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2017.08.01 (Tue)

好き嫌いOK

 8月になりましたが、台風のせいなのかどうか、どーもまだ梅雨が明けきってない気がするんですよね。
 あの台風の迷走ぶりを見ていると、今年は夏がないまま秋にになるかもしれない、と思えてきました。
 暑いのに夏とは言えないというのも困ったもので。(^^;)
 ただ、水不足で取水制限になっている辺りには、雨、欲しいですよね…。

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 私も、好き嫌いって無理に無くさなくてもいいんじゃないかと思ってます。じつは。

マツコ・デラックス 好き嫌いの矯正に異論「好きなもんを好きなだけ食えばいい」
2017年7月31日 18時11分 トピックニュース

 学校でもどこでも、食べ終わるまで昼休みに「させない」という脅迫行為が行われることがあって、私もそういうの、見たことがあるんですが、子ども心にもあれは嫌だったなあ。

 偏食は本来的には好ましいことではないでしょうが、嫌いなものというのは本人にはそれなりの理由がある。体質的にどうしても受け付けないものもあるでしょう。難しいのはそういうことは外見からはわからないこと。
 嫌いだという本人だって、なぜ嫌いかがわからないことも多い。

 何かが嫌いでも、今の世の中はありがたいことに、他の食品で補えることがほとんど。
 嫌いなものを食べるまで席を立たせないなんてあんな「拷問」を子供のうちに受けたら、ますますその食品も嫌いになるだけですよね。

 今から思うと、あれは拷問だし立派な暴行だし、精神的に傷になるなら傷害罪だな、とつくづく思います。

 ものすっごい偏食家で、まともに付き合っていたら食事の世話なんかできない、という場合は、確かに困るんだろうなと思うので、なんとか好き嫌いを減らそうという、保護者さんの努力を否定するものでは決してありません。
 手間ひまをかけて、刻んだりペーストにしてみたりで工夫なさるのは、これはもう愛情あってのこと。素晴らしいことだとおもいますよ。

 でも、なんでガッコノセンコーにはああいう暴行魔がいるのかねえ、と思います。……いや、実の親がそうだったという人も結構いるかな。
 結局、「自己都合」なんでしょうね、暴行魔になっちゃうひとの言い分て。

 確かに、偏食では栄養が取れまいと心配するのは愛情ではありましょうが、食べやすいように工夫するというやり方ではなく、子供の口を無理やり開けさせて食べるものを突っ込むようなやり方は、「自分が困るから、いうことを聞け」ってこと。

 この態度の違い、その根底にあるものは、まるっきり違う。
 この二つをひとつの同じ考え方として捉えるわけにはいかないなあ……。

 偏食なり好き嫌いなりで健康や成長に影響があるようなら、何か考える必要があるでしょうが、何種類かの食べ物が食べられない、というくらいなら、代替品となるものはあるんだし、さほど気にすることでもないと思います。

 私は幸い、好き嫌いは少ない方——好きではなくても、食べられないほど嫌いなものはあんまりない——なので私自身には経験はありませんが、嫌いなものを食べるまで席を立つなと言われ、昼休み、ポツンと教室に残って泣いていた同級生の姿は、今思い出しても胸が痛みます。

 好き嫌いは、本当は誰にでもあるもの。嫌いなものなどない、と威張る人は、嫌いなものに出会ったことがないだけだというのが正確なところじゃないですかね。

 なぜか私が苦手なものは、魚介類ならウナギ、トロ、ウニ、イクラ、肉なら脂身全般ってところからサーロイン、フォアグラといった、いわゆる高級食材が多い。(食べられることは食べられます)

 前前前世のそのまた前から庶民の生まれ育ちだったんじゃないかと思うほど、高級とされるものがアウト。
 現代では庶民でも高級食材にありつく機会はあったりしますが、世が世なら、私はこれらが苦手だと気づくこともなかっただろうと思います。
 最近では、コリアンダーも、少しならいいけどやっぱりダメだということがわかったんですが、これだって、流通の発達していない時代に生まれていたら生涯、ご縁はなかったし、であれば、あれが苦手でと知ることもなかった。

 好き嫌いなんてのはさほどの重要事項じゃないでしょう。
 それを、好き嫌いがあると明日にも死ぬように大騒ぎして、子供に暴行を働くというのはどういう了見か。

 こうでなければならない、という思い込みが、そこにあるだけですよね。

 真実、その子の健康のことを思うなら、食べやすくするなり代替品を探すなりするでしょう。
 そうではなく、「自分の思い通りにするために」無理やり他人の口に食べ物を押し込む方が「オカシイ」。

 幼い子供は食べることをあんまり重視しない。食事の最中でもどこかへ遊びにいったりしますよね。あれを見ていると、食べることというのはもしかしたら、確かに大事なことではあるけれど、「自然」にはそぐわないことなんじゃないか——ものすごく「人工的」な、不自然な行為なんじゃないかと思えてくる。
 
 食べるとはこうあるべきだ、食事はこうすべきだ、健康のためにはそうするべきだ——と思い込むあまり、他人を虐待するのは本末転倒と感じます。

 結局この話も、「〜ねばならぬ」「常識」「自己都合」に囚われる愚かさの、ひとつの現象なのかもしれませんね。

 美味しいものを美味しくいただく。これは基本、人生における最大級の幸福なので、この幸福を、間違った考えによって否定するようなことはないように、願う次第です。
 
 
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