちょっとがっかりなところもありますがでも——世の中には「適正価格」というものがあるんで、そう考えれば、客の方が、いいんですかこんなんで、と恐縮するほど安いなんて、正常とも健全ともいえない状況ですよね。

 宿泊料を見て、うへえと驚きつつ、ああ、でもこれでいいんだろうな……とも、納得しました。
 これ以上上がったり、そもそも絶対量が不足しているなんて言われると困っちゃいますけども。ね。

 それに。

 以前から興味があった、昨年にオープンしたばかりのホテルの方が、僅差ながらお安かったので、この際そちらに行ってみよう、と予約を入れました。
 ホテルめぐりも結構好きなんで、——わりといい評判でもありますし、ちょっと楽しみにして行こうと思います。

 定宿には定宿の、安定感、安心感、「勝手知ったる」気安さがあっていいものですが、新しいところにチャレンジ(?)して見るのも楽しい。(^-^)

 まだちょっと先の話にはなりますが、いろいろと楽しみにしておきたいと思います。

 ホテルの値段の「正常化」にしろ、昨日は大戸屋さんがお正月3が日をお休みにするというお話もありましたし、結構なことだと思いますよ。
 コンビニの24時間営業にはそれなりの意義もあるかと思いますが、だからって、あらゆる業種が24時間営業になることもないんだし、——そもそも、正月、元日くらいはやすみましょうよ。
 
 私の記憶では元日営業を始めたのはダイエーさんだったと思うんですけど、どうもねえ……ブラック企業がどうこうということとはまた別に、あまりいい風潮じゃないなと思って眺めてまいりましたので。
 昔は3が日はどこもおやすみ、という状態でした。不便といえば不便なことももちろんありますが、だからこそゆっくりできる人が(少なくとも現況よりは)増えるんで、いいんじゃないかな。

 ブラック企業が告発され、ヤマト運輸さんの実態に顧客側にも反省することがあり、運賃も(少しだけど)上がり、三が日はやすみ、ホテルの値段を見て客の側が「こんなお安い値段でいいんですか」と青ざめることもなくなり……。

 今までが極端すぎたので、これはいいことなんじゃないかなと思っております。

 ………値段はそのままだけどサービスが低下するより、「適正価格」でサービスが維持される方が、客の側としても最終的にはメリットがあると言えるんじゃないでしょうか。

 適正なものに、正当な対価を。

 そんな考えが、もーちょっと広まってもいいくらいじゃないですかね。

 定宿ホテルの宿泊料については、これ以上はあがらないでくれると嬉しいな〜というのも、ひそやかな本音だったりはしますが(笑)
 
 

「おんな城主直虎」最終回、取り急ぎ雑感

 今年の大河ドラマ「おんな城主直虎」、勢いを失うことなく、最終回でしたねー…。

大河ドラマ「おんな城主直虎」オンライン
http://www.nhk.or.jp/naotora/

 終わっちゃいましたねー……。(´-`)
 
 ロス、というほどのことではありませんが、でもやっぱり、終わっちゃったのねーという感慨が深いですねえ。

 面白いドラマでした。主人公は歴史の中ではまったく地味な存在で、果たしてドラマとして「もつ」のか、というのもちょっと不安があったのは事実。
 いちばん私が不快に思ったのは、主人公が女性となると、なんですかわけのわからないいちゃもんをつけられるわけですが、今回もそれがあったこと。
「スイーツ」という言葉が、その代表的な侮辱語らしいのですが、何分にも私、「理屈として成立していない」ものを「認知しない」というすごい脳みそを持っているので、詳細な意味は存じません。

 意味を知らなくたって、よーするに他人を故無く侮辱しているということはわかりますから、それでじゅーぶんですね。

 興味深かったのは時代考証に小和田哲男先生がどっしり構えていてくださっていたこと。

【「直虎」裏話】
大河の時代考証といえばこの人 静岡大名誉教授の小和田哲男さん(73)を困らせた史実の直虎「一番史料が…」

2017.3.12 18:00 産経ニュース

 このドラマがスタートする直前くらいでしたか、直虎が女性であったというのは間違い。男性だった、ということを言い出す人たちが現れましたね。

 研究者等が学術的な論拠を持って言ったのならいいのですが、そうではなく、「歴史通」ぶった、いわゆる半可通(はんかつう)という人たちで、——この連中の鬱陶しさときたらもう、ほぼ毎年のように現れては、「ドラマ」の面白さを損なってくれるという凄まじい根性悪。

 ろくな根拠もないのに(根拠らしいものがあるとしたら、女性とみればツブしておかないと気が済まない病的なミソジニーの『感情』だけ)そんなこと言っていいのかなあと思っていたら、私の予想以上の激しさで、小和田先生がぴしゃりと具体的な研究の成果を示し、黙らせてくださいました。
 思わず溜飲が下がると同時に、小和田先生の、「学者」としての妥協のない厳しさもよくわかりまして、本当に恐れ入っておりました。

 先生のおかげでこの1年、さしもの連中も静かになりまして、本当にありがたかったです。

 まあミソジニストではなくても、歴史物のドラマといえば中途半端な知識をひけらかしてはいちゃもんつけて喜ぶという「性悪」は必ず現れますけどね。(^^;)
 
 ともあれ、上記コラムにもありますが、さすが学界でもトップの碩学がついてくださったおかげでしょう、あの「中世」の細やかな背景、当時の風習や社会構造を、よく見せてくれたドラマでした。
 もちろんドラマですから100%史実通りではないにしろ、農民の「逃散(ちょうさん)」という手段の強さ、農民も泣き寝入りするだけではなかったというものを、見せてくれたドラマは初めてではないでしょうかね。

 で。
 背景はもちろんですが、肝心の「ドラマ」ですが。
 ——こちらにはもう、思うことが多すぎて、どれから手をつけていいやら。(^^;)

 ただ、史実とドラマ(虚構)を上手に織り込んで、見事な布が一枚出来上がった、という印象ですね。
 虚実ない交ぜにする、というのは、いうのは簡単ですが、実際には何も簡単ではない。小野政次さんとの関係も、よくよく見事に仕上げた、という感じです。

 私が直虎というあの「キャラクター」にひじょーに親近感を覚えたのは、「誰にとってもいいように」という視点があったこと。
 自分さえ良ければいい、ではない。
 関わる誰にとってもいいように、という考え方です。

 これが、本来の意味での「公正さ」というものでしょう。

 殺さずにすむのなら可能な限り殺さない。
 みんなにとっていいように、ということはつまりは、自分もどこかで「マイナス」を取る、ということですね。
 講談の、「三方一両損」の発想だなあ。
 
 奪うことしか脳のない、脳みそ筋肉の暴力馬鹿では絶対に理解できないことだし、そもそも発想自体が理解されない。
(脳みそに筋肉しかないからな)
(そんなもんを本来の意味で脳みそと言えるのかは疑問ですがね)
 まさに当初の直虎さんが苦労していたのはこの点だったはず。

 この考えが、世の中の常識と言えるまでに広がれば、人類もちったー救われるんでしょうが、どうも実現は難しそうです。

「篤姫」では、
「一方を聞いて沙汰するな」
 という、統治者としての大原則が印象的でしたし、「直虎」では、
「関わる人誰にとってもいいように。そのためなら自分も(引き受ける『必要』はないはずの)マイナスをあえてとる」
 という、今の人類にとって最大の「解答」を示したことが、印象的だった。——というのが、「まとめ」として申せましょうか。

 個人的には、最後の、初代にゃんけい様を登場させた心意気に感涙し、碁盤の「完」に思わずふふっと笑ってしまい、ナレーション、中村梅雀さんの「続く」というのはもう聞けないんだなと思っていたところへの「おしまい」という、あの言い方、ニュアンスに心ほぐされ(さすがですよね〜)。

 今は、そんなことがぽつぽつと胸の内に、浮かんでおります。

 いい1年でした。
 ありがとうございました。
 
  

記憶と怨念

 昨日、午後7時からNHK BS1で放送のあった、カズオ・イシグロさんのインタビュー、面白かったです。
 録画してあるので、もう1度ちゃんと見たいと思います。さりげない一言に、その話をさらに詳しく聞きたい考えたい、ということがかなり含まれていて、思わず、講義でノートを取るようにして見たい、と思いましたね。

ノーベル文学賞 カズオ・イシグロが語る世界

 なお再放送の予定がありまして、こちらは、2017年12月23日(土) 午前11時00分(50分)、とのこと。
 よろしければ是非。
 
 仔細に聞けば考えることはいくらでも出てきそうなインタビューでした。
 私にとって一番興味深かったのは、「外部にいる」イシグロさんから見た日本。

 日本は過去の戦争を反省しない、などとまだ言うのがいますが(なかには深い考えもなく、みんながそう言うから自分もそう言う、そんな浅薄と言うほかはない人も多いですが)興味深かったのは、イシグロさんの、その「忘却ぶり」の解釈。

 日本はかつてのことは「忘れ」て、戦後、民主主義国家を築き、歩んできた。
 一方、「忘れる」ことなく記憶を(まるで、昨日のことを今日のことのように)抱えてきた「世界」は、今、分断と不安定、その混迷の中にある。

 日本は、これほど世界が不安定になっている中でも、最も安定した民主主義国家であり続けている、そのお手本である。
 これは、「忘れる」ことによってこそ、実現できたことではないのか——。
 そういう「解釈」ですね。

 なるほどなー。と思いました。

 ということで、昨日、また番組の途中だったけれど自分用のメモとして書いたツイート。



 過去を忘れ、見るべきものも守るべきものも放棄するということがいいことだとは思わない。
 けれども、その記憶を持つべきだと主張する人々もまた、「記憶を、記憶として扱っていない」という意味では、同じところにいる。

 記憶を懐(いだ)き、過去を「吟味」するという行為はもっと知性的、メタ認知機能が必要なもの。
 記憶を検証するのはいい。
 でも、人々は、そこにある「恨み」と記憶を切り離していないのです。

 だから検証は検証にならず、ただの「吊るし上げ」「私刑」「報復合戦」にしかならない。

 何があったのか、なぜそうなったのか、どうすればよかったのかを「冷静に」考えるとき、——反省の上に立って「進む」ためにはどうしても、冷静に考えていくことが不可欠ですが、いまの人類は、その「冷静に」ができない。
(あえて意識的にそれを煽り、政治利用する輩もいますしね)

 記憶と恨みをセットにしている。
 恨みを忘れるとは記憶をなくすことであり、彼らにとって「捨ててはならない」のは、じつは恨みの方なんですね。
 恨みを捨てることは絶対にあってはならないので、だから、記憶を捨てることを執拗に攻撃する。

 これが、どちらにしても、誤ちになるんだな——と、そのように思いました。

 あった、という「事実」は、事実であるにすぎない。
 そこに恨みを持つかどうかは人間の都合でしかない。
 恨みに、「正義」という仮面をつけることによって「偽装」しようというのが、現在の人類の多くがやっていることですが、大勢がやっていようがなんだろうが、間違っていることは間違っている。

「みんながそうしているから、そういうものなのだ」という考えには私は賛成しない。金輪際。

 記憶はきちんと維持していくことが望ましい。
 それとまったく同等の必要性で、「恨みを捨てる」ことは必須条ですよ。
 前に進みたいのなら、ですが。

 日本は、恨みは捨てたのですよ。時間もかかるし世代数も必要だけど、それでも、恨みにとらわれる、ということだけは、やめることができた。
 日本を「悪者」にする(したがる)人々はどうだ?

 ——私が思ったのはそんなことでした。

 繰り返しますが、過去のことをきちんと「受け止める」のには、恨みは必要ないのです。
 多くの人は、過去の記憶があれば恨みが付いて回るのを当たり前だと思っているけど、そうではない。
 恨みなんか捨てられる。恨みを持っていたら進むことはできない。

 まず、「記憶=恨み」という、その既成概念をこそぶっ壊せ。と思いますね。
 人によっては、「記憶と恨みは切り離せる」なんて言われても、意味がわかんないだろうけど(笑)

 カズオ・イシグロさんはそこまでは突っ込んでは仰らなかった。これは私の「感想」ですので念のため。
 でも、記憶と感情は同一/同質のもの「ではない」ことは、ご承知ではないか、と拝察しております。


 またゆっくり、講義を聞く学生みたいにノートを取りながら、じっくり拝見し、ゆっくり考えたいと思います。
 1時間に満たないインタビューでしたが、それでも、内容は濃いものがありました。
 
 

冬の不審者情報

 一言で「痴漢」と申しましても、種類というものがあるようで。
 直接の害は(たぶん) ないと思われるものに、「見せてくる」置換というのがありますねそういえば。



 今年は秋の訪れどころか冬が駆け足でやってきたうえ、雪国の人さえ驚くほどの雪になったりの寒気が早々にきている。
 それくらい寒いことになっているというのに、下半身を露出するとは、少なくともこの人は冷え性ではないのだろうなと、ミョーな方向で感心してしまいました。
 パンツ(アウター)どころか、ぱんつ(下着)も着用なしだなんてねえ。へー。

 公共交通機関での大迷惑な痴漢には遭遇したことはありますが、この露出系の痴漢には、遭ったことがありません。
「会った」んじゃなくて「遭った」、ね。

 正確には2回ほど「遭って」はいるらしいのですが、少なくともうち1回は、私はガン無視していたんだそうです。
 自分のことなのに、なぜ、らしいだの、〜だそうだ、という言い方になるかというと、私自身は全く気が付いていなかったから。

 いずれも高校生のときだったし、同じ年のことでもあるので、同一人物だったのかもしれませんね。

 その時は私は自転車通学で、校門前の通りをまっすぐ自転車で走っていって学校に到着、チャリを自転車置き場に置いて玄関へ行こうとしたら、なにやらあたりは騒然としているし、いつもは姿をあまりみない事務の人までわらわら外に出ているし、先生はすごい勢いで走っていくし、何事かと思いましたら。

 その、露出系が「出た」んだそうで。

 生徒を保護するってことで先生も走るし、警察も呼ぶしで大騒ぎ。

 教室へ行って友達と話していると、駅からは歩いて登校してくる組がやってきました。
「みた?」
 と聞いたら、見た、と答えるものも、よく見えなかった、と答えたものもおりまして、あら本当に露出してたのねえ、と思い、
「そりゃ残念、私は見損なったわ〜」
 と申しましたら、
「なに言ってんの。あんた、目の前を通ってったよ」
 と言われまして。
「え? いつ?」
「いつじゃないよ、あんたチャリでしょ、すっごい勢いで通ってったよ。気がつかなかったの?」
「………ぜんぜん…」
 友達には、
「まあ、あんたの目は特殊だから」
 と呆れられてました。

 実際、現在でも自動車の運転はいたしますが、本来的にはそういうことをしてはいかんのだろうと自分でも思います💧
 器質的な問題があって視野が狭いのではなく、心理的な視野狭窄とでもいえばいのか、自分が興味を引かれないものは目に見えていてもぜんぜん認識しない、というところがあります。

 見えているのかと思えば、ぜんぜん気づいてもいない。
 視野を可能な限り広く持つべき、自動車等の運転には向いてません、というか、危険です😅

 自転車のときでもそれは同様で、別に、遅刻しそうだから急いでいたとかではぜんぜんないんですが、それでも、ひたすら、校門だけを見つめてチャリを疾駆しているので、周辺の光景は目に見えていないも同然。
 友達がいれば、おー。おはよー、とくらいは言いますが、これは友達だから「興味がある」対象に含まれますので、当然といえば当然。

 そういう特殊な目をしている、というのを指摘されたんでした。

 そういうわけで私は本当に、その人の前を疾走していたんですね。
 目撃していた(徒歩通学の)友達に言わせると、私がチャリでくるのが見えたとき、その露出狂は軽く半歩、前に出たんだそうです。
 ふつーの人間なら、道路脇から人が飛び出してくるのかなと警戒するべきところ、私はガン無視。

 一瞥(いちべつ)もなく、なんてもんじゃない、もっとひどい無視の仕方で通過したらしいです😅
 ちょっとその露出狂が可哀想になった、とは友人の言葉(笑)

 これももう寒くなっていく11月ごろのこと。
 で、1月になりますと校内でマラソン大会なんてもんがございまして、体育の授業といえば学校の周り(一般住宅地)をぐるぐる走らされるわけですが、この時も「出た」そうです。

 しかし私はとにかく運動苦手。さらに当時は鼻茸(はなたけ)と呼ばれるポリープが右鼻腔内にあって、通常よりも呼吸が苦しくなりやすいんですね。年中鼻づまりをしているようなもの。
 そんな状態で長距離走なんて、苦しくてたまりません。

 ということでいっつも最後からのんびりのんびり走っていたのですが、ある日、やっぱり、大騒ぎになっている。
 警察もパトロールを強化していたそうで、このときは学校の前にすでにパトカーが来てました。 
 
 私はあまりにものんびり走っていたのでまたしても、遭遇する機会を逸しておりました。

 しかしま、女子高生なんてものはしょーがない生き物で、「被害」にあった友達に、
「で。どーだったの。そこまでして他人に見せたがるからには、さぞやご立派な……」
「うんにゃ。ぜんぜん」
 と、興味もなさそうに冷たく言われていましたよあのときの犯人の方。(こんなブログを見ることもないでしょうが)

 思い返せば、あれもそういうわけで1月のこと。
 いかな温暖な静岡県のこととはいえ、1月ですよ? 寒さも寒し、寒風吹きすさぶ季節に出てくるんだものなあ。

 冒頭に引用させていただきましたツイートを拝見し、
「そういえば、うちの学校で大騒ぎになったのも、晩秋から冬にかけてのことだったな」
 と思い出し。
 ああいうのって、春夏の方が「快適」なんじゃないの? 冬の方がいいのかな? と、ちょっと不思議に思ったり、そんなこともあったねえと思い出したりしてました。

 ………あ。あれか。もしやロングコートを着ておきたいから、冬になっちゃうんでしょうかね?

 なんだか変な話になりましたが、せっかく(?)思い出したことなので、こんなところに書いてみました。
 どっとはらい。😅