「褒めて欲しかった」
2017年07月28日 (金) | 編集 |
 明日はこちらお休みいたします。
 地元の夏祭りの運営に、ちょこっとだけ、お手伝いに行ってきます。
 ちょこっと手伝ってあとはそのまま遊びに行ってしまうので、手伝いですと言うのもはばかられるほどですが。(^^ゞ

 じつはよく雨に祟られることが多いお祭りなので……お天気が程よいものになるといいなと思っております;;
(雨は困るし晴天すぎても暑くなるし;;)(程々がいいなと勝手をいう・笑)

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 これは切ない……と思ったお話。



 新聞の記事、コラムかな、ですが……、この子のお母さん、この詩をお読みになったのかなあ。1986年の「高知県こども詩集」から、とのことですから、学校で作文の授業か何かで書いたもので、それがこの詩集に選ばれたんでしょう。
 となれば、やはりこの「お母さん」もお読みになった可能性は高い。
 どうお思いになったでしょうね。

 当時1年生の子どもの作品とのことですが、素直で、言葉の使い方も上手で、よく伝わってきますね。

 朝早くからちゃんと勉強をして、1日のうちに片付けるべきことをきちんと、しかも早くに仕上げられたんですね。
 これは立派なことで、自分でも、褒めてもらえると思ってお母さんに言ったところ、褒めてもらえるどころか、
「土曜日のぶんもしなさい」
 と、お母さんは「怒った」と言う。

 最後の1行の、「わたしは なきました」が、本気で泣ける;;
 
 これと同じの、あるいは類似の経験のない人って、そうはいないと思います。
 こういうの、ほんとショックですよね;;

 で、こちらのツイートについたリプをのぞくと、皆様やはり親子関係のこととしてとらえておいでですが、でも、これねえ——親子間に限ったことじゃないですよ。

 本来なら褒めてあげたり、ありがとうと感謝したりすべきところ、まるで言いがかりのように難癖をつけて、嫌な対応をする、というのは、結構、そこら中でやってませんか。

 親御さんが一生懸命やってくれたことを足蹴にする子ども、同僚の気遣いに余計なことと怒る人、部下を褒めるどころかやはり無視したり、あさっての方向の別件を持ち出して怒り出す上司、通りすがりの人に意味不明の嫌味を言う人、お店の人にインネンをつけているとしか思えない無理を平気で言う客、——その他諸々。

 やっている方は意外と悪意はない。深い考えもない。
 これらの態度は明らかに「落ち度」というべきものですが、それを人から指摘されると、自分が悪かったとは思いつつも認める気にならず、あさっての方向から言い訳を引っ張り出してきて、また怒る。

 自分の非を認められない——、結局それは、「習慣」だからなんですよね。
「怒る」ことがその人の習慣だから。「当たり前」だから。

 性格とは何か、というと、「条件反射の集まり」。
 性格と性質はちょっと違うものとして考えておりまして、 性質、というのは「質」ですから、三つ子の魂百まで、というもの。
 性格は、「表現」のこと。

 怒る人というのはもう1日のうちに何度怒るかわからないんじゃないですか。別に怒る必要がないことにまで、何かあるといきなり不機嫌「そうな」顔になる。
 これ、本人は別に不機嫌な「つもり」も、怒っている気でいるわけでもなくて、それが「通常、ノーマル」だったりするんですよね。
 だから、人から「何を怒ってるの」なんて言われると「別に怒ってないよ!」つってまた怒る。

「怒ってないよ!」「怒ってるじゃん」「怒ってないったら! アンタが変なこと言うからでしょ!」
 ………始末に負えません。(^^;)

 すぐ怒る人は、怒りっぽい性格、と言われますが、怒りっぽい性格とは何かというと、なんらかの刺激が来たときとりあえず怒る、という「条件反射」のこと。
 人から話しかけられたとき、「また何か面倒なことを言われる」という「条件付け」を自分でしているので、なんだよ、とのっけから反撃姿勢になる。
 本人に深い考えはない。梅干を見て唾が出てくるのは、本人には自然なことで、わざとそうしているわけではない。

 この条件の数が膨大なことになっているので、しょっちゅう怒るんですね。晴れだと言っては怒り、雨だと言っては怒り、人に話しかけられただけで不機嫌になり、何か言われようものなら複数の条件が重なるので、激怒する。
 この条件反射を繰り返すと「習慣」になる。

 性格というのは、そのほとんどは「習慣」です。
 他人は変えられないが自分は変えられる、というのも、だからですね。
 習慣だというなら、習慣を変えるかやめるかすればいいだけなんで。

「性質」は、水は水だし、鉄は鉄だし、というようなもので、本質そのものは変わらない。
 でも性格というのは、その性質をどう表現するかの表現方法の選択。
 その選択を繰り返すうちに習慣化したもの。

 習慣であれば、変えられますよね。水も冷やすか温めるかで他人に与える印象はずいぶん変わる。冷たいのが嫌なら少し温めればいいわけで。

 このお母さんの場合、子供が何か言ってきたら「まず叱る」というパターンが出来上がっていたのかもしれません。
 ひとつひとつの状況に対して反応するのではなく、「子供が何か言ってきた」という条件にだけ、反応している状態。

 世の中には確かに、きちんと怒るべきことというのはあるけど、でも、「怒りっぽい人」はだいたい、習慣でやってるんですよね。
 意外と本人は怒っている「つもり」はない。だからなんで怒るのと言われると怒ってないよ!と言って怒るというギャグのような状態になる。

 心の習慣の典型例だなあ、と思って読みました。(^^;)

 この詩を書いた人のショックは察するにあまりあるものがありますが、私は、「怒ることが習慣化している」方が気になりました。

 心の癖は確かに完全になくすのは難しいけど、直せないものでもない。
 性格だから、と開き直ってくる人も結構ありますが、それもいいわけですね。

 怒る以外にもいろんな心の癖ってあるものですが、性格だから直らない、ということはない。
 人を楽しくさせる癖なら放置でいいけど、こうやって、いたずらに人を傷つけるような癖なら、やはり時間がかかっても少しずつでも直していくほうがいいな、と。

 人のふり見て我がふり直せ、——性格だから無理だよという言い訳は、やはり減らしていくほうがいいなあ、と、(当時)6、7歳の子どもの涙に胸を痛めつつ、そんなことを思った次第。

 この女の子も今は立派に大人になっているでしょう。このときの胸の痛みを生かして、誰かを褒めてあげられる大人になってくれているといいなあ、などとも、こっそり思ったり。
 
 
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