100年インタビュー・前奏

 時代は変わりましたよエエ…、と思わず感慨にふける。
 小田さんがNHKで長々と喋る日が来ようとは。

100年インタビュー
 時は待ってくれない「アーティスト 小田和正」

http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/588/2387159/

 予約録画をして、最初の20数分しかまだ見てないのですが…、その冒頭部分だけでも、思うことがありまして。

 その昔——中学生の私は、小田さんはファンとの距離をあまりにも広く取る人なんだなと思っていました。
 馴れ合わない、というのはいい。でも小田さんの場合はそういうことよりももっと距離がある——冷たいとは言わないけれど、ファンという人々を「信用していない」感じ。
 アーティストとファンというものの関係を、ビジネスライクに割り切っている人。そう思っていました。
 
 それが今や、ライブでも長々喋るわ、笑いを取るわ、ツアーではいく先々で「ご当地紀行」をやるわ、——会場では花道があるわ、360度お客さんに囲まれているわ、走り回るわで……。
 中学時代の私があの小田さんを見たら、顎が外れんばかりに驚くでしょうね。

 私は別に、ビジネスライクで割り切っているアーティスト、それはそれでいいと思ってましたが、それが大きく変わったのは、あの大きな交通事故の後。

 あの時を境にしての心境の変化を語るのを聞くのは今回が初めてではありませんでしたが、今回は、デビュー前から続くお話の流れの中で聞いたので、なるほどなあ、と腑に落ちるところがありまして。

 ご本人はインタビューの中で、あの事故のとき、命さえ危ぶまれた大怪我で、もう音楽はできないのかなと思っていた、とお話しなさいまして。
 そういう中で、「いわゆる」ファンの人たち(小田さんのお言葉。こういう表現でしたね)から、「とにかく生きていてくれるだけでいい。助かってよかった」というメッセージをたくさんもらった、と。
 感動した、と。

 ああいう方なので訥々(とつとつ)とした言い方ですが、本当に、それは、生死の境をさまよう人には強く響いたようです。
 で、以後、あの冷たさはなくなり——「素直になった」、ということでした。

 今や私も30年前の小田さんよりも年上になり(笑)、そうなると、見えてくるものがありまして。

 小田さんは——若かりし日の小田さんは「冷たかった」のではないのだな、と。
 この人は、誰かから愛情を寄せられても、それを「受け取れない」ところがあったんだな、——そう思いました。

 理由はいろいろあると思いますが、それが何にしろ、小田さんは、大勢の人からの好意を寄せられても、それは自分が、例えばその人たちに「受ける」音楽を届けているからであり、この条件がなくなれば、つまり音楽が作れなくなったり、あるいは彼らの求める好みの音楽ではなくなったりすれば、たちまち見捨てられるのだという思いが強かった——のではないかと、ふと、思いました。

 そういう側面もあるでしょう。でも、ファンというのは不思議なもので、そういう「自分にとってのメリット」を与えてくれるなら好きでいましょう、というところを超えちゃうものなんですね。
 それをよく表したものが「(音楽家としては再起不能でも)(とにかく)生きていてくれるだけでいい」、という山のようなメッセージだったんでしょう。
 これが、小田さんの何か頑なだったものを溶かしてしまった——、そういうことかな、と思います。

 これはもうずーっと以前から私が考えているテーマの一つなんですが、「愛情を受け取る」問題。
 人から愛情を与えられても、
「自分にはそんな資格は本来はない」
「この人の好意は、自分がこの人にメリットをもたらしているからだ」
「利用価値がなくなれば打ち捨てられるのだ」
 という、不信感と警戒心から、どうぞと言われても、どうもとは受け取らない。
 こういうことは、結構あるんだなあ、と。

 こういう人は、自分は誰からも愛されない、なんていう。はたから見ている他人からしたらびっくりですよ、あれだけ愛されまくってんのに何を言ってんの? と思うくらい。
 でも結局、何を差し出されても本人が受け取らないなら、本人からすれば、それは「自分には与えられない」、ということになる。

 素直になれば——心を開けば、ちょっと尋常ではないほどの愛情があることに気づく。
 それなのに。——

 小田さんが経験したのは、そういうことだったんじゃないかな、と思いました。

 与えられていても、本人が受け取らないなら、与えられていないのと同じことになる。
 でも、自分が受け取り拒否をしているのに、誰も与えてはくれない、ってそんな言い草があるか、と、他人は思う。

「主観」のスゴイところですよね。自分の心ひとつで、あるはずのものが、なくなってしまう。
 自分で自分を追い詰めているだけなのに、どうかしたら他人を恨むことさえある。
 
 素直になる、心を開く。
 簡単なことのはずだけれど、でもなかなか、難しいところでもある。

 愛情を求めて、強い飢餓感で苦しむ人は多いけれど。
 せっかく誰かが差し出してくれたものがあるのに、顔を背け、かたく目をつぶり、手をぎゅっと握りしめて受け取ろうとしていない。
 それなのに、誰も自分には与えてくれない、と嘆き、恨む。

 ギブアンドテイクと言いますが、この「テイク」ができないばっかりに、多くのものを取りこぼしている。
 テイクは誰にでもできることだと思ってるけど、そうじゃないのかもしれない。受け取るには、受け取るための姿勢がないとね。

 そっぽを向き、両手を固く握り締めたままの人に、どうやって与えたらいいのか、と、与える側も途方にくれて、最後にはあきらめて立ち去ってしまう。
 これはあまりにももったいないことですよね。
(それでもあきらめないで、いいから持っていきなと言って服についているポケットというポケットに飴ちゃんを押し込んでいくおばさん、という「強い」存在も、世の中にはあるっちゃありますが・笑)
 
 あの交通事故は、そういう意味では、「ありがたい」出来事だったな、と思いました。
 
 与えることと受け取ること、双方のバランス。
 そこに開眼して以降の小田さんの柔らかさを、あらためて、ファンとしてはありがたく思う次第。
 
 
関連記事
プロフィール

みずはら

ブログ内検索
最新記事
リンク
地球の名言

presented by 地球の名言

カテゴリー
RSSフィード
月別アーカイブ