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2017.04.02 (Sun)

2種類の人間

 なんの話題のときだったか、「この社会は2種類の人間のせめぎあいのよう」だとおっしゃった方がありまして。
 なにか事件や事故、苛酷と思える経験をしたとき、
「他の人にはこういう目にあって欲しくない」
 と思う人と、
「他人を同じ目にあわせてやりたい」
 と思う人間の、2種類がある、と。

 学生の頃なら部活の理不尽な先輩のシゴキに、やだなと思うところまでは同じでも、自分がその先輩の立場になったとき、後輩には同じ目にあわせまいとする人と、自分と同じ目にあわせないと気が済まないという人がいるわけですね。例えば。

 これは意識して同じ目に合わせようということじゃなくて、たぶん、本人はほとんど自覚してないことが多いと私は思ってます。
「自分と同じ目にあわせないと気が済まない」人に、自分がそういう目にあって嫌だと思ったことを、なぜ他人にするのかと指摘して、ものすっごい怒られた経験が何度かあるからです。(^^;)

 で、私に向かって怒りながら、「自分がどれだけ正しいか」を主張する。
 彼らには彼らの言い分がありまして、その時は理不尽と思ったシゴキも、後から考えるとちゃんと意味はあったしいい経験だ、必要なことだ、……といった具合ですね。
 ま、そんな屁理屈を聞かされて納得するような私でもないんですが(笑)

 人間の脳みそが他の動物とは異なる最大の特徴は、大きく発達した新皮質と呼ばれるものにある。新皮質は、ただ生命体として生きていこうというだけではなく「よりよく」生きよう、という指向性があるんだそうです。
 より良い人として、より良い人生を。と。

 つまり「いい人」でいよう、いい人になろう、という意欲がある。

 それは大変けっこうなんですが、なにかと未成熟で不出来な人間のことですから、実際には「よくない」ことをすることも多い。
「シゴキ」と称して理不尽に他人を傷つける、みたいに。
 
 意識のどこかでは、これは「いい人」のやることじゃない、自分は「いい人」ではない、とわかっているけれど、「よりよく生きたい」という欲求もあり続ける。
 よりよく生きたい、自分はちゃんと「いい人」なんだと思いたい、でも現実に自分がやっているのはこんなクソみたいなことだ——

 こういうときに出てくるのが、私が聞かされた「屁理屈」ってやつ。
 目的は自己の正当化なので、「本当のこと」ではないし、本来の意味での理屈にもなってない。

 気の毒な人々ではある。それは認めます。

 でも、彼らは自分に嘘をついている。よりよく、美しく、立派な人でありたいという欲求を「正しく」使っていない。この嘘は、いくら自分を騙そうとしても目隠ししても、——他人は騙せても自分は騙しきれない。
 だから意識の底では葛藤になり、イライラと心底を刺しつづけている。
 それを、たまに私みたいなのが馬鹿面さげて、
「なんでそんな嘘を言うの?」
 なんて正面から言うんだから、そりゃー怒りますよね。
 長時間正座したあと足を伸ばしたら、しびれていて、ちょっと触られても痛い(あれ本当に痛いんですよね〜;;)。そんなときに「え? 足が痺れたの? 大丈夫?」とか言いながら遠慮なく足を踏みつけてくるみたいなもんでしょう。ひどいヤツですよ(笑)

 こういう葛藤や怒りは誰だって経験することだから、そのこと自体を、非難する気はないです。
 でも、非難はしないにしろ指摘はするし、バカなことをするなと止めもします。
 なぜと言うに、——これは社会にも他人様にも「迷惑」になるから。

 たまたま部活の後輩になったというだけの、なんの恨みもない赤の他人を、「かつての自分と同じ目にあわせてやろう」という自分の勝手な意図で傷つけることが、迷惑でなくてなんでしょう。

 自分がちょっとひどい目にあったとき、他人には同じ目にあわせまい、まして自分よりも立場の弱い人がいるなら守ろうと思う方が、「よりよく」生きたいと願い求める「本能」には合致するし、忠実ってもんです。

 でも現実は、何かあったとき、自分と同じ目に合わせようという人と、他の誰にも、こんな目にはあわせたくないと願う人との、衝突ばかりになってる。

 世の中にはいろんな主張があり、考え方があって、それぞれいちおうの理屈は提示してきます。
 それらを全てマトモに聞いてしまう真面目な人の中には、なにが「正しい」のか、と思い悩む人も多いようですが、ものごとをシンプルにして捉えなおせば、この「2種類の人間のせめぎあい」の構造が、見えてくるでしょう。

 その理屈は、誰かを思っているからなのか、それとも他人を傷つけようとしているのか。
 表面の理屈ではどちらも同じに見えるでしょうが(こういう偽装が、新皮質は得意なんだそうです)、でも、よりよく生きられるものなのかどうか、という考え方から眺めれば、ちゃんと切り分けていけるはず。 

 これは必ずしも事件や事故の当事者ということではなくて、ものの感じ方、考え方、物事に対する「心の姿勢」が、どちらのタイプか、ってこと。

 自分はそのどちらにいるのか、どちらにいたいのか。

 それを見誤らなければ、まあ、なんとかなるかなあ——と。
 最近では、そんなふうに思ってます。
 
 
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タグ : 人間

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