カッコつける意義

 いろいろあってテレビのニュース番組なんぞはまともに見ることができなくなって久しい。(バカバカしいことが山積みで)
 ということで、昔は朝起きるとひとまずテレビつけて情報番組を「流して」いましたが、今はそれもしていません。

 そういう中、昨日は母が「小田さん出てる!」と知らせてくれたので見ることができました、NHKの朝のニュース番組中の、小田和正さんのインタビュー。
 なんですか珍しいじゃないですかなんでNHKが小田さんですかと言いながら思わずテレビ前に腰を下ろす。

 今年で御年70歳と聞いて(誕生日まではまだ半年ありますが)、思わずこちらも、うへえと思います。(^^;)
 とはいえ、お若いですけどね…。見た目がお若い人って中身(内臓などの体組織)も若いんだそうですが。(まあそりゃそうだろな)
 それで、今も昔のままのキーで歌える、というのは、——すごいことだと私も思ってはおりましたが、改めて考えるとその「すごい」にも力が入ります。(^^;)

 これまでの歩みを振り返る中で、お若い頃の話もあって、
「(昔は)スカしてたんだろうね」
 という小田さんの言葉に、思わずふふふと笑ってしまいました。

 カッコつけてたんでしょうね、と。でも今はすっかり自然体ですよねと言われ、
「カッコつけるには等身大の自分も大きくする必要がある」
 というのが、小田さんのお答えだったと記憶していますが違っていたらすみません;; 本当に私の頭ってどうしてこう;;

 カッコつけるとは、とにかく自分を大きく見せよう、という「背伸び」ではあるんだけれど、その背伸びをしようとすることで実際の自分もやがては成長していく——
 で、ふと気がつくと、無理に大きく「見せる」必要はなくなっている。そんな自分に気がつく。そういうことかな、と、私は拝聴しました。

 若い頃はどーしてああも無意味に突っ張ってたかねえ、と、私ですら思うところがあるんですが、それはやはりまだ、成長しきれていないものがあって、それをなんとかしようという「気負い」だったのかもしれません。

 ここまで出来ればそれでいいということは、何についてであれあるものではなく、成長というのは死ぬまでできることだと思いますが、それでも、ふと、肩の力を抜くことができるようになるポイント、というものがあるのかもしれませんね。

 私はカッコつける人はよーするに「中身がないからカッコをつけるんで、中身があればカッコをつける必要はない」んだろうという、たいへん冷たいものの見方をしているところがありました。
 が、カッコつけて人に見せようとしているものが、その人がそこまで等身大の自分を大きくしたい、と思う地点を示しているのかも。

 そう思うと、なるほど、カッコつける人は向上心がある人だとも言えるのかもなーと。

 現在の市川猿之助丈(四世)は骨董などもお好みだそうですが、まだごくお若い頃、骨董の焼き物で、素晴らしいなと思うものがあったけれど、こういう「名物」を持つのは自分には早いのではないかと思い、ためらっていたことがあったそうで。
 懇意にしているお店のご主人は、けれども、
「こういう、今の自分では格が不足すると思うくらいのものをひとつ持つといい。それに見合ったように自分が大きくなれるから」
 と言われ、価格的にも冒険だったけれど購入した、というお話をしてらした。

 そういうものかもしれない。

 吾(われ)唯(ただ)足るを知る、という心構えともまた別のこと。
 自分で自分の身の丈はこのくらい、と決めてそこにとどまるのではなくて、このくらい大きくなりたいという気持ちを持つことも、大事なことなんでしょう。

 その気持ちを自分で確認する形が、「カッコつける」ことだったり、自分には「身に余る」ものをあえて持つことだったりするのかもしれませんね。
 ——そんなことでという人もあるかもしれませんが、「意識改革」って、結局そういう日常の意識の積み重ねなのかもしれない。

 御年70歳と聞いてちょっと驚く、というのは、印象としてはもっとお若いからなんですが、それは結局、——あえて成長とは言わないかもしれないけど、自分を小さくまとめる気もない、次から次へと、ああしたい、こうしたい、という思いがあり、それを実現しているから、なんでしょうね。
 
 成長しろ、と言われると、ちょっと大げさなことに思って戸惑う人もあるかもしれませんが、「あとちょっと背伸びしたい」という気持ちのことだと考えれば、いきなり大きなことをしろってことじゃないよってことが、伝わるかもしれませんね。
 
 
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