「べき」論の裏側
2017年08月08日 (火) | 編集 |
 元はこちらのお話から。


 つまり「だらしなくない妻」たるには、きれいにアイロンがけすること、弁当はきっちり作ること(こういうことを言う人は冷食利用なんて弁当のうちにカウントしないと思われる)、ご夫君の革靴はピカピカに磨くものである、と言う主張ですね。
 一体いつの時代の認識だよ、と言うのは、よくわかります。

 この手のことはよく聞くことで、この過酷な現代社会において子育てに奮闘する人、あるいはロールモデルを持たないまま、「女性の社会進出」なんてもんを肩に載せられたちゃって、自分の業務以外のところでまで悩める人が、愚痴の一つも言いたくなるのはそりゃ当然なんで、そう言う愚痴も、そうかそうかと聞いてあげればいいのに、
「私らの若い頃はあーだったこーだった」」
「今の若い人は(以下セッキョー)」
 となる。

 私も最初のうち、ことに、なんだそりゃと思ったのは、なぜかこういうことを言う人たちは、ミョーにエラそうなんですよね。上から目線てんですか、たいそう居丈高にものを言う。

 いたわりの態度も見せず、だからと言ってアドバイスをするわけでもなく(とはいえ時代も状況も違う人にやたらアドバイスされても困るだけ、というのも多いんですが;;)、むしろ相手を威嚇し、けなす、というのはどういう了見か。

 ………と、私も昔には思っていたんですが、途中で気がついたのは、
「よーするに自慢なんだわこれ」
 ってことでした。

 自分たちがした苦労、泣いたこと、耐えたこと、そういうことを自分は「立派に」果たしてきたぞ、という、自慢であり、同時に、「認めろ讃えろ、さあ褒めろ」という欲求でもある。

 なるほどねえ……、とわかって以後は、私も、スルーできるようになりました(笑)



 元に引用させていただきましたツイートではまずは女性同士のすれ違いを取り上げていますが、でも、他人に、〇〇たるものは〇〇であるべし、〇〇すべし、と押し付け、それができないと人間失格のようにいう人というのは、そりゃもうそこら中にいますから、私としてはもーちょっと範囲を広げて「一般化」して眺めてみたい。

 〇〇すべしという人は、それが「当たり前」「常識」という認識でもあるわけですが、でも、何を常識とするかは実際は、かなり各人で異なるものです。
 生まれ育ちのこともあるし、現在の生活状況もあるし、その他もろもろ、個々人で異なる条件下にあるわけですから、これが常識、これ以外は人間失格なんていえるものではないんですよね。

 それに、私がとにかく気になったのは「なんでそうエラそうなの?」ってことでした。
 どーみても相手の立場に立つとか相手の身になって考えている発言ではない。無用に居丈高(いたけだか)な態度には、どんな「理由」または「目的」があるのか? と考えていて。

 で、得られた結論は、上記の通り、「自分はそういうことができる」「ちゃんとやってる」という、自慢なり自負なりであり、無関係の他人にわざわざそんなことを披露するのは「褒めて欲しいから」。

 相手に自分と同じことをせよと言っているというよりは、「そういうことがちゃんとできている自分、えらい」と言いたいのであり、さらに、それを他人からも、すごいですね偉いですねと言われたいんですね。心のどこかで。

 多分、あなたは自慢したいんですね褒めて欲しいんですねなんて言ったら張っ倒されるでしょうから、私も言いませんが。(^^;)

 強いていうなら考えられることはもう一つあって、自分のやっていることにいまいち自信がないとき、「自分と同じ」人を見ると安心する、自分だけじゃない、と思い、自分は間違ってない、と思ってほっとするわけですが、そういうものを求めている、というパターンも考えられますね。

 まあなんにしろ、その目的は「自分」であり、現在なんらかの問題に直面して苦闘している誰か、に、意識が向いているわけじゃない。
 
 なるほどねえ、と思って以来、私も「そーですかー」でスルーすることにしました。

 まあ、一番親切な態度は、「〇〇たるものは〇〇すべきである」と言われたら、「それじゃあご自分は〇〇なさるんですか」と水を向け、ここぞとばかりに「自分はちゃんとやってる(やってきた)」と胸を張ったら、「素晴らしいですね」と褒めてあげることなんですが。

 あいにく私もそこまでベタ甘な性格はしていないので、まあ、「そーですかー(にっこり)」くらいでスルー。
 〇〇すべき、と押し付けられるのはうっとーしーのですが、それでも、その〇〇ということができている、自分に課したことをちゃんとこなしている、ということ自体は、そりゃ立派なことです。それを否定することもないのです。

 だから、褒めもせず、反発もせず、そうですか(にっこり)で終わらせるのがよろしかろう、と思っております。
 この「そうですか」は意訳すれば「へー」くらいの意味しかありません。でも、「誰かの立派さ」を否定もしていない。
 これくらいでいいんじゃないかな、と。

 ただ、その押し付けを、口先ばかりのことではなく、なんらかの拘束や「実力」で実現させようとするなら、これはもうこちらのテリトリーを侵害されることですから、それなりの対応は必要ですね。
 でもそういうこともあんまりないので……、と言える私は、やはり呑気で恵まれているのでしょうね。

 いちばんいいのは、こんな風にこじれる前に、もっと日常的に、誰かから認めてもらったり褒めてもらえる機会があることだと思うので。
 やっぱり、人を褒める、って大事だなあとも、思います。

 ありがとうと並んで、褒める、ということは、それがどんなに小さいことでもいいので、心がけたいと思います。
 何かを当たり前だと思い込んで感謝しないのも、やっぱり、傲慢な態度なんでしょう。そう思うので。
 
 
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