知性とは?
2017年03月17日 (金) | 編集 |
 先日の「コンビニはエロ本を売らずにオムツを売れ」にしろ、放射脳にしろ、児童ポルノの取り締まりに当たって、現実の被害よりも2次元のフィクションの方を「重要視」する人にしろ、——ああいうのってよーするに、「知性の働きがない」状態なんだなと気がつきました。

 現実や事実関係を無視して自分の妄想や主観や感情「だけ」で世の中を裁断している状態。
 そこにあるのは感情と情緒と妄想だけ(つまり偏見)であり、知性のかけらもない。



 現生人類つまり私どもの学名は「ホモ・サピエンス」と申します。意味するところは「知恵ある人」です。
 知恵を働かせるには当然、知性が必要ですね。
 知性があるから私どもは他の動物とは違うんだ、つって威張っているはず。
 つまり、知性の持たないものは、姿形は人類であっても人類ではないのでは?



 自分がどんな「認知」行動をしているかを、自分ではっきり自覚することはかなり難しい。
 難しいと言われて、そうかなあ、と思うなら、自分とは異なる意見を見聞きしたとき、「それくらいのこともわからないのか、常識だろう」などと言って頭ごなしに他人を裁いたことはないか、自問自答してみるとわかりやすいでしょうね。

 自分の常識は他人の非常識。常識と思い込んでいるだけで、他人に聞いてみると意外と賛同者がなくて全然「常識」じゃない、ということに愕然とした経験、誰でも1回くらいはあると思います。
 そのとき、ハッとするんじゃないでしょうか——「もしかしたら、自分の考えって間違ってる?」と。

 あれ? と思ったら、あれこれ検証を始める人も多いでしょう。自分は何をどんな風に考えているのか、と。
 いわば「自己診断」を始める。
 この自己診断が、知性の働き、というものじゃないでしょうか。

 知性とは「メタ認知」のことである、というのを、最近お見かけしまして。
 例によってどなたのご発言だったか思い出せませんが、——なるほどな。と思いました。

 一言で知性と言っても説明しにくいものですが、要はメタ認知が知性の働きだ、と言われれば、それで大体、どんな場面でも説明がつく。

「メタ」というのは「間に」「超えて」「高次の」と言った意味。
 ちょっとイメージしにくいですが、ひとつだけではなく、複数の視線がある、というイメージかな。

 認知は「わかること」「知ること」「認めること」。そこに「メタ」がくっつくと、自分の考え方があって、その自分から少し離れたところから、自分を観察する自分——自分を超えたところにいる自分の視線、といえばいいでしょうか。

 例えば、強い怒りを感じているとき、
「自分は強い怒りを感じている、と(冷静に)認識する」
こと、これが「メタ認知」。
 自分がどんなふうにどうやって物事を認知しているのか、を、まるで外側から、あるいは少し高い場所から、自分を見て認識するわけですね。

 自分を、まるで他人を見るように眺める、観察する、判断する、ということができると、
「この怒り方は少し異常じゃないか」
「なぜそんなに怒っているのか」
 と思い、検証をはじめ、
「怒っているというより、怖がっているのではないか」
 と気がつく——というように。

 これが知性の本来の働きで、いわば、自分で自分を検証できるプログラムを持っているかいないか、ということですね。

 偏見に囚われているとそれが偏見だと認識できない。人から偏見だと指摘されても、偏見だと認めるどころか、「それくらい常識」「当たり前」だと言って「怒り出す」。
そういう人には、残念ながら、自己検証するだけの知性がない。

 ——知性がないのにホモ・サピエンスを名乗るのは、そりゃ詐欺ってもんじゃないか?

 感情や情緒も、もちろん大事なもの。これを無視するのは健康的じゃない。
 でも、感情に振り回されて、自分で自分を見失うのは、もっと健康的じゃない。大抵は他人様に迷惑をかけることになる。

「内省のないところに進歩はない」というのが私の思うところ。内省とは「自分自身の心のはたらきや状態をかえりみること」。
 他人を見るように自分を見る、というのも簡単なことではないけれど、それを心がけるだけでも、感情に溺れてしまう危険性を、かなり減らせる。

 それは誰もができて当たり前のことだと私は単純に信じてきたところがあります。なんせホモ・サピエンスだと言って威張って生きてるんですからね、現生人類は。
 ホモ・サピエンスを名乗りながら内省一つできない奴がいるとは予想してませんでしたよ。

 ところが、世の中、人類とは思い難い人たちが結構いるのだ、というのが、最近の私の「発見」となりました。
 興味深いのは、この内省なり内観なりができるかできないかは、IQの高さとは関係ない、ということ。

 私などよりははるかに頭のいい人が、驚くほど情緒的なこと(=偏見)に凝り固まり、さらには、それを他人から指摘されても「そもそも何を言われているのか理解しない」という、驚くべき場面が続いています。

 知性とは、つまるところは精神性とも言えるものなんだろうか?

 もう何が起こるかわからない世の中だし、何かあったときにはまず感情を制御する必要もあるし(生き残りたかったら意地でもパニックを起こすな、という教えは正しい)(パニックを起こすとどんな人でも知能は3歳児以下になる)、そうなれば知性は何としても働いてもらう必要があるんだし。

 本当の意味での知性はますます必要になってくるのかもしれない。

 そんなことをふと思ったので、今日のところはメモ書き。
(話が思った以上にまとまりませんでした;; 寝言度合いが高くてすみません;;)
 
 



IQと知性は関係ない、の好例(=放射脳)。


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