臆病による直感
2017年07月27日 (木) | 編集 |
 初対面のときの印象には「ハズレ」がない、と思ってます。
 どうも初めましてと顔を直接合わせたときの印象、受けた「感じ」は、良くても悪くても、ハズレがない。
 これは途中から、ほとんど私には「信仰」になっております。

 パッと見たときの感じというのは、いい悪いというよりも実際にはもっと複雑で、その「人となり」を感じ取っているのだと思ってます。
 それに対する私の好き嫌いはまた別のこと。

 何しろパッと目と目が合った瞬間に決まることなので、若い、というよりまだ幼い頃には、私も、「人を見た目で判断してはいけません」という教えを真に受けて、いやいやいやいや、初対面の印象だけで決めてはいかん——などと揺らいでいたんですが。

 なんどか、「あれえ?」と思うような経験をしてのち、「初対面の印象は確かなものだ」と思うようになりました。

 たぶん、「人」というものに対する私の「直感」でしょうねこれ。
 ほぼ外さない。パッと見たときの「印象」は、9割がた、「当たる」。まず、外れはない。

 周囲からの評判がイマイチな人でも、私が見ると、そうかなあ、そんなことないと思うけどなあ、と思っていると、実際あとからものすごく光るものがあるとわかるとか。
 皆はいいように言っているけど、どうも私はやだなあ、気心がしれないなあ、と思っている人が、最初は愛想も良くて「いい人」のようだったのに、まさしく「裏の顔」を出した瞬間を見てしまうとか。

 最初にはいい印象ではなかったけど、どうもそんなに悪い人ではないらしい、最初にあんなこと思っちゃって悪かったなあ、——なんて反省していたら、あることで馬脚を現し、衝撃を受けつつも「直感は正しかった」ということがあったり。

 そういうことを積み重ね、ひとつひとつ数えてみると、私の「勝率」は9割ほどにもなる。中には10年単位で確認した例もありますから、それなりに信頼できると思ってます。

 私はたぶん人を「外見で」判断しているわけではなく、目と目が合ったとき、何かを直感的に「探って」いるのだろう、という結論になりました。

 目と目が合って互いに認知するというのが大事でして、直接「見る」とは言っても、自分はその人と話すわけでもない、遠目に、あれが〇〇さんだよと言われた程度では、この直感は働かない。

 目は心の窓なんて言葉もありますが、実際、視線が合う、というのは大事なことなんでしょうね。
 目には見えないけど、この瞬間の「情報量」ってものすごいことになってるんじゃないだろうか。ギガやテラを超えるくらいに。

 直感、というとただの動物的なカンみたいに思われることが多いでしょうが、私が印象深く覚えているのは、学生の頃、社会心理学の先生に、何の話題のついでだったのか、
「直感は、いわゆるカンではない。ちゃんと本人は情報を収集し、分析し、結論を得ているのだが、そのプロセスがあまりにも高速なので本人にも知覚しきれない。だから説明がつきにくいと感じるので、カンです、と言ったりするが、直感は論理的なものであり、山勘とは違う」
 と言われたこと。

 確かに、ただのカンではないのは、時間をいただいてゆっくり考えてもいいのであれば、なぜそう思うかそう感じるのか、説明できないことはないから。
 私はこれを、よく「言葉に翻訳する」と言います。結論があって、そこから分解していって、なぜその結論になるのかを導き出す。
 ただのカンであれば、そういう帰納的な説明にたどり着くはずもない。

 ただ、私がいう「説明」は、他人から見るとかなりぶっ飛んでいて意味不明のところがあるでしょうから——理屈として成立しているとは思ってもらえないだろうことも、承知してます。(^^;)

 でも、私としては、ちゃんと、あーなってこーなってそーなってるからこの結論、という「道筋」はちゃんとあるんですよね。
 直感とカンは違う、と言われて、なるほどと思えました。

 若い頃には、私は相手の「見た目」で判断しているのではないかと少々、コンプレックス気味に思ったこともありますが、でも考えて見ると、本当に外見「だけ」で判断するなら、直接にお会いするまでは判断保留なんてやるわけない。
 外見だけで判断するのなら、遠目に「ホラ、あれが〇〇さんだよ」と言われただけでも判断してしまうはず。

 ということで現在では、自分で自分の直感を当てにしている状態です。
 どうも初めましてと目が合ったとき得られる「感触」を、今の私は疑いません。

 といってもいきなりそこで好き嫌いを決めているということではありませんので念のため。

 好き嫌いはまた別の話なんですよねえ……。相性の良し悪しはあるでしょうが、パッと見て得られた感触によって、ベタベタなつくことも、やけに嫌ってしまうこともない。

 こういう直感が鋭く働くのは、私が臆病者である証拠だろうと思ってます。

 どうも人間という生き物が、怖くてしょーがないんですよね、私。
 可能な限りその危険性を遠ざけるか、小さくしようとする本能から、相手がどういう人柄か、可能な限り広範囲、かつ素早く、掴んでおこうとしているんだろうな、と、そんなふうに思います。

 あとは、言葉についてはかなり敏感なところがあるので、少しその人の話ぶりを聞けば、言葉のクセのようなものから判断できることも多い。
 少し話を聞いたり、書いたものを読んだりして、「ああ…なるほど」とうなずいているのはそんなとき。


 草食動物は、例えば、大きな耳という鋭敏なセンサーや、機敏な逃げ足とを持っていることが多いですが、私の「直感」も、そういうものなんだろうと思います。

 人を外見で判断してはいけないというのは確かですが、でも、臆病者の直感は、それとは似て非なるもの。
 外見で判断してはいけないのに、と、自分を責めてしまう人がもしあるなら——自分で自分の直感を信じられると思うなら、その直感には従っていいんですよ。と。
 ちょっと長生きしてる臆病ウサギとしては、お若いウサギには、その直感は大事にしてね、と申し上げたいと思います。
 
 
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