不定期に爆発
2017年03月29日 (水) | 編集 |
 マスコミというのは一度ぜんぶ、業界そのものを「ゼロベース」にしなきゃいけないんじゃないか、と、非現実的なことを、でもかなり真剣に考えてしまいます。

 栃木県那須町での雪崩事故。
 日経新聞の記事を読んで我が目を疑ったのは、お亡くなりになった方についての部分。
 正確に文章を思い出せないので要旨のみですが、
「亡くなった〇〇さんの父親、〇〇さんは、その心情を聞かれ、しばらく無言ののちに『今はこれが現実だとは思えない』と言った」
 というもの。
 読んだ一瞬、は? と思い、思わず二度見、三度見し。
 思わず新聞を持つ手が震えましたわ。
「『その心情を聞かれ』って、………そんなことをこの人に聞いたのか!」

 久々に大爆発しました私も。

 この「発作」、何年かに一度はあるんですよね。
 とはいえ、東日本大震災以後はその発作の規模も回数も半端じゃないことになっていて、もうまともに、いわゆるメディアなんてもんは見聞きしなくなっていたので、その結果として、しばらくは静かだったんですが。

 一人息子さんを亡くしたお父様に「どんなお気持ちですか」とでも聞いたのか。どんなツラ下げてそんなことを聞けるんだ。そんなことを聞かなきゃわかんないのか、そもそも聞く必要が1ミリでもあるのか。
 ——貴様、それでも人間か。と。
 手が震え、声も出せない大爆発。

 テレビをつければ、ネット上では庶民が呆れ果てて見切りをつけた籠池氏の虚言、詐欺をめぐる話を続けているし、本当に、頭か精神のどちらかあるいは両方がイカレているとしか思えません。

 先日は放射能についてのデマを垂れ流したマスコミは何の反省もない、この連中が反省などしたことは一度もない、反省がないなら進歩も改善もあるわけない、と、マスコミの「体質」を一刀両断にしているご意見を拝見して、その通りだねえと思っていたところですが。

 結局、どこかで関わる人が変わることによって新陳代謝が起こればいいのですが、新しいはずの細胞さえその業界の中にいることで古い細胞に同化してしまい、おかしいことをおかしいと感じることさえなくなっていくようです。
 であるならば、現在のマスコミやそれに関する人々を一斉に「消去」するしかないんじゃないだろうか、と、——現実的ではないことは承知しながら、考えてしまう。

 私は高校生のときにはすでに朝日新聞を毛嫌いしていた記憶があるんだけど、あれはどうしてだったのかなあ……。何か、不信感を持つようなことがあったんでしょうけども。
 ワイドショーとやらについては、やはり20年ほどの前のことでしょうか、なぜか民放各社、朝っぱらから毎日、通夜と葬式の録画中継してたんですよね。で、参列者や関係者、ご家族に無礼にマイクを向けて「今どんなお気持ちですか」。

 言霊信仰というほど強いものではないけれど、私も言葉や、言葉がもたらす「イメージ」の影響力はあると思っています。
 そういうところから考えると、毎日毎日、朝に晩に人の気持ちを暗いものにさせる、——無神経に他人を傷つけて回るものを見聞きしていて、精神衛生に良いわけないんですよね。

 何年かに一度は爆発する私ですが、現在もそんな感じ。

 どうしてこれほど人間性を破棄できるのか、いつものことだけれど信じられない気持ちになります。
 どうせ中身のないものを垂れ流すなら人の心を明るい方へ向けるようなものをと、それくらいの心がけもできないのか。その言葉の大半が嘘と虚飾であるなら、同じことならせめて、人の心を軽くできるようにしたらどうなのか。

 他人の不幸は蜜の味というのがマスコミ連中ではありますが、結局、ああいうものを許しているのは、彼らの「商品」を買っている人々ですから…。
 マスゴミなどと言って見下す気持ちもわかるけど、結局、マスゴミは、その国の人々の姿を映しているものでもある。

 そう思うとなかなか、これまた暗い気持ちにもなります。

 自分にできることは、せめてああいうものに染まらないこと。
 孤塁を守ると言ったら大げさですが、
 自分の中にある小さな良心。
 せめてこれだけは守っていきたいと、願う次第。

  
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