仮想の自己像
2017年05月01日 (月) | 編集 |
 平均寿命の半分以上の年齢となってきますと、もうおめでたい話よりは不祝儀(ぶしゅうぎ)関係の方が増えてきますね。(^^;)
 
 ツイッター上で聞いたお話。
 知人のお別れの会へ行ってみたら、故人を偲ぶスライドショーがあり、故人がインスタグラムに投稿したものを並べていたそうで。
 これはこれでわかるんだけど、でも、こうしてみると、確かにそれは故人が投稿したものではあるけれど、これで故人を偲ぶとちょっとチガウことになりそう、と。

 お菓子などの写真が多いと、甘党かと思われそうだがじつはそうではないとか(たまたま、お仕事の関係でその機会が多かっただけ、とか)、アウトドア派に見えるけど全然そうではなかったとか(単に山岳写真が好きなだけだったとか)。

 そういうことは確かにありそうだな、と。

 現在ではSNS各種をそれぞれ使いこなすのみならず、同じSNSで複数のアカウントを運用するのはむしろ当たり前くらいになっている。
 趣味の関係ばかりとか、食べ物のことばかりとか猫ばかりとか花ばかりとかリアルの人間関係対応用とか(……うわ〜……)、逆にネット世界で虚構の人物になりきって遊ぶとか。
 それらの中からどれかひとつだけ取り出して「故人を偲ぶスライドショー」にしたら、ずいぶん違った人間像になるってのは、確かにありそう。(^^;)

 自分の場合はどうかなと考えてみましたが、私自身としていちばん違和感ないだろうと思われるのはやはりこのブログ。SNS じゃない。ほんっとに自分の好きなことばっかりしかも長々と冗漫に、10年以上もやってますからねー。
 この10年の間の、自分のものの見方考え方の変わりようも、ブログはよく映し出しているんじゃないかと思います、スライドショーにはなりませんが。

 ツイッターやインスタはごく最近のものと言えるくらいだから、私自身の考える自己像とは一致しないところがあっても不思議じゃないですね。
 ただどちらも、取り上げる対象があまりにもテキトーすぎてターゲットを絞っていない、誰かから、どういう特徴のアカウントかと聞かれれば、「ジャンル指定なしです」と答えるしかないような…。
 テーマは多岐にわたりますといえば聞こえはいいが、なんのことはない、ただの節操なし。(^^;)

 ツイッターではゲーム関係のツイートもRTしたりしてますが、私はアニメ漫画はまだしもゲームは全くわかりません;;
 ただ、身内や友人にはゲーマーがいたので、「見て/聞いて知っている」というところ。
 門前の小僧習わぬ経を読む、に近いかな。(^^;)

 ゲームの面白さが全くわからない朴念仁です;;
 あまりのゲーム音痴ぶりに「あんたでもこれなら面白いのでは」つって友人が勧めてくれたのは「かまいたちの夜」とか「ひぐらしのく頃に」とかで。
 ………あんたがアタシをどーゆー人間だと思ってるかはよくわかった(笑)と言っておきました(笑)
(実際には、私が推理小説が好きなので、推理もののゲームなら楽しめるだろうという判断だったらしいです)

 ツイッターを見て、ゲームの話もOKかと思われるって可能性もあるんだなあ、と思い当たると、なるほどSNSの投稿なんてのは自分の中のごく一面しか関係してないな、と。

 私のアカウントの特徴は強いていえば「雑多性」。あまりに節操がないので、テーマを絞る方がいいのかなと思うこともありましたが。
 でも、話題をある程度限定すると私自身が飽きちゃって、すぐに放置しそうです。(^^;)

 どれか一つに、一意専心、ていうの、すごいなと思います。インスタでもツイッターでも、「これがテーマ」とひとつに絞り、そのテーマについてだけ投稿する、というのは、私からみると驚異的な根気強さです。えらい。

 とはいえ、人には多面性というものがもちろんあるので、複数あるアカウントのうちのひとつだけから「故人を偲ぶスライドショー」なんぞを作られた日には、故人が起き上がって反論したくなるかもしれない。

 SNSはその人のリアリティと無縁であるはずはないけれど、でも、ある一面だけに限られている。
 SNSの投稿を見て「この人はきっとこんな人だろう」なんて思い込むのは、ちょっと危険かもしれないですね。

 もちろんその人とはなんの接触もないのであれば、その危険性も、さほど気にする必要はないでしょうけども。
 ひと一人を「立体的に」理解するのは、どのみちそうたやすいことではないってことで。
 
 
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