お金というエネルギー
2017年04月29日 (土) | 編集 |
 ツイートを引用させてもらおうかなと思って見たら、どうも削除されたようで見つからない。
 ということでこの頼りにならない記憶を頼りに書きます(;;)。

 生活苦というものがない、十分以上にお金がある人はもちろんこの世にいるわけですが、そういうのってどんな感じだろう? と。
 お金の心配をして、やりくりをして、その苦しさに思わずため息をつく。
 そういうことが全く必要ない。そんな心配はなにひとつない。
 ——そういうのってどんな気持ちだろう、と。

 まあ実際、考えてみると、人生の悩みの多くは、無尽蔵のお金があるなら苦にもならないようなことなんですよね。
 十分にお金をここに使えるなら、こんな苦労も気苦労も心配もしないで済むんだな——と考えたら、私もちょっとめまいがしたことがありますので、お気持ちはお察しします。

 人間はやはり、自分の経験、体験のないことは、想像力を働かせたとしても充分には「わかる」ものではないんですよね。
 生活苦を感じない生活ってどんなだろう——というのはなかなか、素朴だけれど切実なつぶやきで、思わず私もうーんと唸って、そうですよねえ、と思ったんでした。

 でも、お金があって生活の心配がない境涯になれたとしてもですよ——お金持ちにはお金持ちの、悩みも苦しみも苦痛も心配もあると思うんですよね。
 心配というのは目で見えるものじゃないけど、もしもそれを可視化できるとしたら——、案外、お金があってもなくても、自分が感じる苦しみの「量」は変わらないかもしれません。

 仕事の上でも成功して、お金もあって、ご家族にも恵まれていて、なんの不足もないと見える人が薬物中毒になったり、自死したりということもあるのがこの世という場所。

 たしか何かのお経にある例え話だったと思いますが(お釈迦様はたとえ話がお上手なんですよねえ…)、人間のこの世に存在することとは、杭に繋がれた犬のようなものだと。
 動かせない杭に、縄で繋がれている。その綱の長さは違いがあって、本当に身動き取れないくらい短い綱で縛られていることもあれば、ある程度——何メートルかは動ける、という長さのこともある。
 けれども、綱につながれて制限されている、という苦しみ自体は同じ。という。

 私個人のかすかな経験としては、——私はその昔は、家事をやってくれる家政婦さんとか来てくれたら楽だろうなと漠然と思っていましたが——、父の病気の関係でヘルパーさんが来てくださるようになったとき、私は、浅はかだったと思いました。
 
 もちろんヘルパーさんが来てくださるありがたさというのは言葉では言い表せないほど。
 とはいえ、家の中に、家族でもない「他人」がいる、ということにはストレスがある、ということを、初めて知ったんでした。
 私には、予想もしていなかった驚きでしたねあれは。

「源氏物語」中には身分ある姫君に必要な素養というものを源氏君があれこれ喋る場面がありますが、なるほどなあ、と思ったのは、人に対して(いい意味で)鷹揚であることというのがありまして。
 身分あるお姫様となれば周囲に常に人がいる。大勢の人が自分に仕えている。偉い人だから威張っていればいいというのは庶民の考えで、いかなエライ人といえども、身近な人とうまくいかないようでは、生活にも支障が出る。

 あまり他人に対しての好き嫌いを言わず、おおらかに対応する。これは「人を使う」立場にある人に必要なことなんですね。
 使われる側も苦労があって大変ですが、人を使う側にだって、苦労も心配もある。

 そう思ったとき、しみじみと、お金持ちにはお金持ちなりの苦労、心配、心労もろもろがあるんだろう、庶民の気楽さ、これはこれでいいものなんだな——と思いました。

 その立場にならなければわからないことって山ほどある。
 であれば、やたら人さまについて羨ましがったり妬んだり嫉んだりってのは意味ないな、と。


 余談ですが、お金についていうと、これ、そのうちにはだんだんこの世からその苦労は消えていくという予測があるんですよね。
 今、ベーシックインカムなんてことが一部で言われ始めていますが、お金は誰もがふつうに手にするようになっていく、と。
 インターネットが「情報の公平性」を実現した(しつつある)ように、お金もまた、誰にも流れていくようになる、と。

 これは寝言を言ってるわけじゃなくて、物理学の方で大真面目に、ビッグバンから始まって拡張を続ける宇宙という視点から、知的生命体をこの宇宙の中で探すとき、エネルギーを活用する「文明」の「痕跡」を手掛かりにする、というものがあるんですね。ホントですって;;
 1960年代にロシアの物理学者ニコライ・カルダシェフ博士が提唱したものがそれです。

 文明が発達した星ほどエネルギーを活用しているのでその痕跡を見つけやすくなる、という理屈らしいんですが(エントロピーの法則から)、——タイプ1〜3に文明をランク付けしています。
 高度の文明であるほどエネルギーを活用できる、というのはわかりますよね。その分類では私どもの地球はタイプ1ですらない、そうです。(^^;) あたしら未開の原始人なんですな。

 高度文明はエネルギーを偏りなく使用する、ということはつまり、情報であれお金であれ、広く公正に活発に利用する。
 実際、いま、お金は仮想通貨なんてものも出て来て、兌換紙幣という「物体」の状態から、電子化されたエネルギーになって来ている。そのうちには現金なんてなくなる、そうです。

 そういう時のお金の概念は現在のものとはまるっきり違うものになるでしょうしその時には、それこそ「お金の苦労」なんてものも——高度な文明においては——なくなる。と。

 それはもう、相当、遠い未来の話でしょうけれども、まあ、そんなことを考えて、お金から一瞬でも苦しい心を離すのもいいかなと。

 そう思って、こんな戯(ざ)れ言。(-∀-)
 
 
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