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2017.04.22 (Sat)

この世の名残に

 明日はお出かけのため、こちら、たぶんお休みします。
 出かけなくてもいいかもしれないんですが、ちょっと定かではない。行かないで済むかもしれないけど……その可能性は低いかな。(^^;) てことで。

         ●

「#自分の葬儀でかけてほしい曲」
 先日ツイッターのハッシュタグでこれ↑ を見つけて、へー、と思いまして。
 皆様の回答が、真面目なものから大喜利化しているものまでいろいろで、なかなか楽しい♡ よかったらちょっと覗いてみてください。

 私もちょっと考えてみたけど、特に希望はない。というのは、葬儀というのは生きている人間に必要な儀式だと思っているから。生きている人が好きな曲で、楽しんでね、という感じ。

 葬儀なんぞなくていいという人もありますが、それも心得違いというもの。本当に天涯孤独、誰とも関わることなく世を去るひとならいいですが、そういう人ってあんまりいないと思いますね。
 近親者や友人などを思い浮かべるから、自分にはそういうのはないので「無縁さん」だと思っちゃうんでしょうが、深い森の中で隠棲しているとかではない限り、——アパート住まいででもあるいは入院中ででも、周囲に完全に人がいないということはありえない。

 人はどこでどうお世話になったりなられたりするかわからないもの。親しいということはなく、ただ時折、近所のスーパーでお見かけするだけ、みたいな「関係」でも、「関係」であることにはかわりない。
 うまいこと葬儀の日時を知らせることができるかどうかはともかくとしても、でも、お亡くなりになったと聞いて、ひとまず香典を持って伺いたい、という人はあるかもしれない。

 日本は儀式となると大抵はオープンではありませんが、こと葬式だけは例外で、ほとんどゆきずりみたいな人でも訪ねられればさあどうぞと受け入れることになっている。

 これは故人がどこでどういう付き合いがあったかは遺族でも完全に把握しているわけではないということもあるし、それこそ、顔見知り程度の人であっても、お別れのご挨拶をしたい、という人がいる場合もあるから。

 葬儀というのは、人生最後の締めくくり。
 別れの儀式であればなおさら、「けじめ」というものが、生きている人には必要。

 けじめなんていうと嫌な顔をされるかもしれませんがでも、人の気持ちというのは、理屈や合理主義とは別次元のことだからしょーがない。
 さほど親しくもない近所の人でさえ、やはり、最後のご挨拶に行けたときとそうできなかったときとでは、こちらの「モヤモヤ」ぶりが違う。私もそういう経験をしているので。

 親しい親しくないではなく、確かにあった存在とはこれ限り、という気持ちの区切りは、必要なんですよね。

 面白いなと思うのは、死後の世界は信じない、というのに、「自分が死んで、夫と同じ墓に入るのはイヤ」だというような人。
 私は輪廻転生も死後の世界も信じていますが、「自分はもう死んじゃっててこの世の人じゃないんだから、生きている人のいいようにすれば」と思う。
 反対に、人は死んだらそれっきりという人が、死後の自分のお骨の心配をしている。

 どうしてなんでしょうね(笑) 

 だって死んじゃったらそれっきりだと思ってんでしょ? なのにどうして「夫と同じ墓はイヤ」だなんていうのさ。死んだらもう関係なくなってんじゃん? ——と思わずケタケタ笑ってしまい、イヤな顔をされたことがあります(笑) ………ごめんよ、でも実際そうでしょ?(笑)

 ちなみに、遺灰を撒いてしまって墓など持つな、ということに私が反対するのは、親のそういう遺言に従ってはみたものの、これはもう人としての本能的なものじゃないかと思いましたが、どうにもこうにも、「親の遺骸を”捨てた”」罪の意識に苦しむ人をみたことがあるからです。

 なんて罪深いことをするのだ、と、私は故人に対して無茶苦茶腹が立ちましたね。
 墓を持たずに済ませるかどうかは、子孫がいるならそちらに任せればいい。あとは任せたよとだけ言えばいいのに、律儀な孝行息子なればこそ、泣きながら親の遺言に従い、そうして、理屈ではない、心の深いところから湧き上がる、取り返しのつかない罪の意識と後悔に苛まれていく。
 何という不合理。
 何という自分勝手。

 ……テメエの死んだ後のことなど、もう自分には関係のないこと。生きてこの世にいる人のいいようにしてもらえばいいはず。
 まして自分は日頃から、霊も魂も信じないと言ってるのに。

 あれはいったい、何の執着なんだろう。

 
 なんてことをつい、思い出してしまったタグのお題でした。

 私も生きることには熱意はなくても、この世を去ることについてだけは熱心で、もう葬儀の手配も何も準備万端状態。おそらくは無縁さん状態であろうとは思われるものの、昨今はやりの「家族葬」というのがかなり「感じ悪い」ものであったので、小さくてもいいので従来型のオープンな葬儀コースで組んであります。

 あの家族葬ってねえ——、あるいは葬儀会社によって違うのかもしれませんが、感じ、悪かったんですよね。
 たとえこの世での付き合いは浅いようでも、最後のご挨拶をと思ってきてくれた人を門前払いにするなんてのは感心しませんやね。
 ということで、私自身は従来のオープン型で。

 で、BGMはというお題だったので、「いやそりゃもう、そこにいる人が好きな音楽でもかけてくれればいいよ」と思いました。
 特にないというのなら、静かにしていてもいいし。

 人の矛盾は多くありますが、これもまた、その辺が見えて面白いことだな、と思ったハッシュタグでした。
 ツイッターのハッシュタグって、ときどき面白いものや考えさせられるものがあります。

 皆様は、ご希望の音楽、おありでしょうか? (*´ω`*)
 
 
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タグ : 人間

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