つまり脚下照顧
2017年04月05日 (水) | 編集 |
 明日はまたちょっとお出かけのため、こちらお休みします。m(_ _)m

        ●



 ただ世代や年代だけでくくるのも乱暴な話だとは思うんだけど、でも、「完全に同意」と思って拝見したツイート。

 ただ一点、「一番問題あるのが我々世代」、というのには、ちょっと違うように感じてはおりますが。
 問題というのならそれはもう、それぞれの世代にあることなので、どれかの世代だけが「いちばんの問題児」ってことはない。と思ってます。
 
 ただ、50〜60代は社会の中核になっている年代なので(実質的に”権限”を多く持っているということですね)、社会への影響は小さくない。
 権限を持つ人の決定によって社会は動いていくわけですから、問題の程度は他世代と同じでも、そこから社会へ及ぼす影響はある。そういう意味では「いちばん」考えなきゃいけない、とは言える。

 昔から「イマドキの若いものは」という愚痴と、若い人たちの、おじさんおばさんに対する「差別」意識は嫌いで、それは今も変わっていない。
 そういう中で、かつてはおじさんおばさんの悪口に「熱中」していた連中が、今は自分が立派なおじさんおばさんになってどうなったかというと、「イマドキの若いものは」を熱心にいうわけですよ。なんかもうね、同世代として、なんとも言えない、情けな〜い気持ちになるんですよね、あの姿。
 
 人間てのは全くどこまでいっても、ホンットに救われない生き物だよな、とクサっていたところだったので、上記ツイートには、「こういう人もいる」と、心慰められた思いです;; 本当に;;

 このツイートについたリプに、「うちの親父も同じこと言ってる」というのがあり、やっぱりそういう人も、いることはいるんだ〜、とちょっとホッとしたり。

 以前にも書きましたが、こういう認識ができること——「知性」って大事だなあ。と。
 知性とは何か、を、ズバリ一言で定義するのも難しいと思いますが、
知性とはメタ認知(ができること)である
 と喝破した人がいて、なるほど、と思ったのが先日のお話。

 自分がどこにいて何をしているのか。——自分自身を、離れた場所から眺めたり観察している自分を持つ。
 知性とはこういうもの。
 自分が井の中の蛙なら、井戸の中から空を見上げている自分と、井戸のから、自分はああいうところにいて、あんなことをしてんだなあ、と、見ている自分の、両方がいる。

 そう言われて思い浮かべるのは、世阿弥の言った「離見(りけん)の見」という言葉。
 能という芸能をほぼ完成に近いところまで持っていった世阿弥は、舞台上で歌い、舞い、そういうことへ没頭しながら(”我”というものを無くしながら)同時に、冷たいほどの視線で、「外から」、自分の謡や舞の様子を観察するという境地ですね。

 これは正確には、メタ認知とはまたちょっと違うのかもしれませんが(没我しながら、”没我している自分” を他人の目で見る、とは;;)、でも、そういうイメージ、ってことで。

 イマドキの若いものは、というくだらない愚痴を言うのではなく、そういう自分たちがどうなのかを、ちゃんと見て判断する人はいる。
 こういう人がもうちょい増えてくれるといいんだけどなあ。ほんとに;;

 お若い人にお願いしたいのは、「イマドキの若いものは」という愚痴がくだらないと思うなら、自分はそういう愚痴を言わない、「知性ある」大人になってください、ということですかね…。

 連鎖する世代間の不幸を、どこかで食い止めるか、あるいは徐々に小さくしていければ、人類の未来も明るい。
 そのように思います;;
  
 
関連記事