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2017.06.12 (Mon)

マイルールは常識か?

 数日内にどこかで見かけたはずだけど、どこで見たのかを思い出せない…。
 SNSと言われるサービスは色々ありますが、実際にはそれぞれには違いがある。それを理解しないでいると他ユーザーとのトラブルになることも……というような話題だったはず。

 どこで見たんだったかな〜……。
 詳しい人と初心者の対話形式だったんだけど思い出せない。
 
 ともあれ。
 インスタで見ていて、
「自分の投稿を勝手にツイートした人がいる」
 と言って怒っている人をお見かけして、え? とびっくり。

 ネット上に公開される以上は、基本、それはオープンなものなのでは? というのが私の感じた驚き。

 これに限らず見ていて思うのは、「〇〇する/しないのは当たり前でしょ!」というのが、各人にあって、で、当たり前、常識だと思い込んでいるので、そうは思わない他人と遭遇したときに、トラブルになるわけですね。

 ということで私も一瞬驚いたけれど、やはり感覚が違うんだなあ、と思っておりまして。
 で、その何日か前に見たコラムでは、Facebookや Instagram 、Twitterではそれぞれ「同じ」サービスではない、という解説でした。

 顔本やインスタは現実の、日常生活の延長であり、人と人との繋がりを求めるが、ツイッターは日常とは別の世界。厳密には「閉じた」サービスではなく、求めるところは「繋がり」より「発信する」こと。
 ツイッターは決まった「輪」の中に閉じられているものではなくて、「ミニブログ」ともいうべき、「発信」が主体となっているものである。と。

 そうなりますと使い方も、使う目的も、まるっきり違うのは、当然ですね。

 私は現在、顔本は放置、インスタは「あ〜……そうなるんですね〜……」と、その「個人事業主」感覚にやや腰が引けてきているところ。

 でもツイッターは平気なんだよねえ? と自分でも不思議に思っていたところがありまして、そこへ、
「他のSNSは閉じた繋がりでの”やりとり”が主体、ツイッターは”発信”が主体」
 という指摘に、ああなるほど! と腑に落ちました。

 繋がりだ繋がりだと言われるのがどーにも「気持ち悪い」と感じるところがありまして。
 多分、この気持ちの悪さは、ネットでは繋がり繋がりいうくせに、リアルな社会じゃ知り合いにろくに挨拶もしないというのはどーゆーこった、という疑問の、裏返しだろうと自分では思っております。

 インスタ等での繋がりは、現実の、日常生活をそのまま延長した感覚。
 しかしツイッターは、自分の日常生活とはまたべつのところにある。非日常とも、仮想空間とも言えますね。
 日常とは違う場所にあり、自分から何かを「発信する」ことを主体にしている。
 つまりは「お友達」など求めていない、という指摘。

 それは確かにあるなー…。
 ひょんなことからネット上での知り合いとなっていくのも面白いもので、これはこれで楽しんでおりますけれども、それが「目的」ではないんですよね、確かに。
 それも面白いねえ、というだけであって、本来的な目的は、これは私も最初から言ってますが、ブログもメールも止まっているとき、友人知人に、「生きてます」と知らせることができる、……ってことでツイッターを始めたんでした。

 つまりは「発信」ですね。

 自分も、どうでもいいことではあるけど発信するし、人さまの発信したものを受信して、ああなるほど、と思ったら「これ面白いです」と言って発信する。
 人間そのものを目的にはしていない。

 ……てことで、自分の投稿を「勝手にツイートした奴がいる」つって怒っているインスタグラマーさんには驚きましたが、サービスの違いを理解して、インスタグラマーの「感覚」がどんなものか、私にもようやく腑に落ちたんでした。

 しかし。
 となりますと、インスタは顔本よりはマシではあるものの、あんまり私には向いていそうもないなー…と感じているところ。

 ツイッターではできないことがインスタではできる、という面白さ、メリットというものがはっきりわかればまた違ってくるでしょうが、今のところは、インスタの方は「画像倉庫」になりつつある…。
 
 現実世界での実際の友達や知人があれば、インスタも面白くなるのかもしれないな、とは思いつつ。
 あえて「こういう人たちと繋がりたい」という気持ちもほぼゼロだし、倉庫がわりになっていくのは仕方ないのかもしれない。

 何よりも。
 結構あちこちで、「インスタでおしゃれな写真を載せるには」というお題の記事が見つかるってあたりから、
「インスタにはオサレな写真を載せるのが基本なのかあ……」
 とわかりました。
 オサレな写真——、これまた、そんな気はほぼゼロである私、何となく自分は場違いだと感じてきた理由も、はっきりしてきましたね;;

 ごく最近ツイッターを始めたばかりの友人、ブログはぜんぜん更新しなかったのにツイッターは楽しそうにマメにやっているんですよね。類は友を呼ぶ、やっぱりアンタもこっちの方が向いてるんだねえ、と感心しているところです。
 ほんと、あっという間に馴染んだもんね。

 ただ、それぞれのソーシャルメディアの違い、特質、使う目的というものが最初からわかっていれば、「〇〇する/しないのは当たり前でしょ!」でトラブルになることも減らせるだろうと思います。

 ツイッターじゃフォロワー気にしないしいいねもする「義理」もない。リツイートは誰にでもどうぞとオープンにしているから「RTするならいちいち断りを入れるのが常識」などと言われれば困惑するし、そういう使い方も想定されていない。
 常識は、それぞれのサービスのあり方がどうかによって変わる。

 でも、そのサービスの特徴が違うのに、違うということを認識しないまま、別サービスを使うと、「常識」が違うことからトラブルになる、というのも、不合理なことですね。
 最初からある程度、使い方、目的、「常識」の概要が、わかればいいんだろうな、と思います。

 あちこちで痛い目にあってから「……あ。違うのか」とわかった私からすれば、「最初からわかっていれば」と思うところはありますね。

 人間社会においては、そのゆるさきつさには違いがあるにしろ、どうしたってルールとかマナーとか言われる「規則」は必要で、必要だから無言のうちに成立していく。
 であるにもかかわらず、「使い方は自由です」という「うそ」をいうのが、そもそもの間違いなのかもしれません。

 常識というのもいい加減なものだし、まして「マイ・ルール」を「常識」だと決めつけ、思い込み、自分の思い込みとは違う思い込みを持つ他人を見ると、いきなり罵倒するというトラブルは、回避できるなら回避したいもんだと思いました。まる。
 
 
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