情けの沼
 菟原処女(うないおとめ)の方が、この件に関してはデップさんよりは筋を通したかな、と思った件。



「二人の人を好きになったら二人目の人にしなさい。もし最初の人が本当なら、次の人に惹かれるはずはなかったのだから」
 と言うのは私もツイッター上で見かけていましたが、発言主はジョニー・デップさんでしたか。

 ファンの方のブログによりますと、原文ではこちらになるのかな。出典までは書かれていませんが。

“if you love two people at the same time, choose the second. Because if you really loved the first one, you wouldn’t have fallen for the second.”
「同時に二人の人を愛しているというのなら、後から(二番目に)好きになった人を選べ。初めのひとりを本当に愛しているなら、二番目の人を好きになることはなかったのだから」
——ジョニーデップ-名言集 http://bit.ly/2u7W2Nj
ジョニーデップ ファンブログ!」様



 聞いたときは、まあそれも理屈ではあるな、とは思いましたが、でもやっぱりこれだと「筋」は通らないなあ、と感じますね。単に自分が目移りしてるだけじゃん。

 たぶんこういうのは性分というものなんでしょうね。昨日もちらっと書きましたが、私もいろんな人のいろんな話に付き合ってきましたが、男女関係で二股(以上)の話って、本当に理解不能。
 思えば、リアルではなくフィクションの世界においてさえ三角(以上)関係ってのは苦手。
 最初の「マクロス」も、途中からくっきりはっきり三角関係になってしまい、作品自体は好きで見ていたけれども主人公への軽蔑の念は如何ともしがたいものがありました。

 ……「ちはやふる」も実は読んだのは1巻だけであとは読んでないというのもそのへんの理由が大きかったり。(^^ゞ

 生来、気が短いので、ああいうので物語がもたもたするのは好きじゃないし、「同時に二人以上を好き」というのは理解不能なんてもんじゃない。何を言ってるんだオマヘは、というくらいにしか思わない。

 菟原処女の伝承は、正確には三角関係とは言えないかもしれませんね。
 彼女はかぐや姫並みに求婚者が多かったんですが、中でも二人の男性が極めてご執心。菟原処女はこんなことでは今後もまともに結婚ができるとは思えない、と言って自害。二人の男も自害。
 そういうお話。

 とはいえ、これは彼女が浮気性と捉えるのは気の毒な話で、どちらかを選んでも、あるいは両方をお断りしても、状況は変わらない、と判断したためのようです(伝承を聞く限りでは)。
 何をどうしようと今後まともに結婚できないと嘆いたのは、どちらかを選んでも、あるいは両方をお断りしても、菟原処女の「浮名」は消えることもないし、そもそも、二人の男が引き下がるとも思えなかったんでしょう。

 二人のうちどちらかを選べば片方が引き下がらないし、二人ともお断りして別の人と結婚しても、その相手を、二人の男が傷つけるだろうという予想を立てたものと思われます。
 …………それ、現代では立派に「接近禁止命令」を裁判所から喰らうレベルだと思うよ;;

 というのはあくまで私の解釈で、世間ではともあれ、これが日本における代表的な三角関係の物語となっております。

 これにしたって、やっぱり鬱陶しい。
 先のことは先のこと、ともあれこの時点では、菟原処女は二人ともお断りするのが「筋」だったと思いますね。
 自害したというのも「お断り」の意思表示ではありますが、ちょっと行き過ぎにも思います。
 でも、彼女がそこまで「絶望」するほど、男どもの振る舞いにはひどいものがあったのだろうと私としては推測します。

 現実世界におきましては。
 私も、やはり「どちらとも決めかねる」という相談を受けたことがありますが、どちらとも決めかねるならどちらもお断りするのが「本来の筋」だろう、と答えておきました。
 二人を同時に同じくらいに好きなんてことがあるのか、私には想像を絶する精神状態だとしか思えませんでしたが、「情」を排除して理屈だけで考えるなら、そうするべきところだろう、と。

 なぜかというと、デップさんのお言葉とは逆で、どちらとも決めかねるということは、よーするにどっちのこともさほど好きではないのだ、と考えるからです。
 どちらを選んでも、残された側にグダグダ未練が残るのなら、それは選んだはずの人にも失礼だし、どちらに対しても誠意のないこと。

 冷たいようでも、どちらとも決めかねるならどちらもお断りすべきだろう、と言っておきました。

 結論から言うと彼女はその通りにしたようです。なかなか、大変だったみたいですが。
「情」に流されなかったというのはエライよね。

 ただ。
 デップさんの場合はちょっと事情が違う可能性はありますね。1番目2番目と言ってはいるけれど、これはものの例えであり、実際にはもっと大勢なのかもしれない。
 
「ささだ男になびこうか、ささべ男になびこうか」(夏目漱石『草枕』)、なんていうレベルの話じゃなくて、もっと大勢いるような、ひじょーにモテる方の場合は、まったく誰のことも選ばないと言うのは逆に「できない」ことなのかもしれませんね。

 ………ああ。考えるだにうっとーしー……(←失礼)

 自分はモテない、と言って嘆くかたもそれなりにいらっしゃるかと思いますが、さほどモテない方が幸いじゃないですかねえ。(^^;)
 周囲が静かであるぶん、自分自身とゆっくり向き合えるでしょう。「自分は誰が好きなのかわからない」なんてことにはならない——その方が幸せではないか、と思うんですが、……そうでもない?(笑)

 モテていいなあなんて凡人は思ったりしますが、実際には当事者には、ある種の精神的な地獄。
 傍観者の私ですら、そう思ったほど。
 地獄に落ちないで済めば、それはそれで幸いってもんですよ。たぶん。

 そこへ巻き込まれてしまったら。
 ——難しいことではあるでしょうが、「情」を離れて、「理(ことわり)」として何が妥当か、そこで判断するしかないでしょうね。

 でも「情」の強力なことは、朴念仁の私でも理解できる。
 なかなか難しいもんですね。(´ω`) こういうことは。
 
 
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