健全化してほしいのは
2017年07月04日 (火) | 編集 |
 日経新聞の朝刊コラム「春秋」、これ記名にならないかなー、とときどき思います。
 いわゆる左巻きの中でもかなり露骨な人が、少なくとも一人いて、筆者がその人になると、「あ、まーたこの人だ」と思うんですよね。

 別に他の担当者が特別素晴らしいわけではなく、「この人」が露骨にアレだと言うだけなんですが。
 これが朝日新聞、毎日新聞、東京新聞あたりだったらわかるんですが、日本経済新聞ですからねえ……。こんな状態でいいわけ? と思うわけです。

 これでも以前よりは少しは書き方に工夫をするようになったみたいですが、それでもわかる。それくらいの左巻きぶりで、ここまでくるともう、いっそそのお名前をお伺いしたい、と思ってしまいます。(^^;)

 私が嫌っているものは数多くありますが、その中でも、「みんなが」っていうの、聞いてて虫唾が走るというくらいに嫌い。
 今朝の朝刊でも、「国民は安倍を見限っている」というような書き方をしていますが、オマエ、日本国民全員の代表なのか、ずいぶんエライんだなあ、とイヤミの一つも言いたくなるような大上段。

 この人個人が安倍さんを「嫌い」だというのは勝手ですから、それはどうぞと思いますが、左巻きの特徴は「他人を巻き込みたがる」こと。

 国民とはいえ厳密には原文には「日本国民」とは書いていないので、どこか他の国の人々のことかもしれませんがともあれ。
 現在の国民のうち選挙権を有する人はどれほどになるでしょうか。まるでその「全員」が、この春秋子と同じ意見であり、彼が「全国民」を代表しているかのようなこの物言い、気持ちが悪いったらありません。

 放射脳もそうだし左巻きは全般にそういう傾向がありますが、「ね、みんなそうだよね、そう思うでしょ? みんなそう思ってるんだよ」っていう言い方、あるいはそれを前提にしている口のききよう。
 自分一人の意見として引き受ける気がないみたいです。で、何かあると、誰が悪いの彼が悪いのと言い始める。

 …………嫌いでしてねえ、こういう態度。

 私は何かとへそ曲がりで、「みんな」と意見が一致していることの方が珍しいくらいなので、こうやって「みんなそうだよね」に巻き込まれること、あるいは「押し付けられる」こと「決めつけられる」ことには、どうも我慢がならない。

 たとえ同じポリシーに分類されたとしても、それでも、一人一人は具体的な考え方が違う。そういうもんでしょ。で、民主主義というのは、そういう「ひとりひとり異なることを尊重する」のが前提のはずですよね。

 民主主義を標榜する人が自ら民主主義の精神を踏みにじるとはどういう了見だ——と思うわけです。

 とにかく、「みんなそうだよね」っていうのは勘弁されたい。新聞が、「国民を代表する」などといううぬぼれや傲慢さも——それこそ傲慢だわ——ドブに捨ててきてほしいと思ってます。

 さて。
 マスコミはそうやって、自民党敗北で大喜びしていますが、これは全く片手落ちというもので、都民ファーストの会というちょっと恥ずかしい名称の新党が、これまた考えられないほど大躍進したということは、自民党とともに他の党も有権者からは「否定された」ことをあらわしている。

 であるにもかかわらず、そこのところは「見ないふり」で通すというのも、いーかげん、本来のジャーナリズムからすれば、健全な批判精神からはかけ離れた態度だと思いますが如何。

 実際、これほどのものを他の野党はまったく受け入れられていなかったということになりますよ。私はあんまり、民意とか世論とかは信用してない方ですけども。
 むしろ深刻なのは、与党に対して人々の意見を吸い上げる機能を果たしていない野党の方ではありませんかね。
 野党がもう少し健全であってくれれば、政策論争でも議会運営でも、人々の「意見」を持ち込めたはずだと思いますがね。

 そういうあたりをまるっと無視して自民敗北、と、そればかりでお祭り騒ぎのマスコミには——いえもうとっくに見限ってはいるのですが、相変わらずですねえ、と、言いたくもなります。

 まず真っ先に健全化してほしいのは、政治家よりもメディアの方だと思いながら、読み終わった新聞紙で玄関掃除に取り掛かった朝でございました。
(湿気取りにちょうどいいんですよね。いまや新聞は文字列よりも紙の方が役に立ちますね)
 
 
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