知らないことがあると知る喜び


 たまたま前日の夕刊で、とある噺家(はなしか)さんがコラムに書いてらしたのが、本屋さんに行くと自分が買ってない本がこんなにある、という感覚になる、ということ。
 ああそうそう、そうなんですよねー、と。

 本屋さんどころか親しい友人でさえ、その本棚を見せてもらうと、世の中にはこんな本があるのかと思うものが見つかります。
 親しいはずの人でも知らないことは多いな、というのと、ここはさすがに友人だからというべきでしょうが面白そうな本があって、「ちょっと読ませてもらっていい?」となる。

 どんなにエライ人で頭脳明晰の人でも、この世にある全ての本(自分の母語の本、と限定してさえ)を読み切ることはないし、ましてその内容すべてを理解できるはずもない。

 この世は知らないことで満ちている。——博覧強記(はくらんきょうき)(広く書物を読みよく覚えていること・さま【大辞泉】)と言われる人でも——、というよりそういう人の方が、「世界は”知らない”で満ちている」ことを実感していると思うんですよね。

 博覧強記と言われて私が思いつくのは、お亡くなりになりましたが小松左京さんと、荒俣宏さん。
 まーとにかくなんでもよくご存知、ただ雑学程度に知っているというのではなくて専門家にロングインタビューができるくらいの知識レベル。
 それがものすごい勢いで、あのジャンルこのジャンルそのジャンル、とジャンルの垣根を超えてどんどんリンクしては広がっていくんですからある意味オソロシイ(笑)

 でも、そういう人の方が「知らないことはいくらでもある」ことを知っている。

 井の中の蛙大海を知らずと言いますが、——自分でこれくらいでいいや、と言って満足しようと思えば、いくらでも小さいところで満足できるんですよね。
 それが悪いということじゃない。狭いかわりに深く掘る、という人もあって、これはこれで素晴らしいこと。

 でも、井戸の他にも世界はある、ということを知らず、井戸の中の「常識」だけで他人を裁く、というのは感心しない。
 感心しないけど、世の中はそんな人ばっかりだな、とも思ってます。(^^;)

 知らないことがあるとわかったときはむしろ喜べ、というのが私の思うところ。

 糸井重里さんに向かってそーゆーことをいうアホがいるのか、というのは、身の程知らずと言うにも恐ろしいものがありますが、でもこういう人、多いよねえ。
 くだらないことで鬼の首でも取ったように得意がる人。
 琵琶の名手、蝉丸法師と、ずーずーしくも最後まで合奏して得意がった下手っぴ野郎の逸話を思い出しますね、こういう話を聞くと。

 聞くは一時の恥,聞かぬは一生の恥、ということわざが私は好きで。
 こんなことを聞いたら恥ずかしいかしらと思う気持ちはあるので、そういうとき、このことわざを思い出します。

 知らない、というと大げさに驚いたふりをして見下してくる人があると、ちょっと恥ずかしくなって、聞かなきゃよかったと思うこともあるでしょうが、でも、そういう人が誰だったかはよく覚えておくといいですよ。
 何年か経つうちに、ちょっと面白いことに気がつきますから。

 わからない、知らない、と思って、なおかつ興味が引かれたなら、それはなんですかと尋ねることはお勧めしたい。
 そのうち周囲にもそういう態度が認知され、もはやいちいち馬鹿にされることもなくなりますから大丈夫です(笑) あまり度重なると馬鹿にするのも手間になるのか、それとも、あいつはああいう奴だからと諦めモードになるのか、あんまり、だからどうっていうリアクションもされなくなる。

 ネットでは——、うーん、そんなことも知らんのかというのはいわゆるクソリプってものでしょうから、無視でいいんじゃないでしょうか。
 でもあんまり無礼だと、ご本人よりも、ハタで見ている他人の方がムカッと来たりしますよね(笑)

 知らないことは恥ではない。ここで知れてよかったじゃないですか、というのと、ひとつことを知ると、そこにまた知らない扉があることに気がつくことも多くて。
 楽しいじゃありませんかそういうの。

 そういうことを楽しめる人が増えて、クソリプ飛ばすやつとかマウンティング好きなやつとかが絶滅危惧種くらいになると、また世の中は面白くなりそうだな、と。
 そんなこともちょこっと妄想してみたり。
 
  
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