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2017.07.14 (Fri)

本来のフェミニズム




 私は別にフェミニストでもなんでもないですが現行のフェミニズムは路線を間違えてる、と思っているクチです。

 女性の身に生まれた上にこんな人生をやらにゃならんのであれば、現代に生まれたのは僥倖である、と思うくらいには、これまでのフェミニズムには感謝していますが(封建時代だったら、この年齢になる前に自殺か他殺で死んでる)、現行のフェミには「いや違うだろそれ…」とひとりごとすることが多いです。

「違う」理由は上のツイートにあります通りで、結局、元々のフェミというのは「女性にも人権がある」というところにあった。これは人種差別の場合でも同じですね。人間を人間扱いしないことへのアンチテーゼだったはず。

 けれども、現在では「女性であることを特権化」しようとする考えがあるようです。
 どこまで意識してそのような主張がされるのかは存じませんが、ともあれ、結論においてはそうなります。

 これは間違っている、とはっきり言っていいでしょう。
 元々は、諸権利など認められていない、人間ではなく人形や都合のいい道具でしかなかったものが、私も、あなたと「同じ」、人間です、ということが主張だったはず。

 女性であることの特権化は、結局、その前時代、封建時代の焼き直しになってしまう。

 私はモノが何であれ、「筋が通らない」ことが嫌い。私が封建主義を嫌うのは、まさしく「筋が通らない」ことばかりだからですよ。
 男性中心の社会、なんて言い方も聞きますが、でも、いわば男性の都合に合わせて作られた社会は、実際には男性自身にすら住みにくい社会になった。それは、そこらじゅうで「筋が通らない」ことをしているからでしょう。

 フェミというのは欧米の——キリスト教文明の社会から生まれたもの。
 一神教というのはもろに男性原理ですが、その社会においては「男性的なものが善なるもの」という価値観なんですよね、当たり前だけど。
 
 男性原理へのアンチテーゼとして始まったはずのフェミは、けれども、「男性的なものが善」という社会が持つ価値観から自由ではなかった。
 女性が男性と同じようなことをするのを良しとしたのは、結局、それが原因なんだな、とわかりまして。

 子供の頃からフェミとかウーマンリブとかいうのが、アメリカから日本にも聞こえてくるのを見聞きしてましたが、その女性たちは、男性と同じことを必死になってやっているように見えて、あれは一体ナニ、と、子供心にも思っていました。
 その疑問がやっと解けた、という感じ。

 私も子供の頃から相当なところがあって、ああいうのを見るにつけ、
「男から強要された女らしさなんざまっぴらだというのはわかるが、なんでそこで、女が男みたいにみっともない真似をしなきゃならんのだ」
 という反発を感じていたんですが——、私はあの10歳前後当時の自分に、エライ、その感覚は正しい、と言ってあげたい(笑)

 男性の真似をすることが女性解放だと信じている人は、結局、「男性的であるものが善である」という、旧式の価値観にガッチガチに縛られたままなんですね。つまりは。

 社会全体に刷り込まれた価値観の根深さ、根強さ、しぶとさを感じます。

 フェミは。
 男性原理だけで凝り固まった社会の、アンバランスを正していけるもののはずです。本来は。

 でも、もしも、フェミズムが「女性であることの特権化」を目指すというのなら、それは旧来の男性原理社会の焼き直しに過ぎない。
 そのことに気づかずにいる(のかあるいは故意なのか)のは、いかん。そう思います。
 それでは同じことの繰り返しになってしまう。これは、あまりにももったいないことです。

 日常のなかで性差などの話をすると私は、旧来型の男性からも、女性からも憎まれるということが結構あるんですが、なぜそうなるのかも、これではっきりしたな、と思ってます。

 旧来型の男性も、女性の特権化を目指す人も、これは「同類」なんですね。
 私は、モノがなんであれ何か誰かの特権化には反対するし(権威は認めるが権威主義は認めない……って、わかってもらえるかな?;;)、他人を虐げることで自分がいい思いをしようなんていう考えには、そりゃもう、どこをどうすればそんなもんに賛成できるというのか逆に聞いてみたいわ、と思います。

 男性からも女性からも憎まれてつらいわーと思ったことも、でも、これで謎が解けたなあ……。

 まあ、旧来型でも現行のフェミでも、一番の誤ちは、「怨念に基づいている」ことだと思ってます。
 誰かと接する時、何かを見聞きするとき、愛情を持ってそれらに触れるか、憎悪や怨念に焼かれながら接するかではまるで違う、というのはお分かりいただけるかと。

 怨念なんてロクなもんじゃないですよ。内側から発生することはそりゃ誰にでもあるけど、それを自分のマスター(ご主人様)にしてはいけない。
 
 とはいえ、上記ツイートにある、こういうご意見がちょっとずつでも登場してくれるのは心強いこと。
 フェミズムがまた「正しい」方向へ向いてくれることを願います。

 これは男女差別の話ではなくても、人間はもうなんでも、「自分とは異なる立場にあるもの、自分とは異なるありようのものを、同じ人間とはみなさない」習性がある。

 奇妙にも思うのは、これは、夫婦間、親子間という、ごく近しい上に、ちゃんと愛情がある場合でさえ、「相手を人間扱いしない」心理も働いていることです。
 例えば、男は女を、女は男を、親は子を、子は親を、妻は夫を、夫は妻を、老人は若者を、若者は老人を。
 自分と「同じ人間」とはみなさない。
 人間扱いしない。
 だから酷いことが平気でできる。

 どうしてなんでしょうかねえ…。愛情があるのは事実でも、同時に、相手を人間扱いしない、というのは。

 この疑問についてもいつかは、ああそうか、と腑に落ちる、そんな答えに辿り着けるでしょうか。
 
 
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タグ : 人間

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