「よみうり」の終わり



 身元不明者の情報を求めるときとか、事故のニュースを聞けば安否を知りたいという人が大勢いるだろうとかいう場合は、被害者・犠牲者の氏名が報道されるのは仕方のないことだとは思いますが、それ以上の必要はないんですよね。

 これまでもたびたび言われてきているはずですが、加害者は法律で保護されるのに、なぜ被害者には人権のカケラも認められないんだろう。

 昨日も私がこの手の「報道」、ワイドショーには文字どおりブチ切れるとお話し致しましたが。
 なぜ、被害者・犠牲者にはなんの権利も認められないと思うのか、一度、報道機関からの、まとまった見解を求めたいところですね。

 ちなみに。
「知る権利」というのは認めないものとします。

 少なくとも加害者と同等に、本質的には加害者以上に保護されるべきところ、なぜ、報道という「権力」が、ああも寄ってたかって被害者を虐待・迫害するのか、その正直なところを聞きたいですね。
 どうせもう何を聞いても腹がたつだろうとは思っているので、(^^;) そういう意味での「申し開き」を求めているわけではございません。

 私の脳みそもなかなかのもので、「それも一つの理屈である」と思えば、自分の賛否は別にして、一応、記憶するしその「筋道」は「理解」するんですよね。
 我ながらすごいなと思うのは、例えば「放射脳」みたいに、物事の筋道としては崩壊しているものについては「何言ってんの?」で終わってしまいます。

 盗人にも三分の理、と申します。報道機関のああいうふざけた「伝統」にも、それなりの「理屈」はあるんだろうと推測しますが、それがどんなものかは私には想像できない。
 いいんですよ別にそれが俗臭(ぞくしゅう)芬々(ふんぷん)たる、身もふたもない、お金やドロドロの現世利益の話でも。
 それも一つの筋道だと思えば、私は飲み込む。
(理解する、という言葉は、同意も賛意も意味しない)
(意味すると思っている人も多いようですが、そういう筋道の理屈なんですね、とわかることと、賛意同意は全く別問題です)

 何をどうすればああいう、地獄よりもさらに下った魔界レベルのひどいことが平然とできるのか、その道筋を聞いてみたい。
 だから、知る権利がどうとかいうキレイゴトや建前は要らない。
 たとえ、聞いた方が思わず反吐を吐くようなことでも、それが「現実」ならそれでいい。とにかく、「現実」にあるその筋道を聞かせてもらいたい。

 それを聞けば、少なくとも今よりは、幾らかの対処法も見つかるかもしれない。
 
 被害者で作る団体などもこれまでもさんざん、ああいう情報を好き放題に垂れ流し、人を苦しめることには反対してきたはずですが、全くなんの効果もないというのが、残念だけど現実。
 それはつまりは、反対の声をあげても、その非を指摘しても、それらは「的外れ」でしかないってことでしょう。
 報道側の非道の「筋道」を知れば、幾らかでも効果的な何かを見つけられるかも知れない——というのが、私の目的とするところです。

 で、冒頭に引用しましたツイートで、ああそうだなぁと思ったのは(自称・報道における)「物語は要らない」「望むならもう自分たちで発信できる時代だ」というご指摘。

 これはこれで問題も危険も含んでいることなんだけど、でもこうなりますと、「望めば自分で発信できる」というのは、これまでにはなかった武器になり得るんだな、と。

 もういい加減、江戸時代の「よみうり」(かわら版とよく言われる)意識を終わらせるべきところへきているのかなと思います。

 震災以後、安心・安全という言葉が大嫌いになったんだけど、報道・情報という言葉も、聞けばクソクラエと思うようになりましたねえ。(^^;)
 
 
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