リアリスト
2017年05月07日 (日) | 編集 |
 現役の産婦人科医、タビトラ先生のツイート。
 



 少子化について女性が子供を産まないことが「悪い」という発想の人はかーなりの数います。
 で、そういう人たちに「なに、簡単なことですよ、結婚しないでも子供を産んで育てられるようにすればいいんです」というと、ぎょっとしたように黙り込み、次の瞬間からえっらい反撃を食らうことになります。
 
 私もそうだったけど、結婚できない/したくない/しない人でも、子供は欲しいという人は大勢いますし、経済的な問題さえなければ、もう少し子供が欲しいという既婚者も大勢いる。
 世の中の「女性が悪い」と思い込んでいる人たちが想定するほど、世の女性たちは子供を「産みたくない」と思ってるわけではない、ということです。

 外国人から、どーして日本じゃ少子化の話となると必ず結婚がセットにされるのか? と不思議そうに聞かれて返答に困り、「日本ではそういうことになってるから」という、かなり苦し紛れに答えたというお話もありました。
 そういう考え方の根本にあるものを「女性が悪い」と思ってる人たちに話したら卒倒するだろうな(笑)

 ただ出生率をあげたい、ということにフォーカスするなら、「現実に即した解決策」はそう難しいものではない。
 簡単にできるのに、わざわざ複雑化している人たちは一体、「なに」に意識をフォーカスしているのか。
 それを考えると、それこそ、鼻の先で笑ってしまいます。(そしてまた怒られる/笑)
 その意識がフォーカスしているものを見たとき、「よーするに、全て女性が悪いという人たちは、本気でこの問題を解決する気なんかないんだな」とわかる。


 最初に引用しているツイートでは、勝手に(見ず知らずの)子供に触れてくる人、同じく妊婦さんのお腹を断りもなしに触ってくる人は、子供や人を人と思わず、「もの」扱いしているんだろうな、ということだし、二つ目のツイートもまた、女性を「もの」と看做(みな)しているわけで。

 どうしてかなあ、どうして人間にはこういう心理があるのかなあ、と思いますね。

 以前にも書きましたけれど、別に子供や女性に対する差別とかって話じゃない。とにかく人間は、「自分とは異なる立場の人を、人間扱いしない」よね、ということです。

 男は女を、女は男を、大人は子供を、子供は大人を、老人は若者を、若者は老人を、親は子を、子は親を——とにかく「自分とは異なるあり方」をする人を、人間扱いしない。そういうところがある。

 もちろん全てではない。共有している「部分」については親しみもあるしおそらく愛情もある。
 でも、「自分とは異なる」部分については、よくもまあそんなひどいことを平気で言えるね、ということをいう。

 しかも無自覚に。

 差別やいじめは無くならない、と思うのはこのへんが理由です。

 いじめをなくそう、じゃなくて、いじめはあるものという前提に立ち、それをいかに早期発見早期解決するか、という方向で知恵を絞ったほうがいい、というのが私の思うところ。
 でも、いじめは必ずあるし無くならない、なんていうとなぜか私が怒られるんですよね(笑)
 もちろんいじめがなくなるほうがいいけれど、無くせないでしょ。それが「現実」でしょ。
 できもしない理想を掲げて、むしろ問題が起きたときに自分の立場を守りたいがために問題を隠蔽するほうがよほど問題なんじゃないの?
 ——というのが私の思考回路です。

 自分では、自分は思いやりもあって想像力もあって良識もあって「優しい」人間のつもりでしょう。
 でも実際には、全くの無意識に、「自分とは違う人を人間扱いしない」心理は働いている。
 その「現実」を、もうちょっと認識してもらいたい。

 自分が思うほど、自分はいい人ではないし優しい人でもない。平気で他人を差別しては踏みつけているような人間だ。
 いい悪いじゃない、好きも嫌いもない、実際、事実、現実、その通りなのだということ。
 自覚しないことには何も始まらない。

 そう思うことは多い。私自身も含めてね。

 それを差別だの何だのと「感情」でギャーギャー騒ぐと、また話がこじれていくので。
 そういうことじゃなくて。
 人は誰でもそういう心理がある。でも、それを野放しにしていてはいけない、という方向へ、社会全体が向いてきたわけです。これは、いいことだと私も思います。
 いい方向へ向いてきたなら、そういう「現実」がある、自分のリアリティはそこにある、と、自分で認められるようになればいいな、と。

 現実を認められれば、それだけでも、世の中ちょっと変わるんだろうなあ(ほんの少しでもブレーキになるから)、と。
「無意識の悪意」とはこういうものだ、というツイート2題をみて、思いました。
 ——そういうお話。
 
 
関連記事