リビドー幻想
2017年03月10日 (金) | 編集 |
胸を見せたエマ・ワトソンさんは反フェミニストなのか?
2017年03月7日 チェリー・ウィルソン/BBCニュース
http://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-39189328

 いまや、最大の性差別主義者は、フェミニストの中にいるのかもしれない。
 しかも彼らは無自覚。

 欧米は「キリスト教文明」の社会。
 当然、社会の価値観はキリスト教に根差す。一神教的であり男性原理であり——つまり「男性の価値観」に支配されている。あらゆる美しいこと立派なこと素晴らしいことは「すべて」、男らしいことである。そういう価値観。
 その価値観は深層心理にまで染み込んでいるために、人々は自分がどんな価値観で生きているかを悟ることはむずかしい。

 フェミニズムはその男性原理が支配する社会へのアンチテーゼとして誕生したもの。
 アンチテーゼというのは何かへの「反対」「否定」ですから、反対する対象が消えてしまったらアンチテーゼも消えてしまう。
 アンチテーゼはつまり、反対する対象についてまわる「影」ってことです。思想とか主義とかとは言えないもの。
 つまり、フェミもあのキリスト教文明の中から生まれたものですから、結局は、あの一神教の価値観を根っことしていて、その価値観からは自由ではない。

 あの社会では「男らしい」ことが、この世の善と美の「全て」。
 フェミニストといえども、その価値観から解放されてはいないのだ、———と気がついたのは割と最近です。
 フェミが、女性の解放と言いながら、結局、女性を否定し、「男のモノマネをする女」になる理由はここにあるんですね。

 善なるものは男らしさである、という、価値観、考え方、「ものさし」が、心の深いところに染み付いている。いわば「習慣」になっているので、本人もなかなか自覚できないでしょう。
 あなた方は男のマネをすることが女性解放だと思ってるんですねなどと言ったらそれこそ張っ倒されるでしょうが、でも事実だからしょーがない。

 このへんはなかなか言葉で指摘しても「実感」してもらえない。そういうとき手っ取り早い例題になってくれるのはリビドー、性衝動のお話。

「男の真似をすることが女性解放」だと信じているとは指摘されても納得してもらえないでしょうが、そういう人でも、ならば何故、異性の裸を見てコーフンする「ふり」などするのか。説明できるか? なんて聞くと、もう顔色が変わりますよね。(^^;)
 最初は、何を言ってんだ? とびっくりし、そのびっくりがおさまると、次には——

 フロイトは女性の性欲も男性的なものだとしています。そのこと自体には私も反対しませんが、でも、トリガーになるものは全然違う。
 これはそれこそ性差というもの。——その昔の日本の真面目な「手引書」には、男性は急にして緩、女性はその逆で緩にして急である、と説明してますね。実際、その通りでしょう。

 男性のストリップを見ながら喜ぶ女性たちを見たのはいつだったかな——私は当時はまだ未成年ですが、そういう人たちの様子をニュース映像で見て、心底、「何やってんの?」と思いましたもんね。

 男性のリビドーのあり方には視覚が重大な意味を持つ。有り体にいえば視覚からの情報がトリガーになるんですね。
 女性のリビドーはそうではない。見るくらいなら、——ま、喜ぶこともあるでしょうが、性欲発動のトリガーにはなり得ない。(個人差はあるので中にはそういう人もあるでしょう、とは言えますが)
 女性のトリガーは視覚よりは実は、聴覚、
 さらには触覚。
 女性が、殿方のチャームポイントと思うところを尋ねられると「手」について語ることがよくありますが、それはそういう理由。

 たいていの女性は男の裸を見たくらいじゃ性的にコーフンなどしない。
 ……でもさー。これ、いちいち人から指摘されなくても自分でわかることだよね? というのが、私の、フェミニストへの疑問であり、嫌悪感でした。
 そりゃ、美しいものを拝見できればうっとりはするけど、でも、それはリビドーが「発動」する感覚とは完全に異なる。
 そんなの自分のことなんだもの、わかるでしょうよ。
 それなのに何故、あんな風にストリップ見て性的に喜んでいる「フリ」をするのか?
 まるで「男がそうするみたいに」。

 女性の、男性の価値観からの解放をと言いながら、なぜ、とにかく「男と同じこと」をしたがり、それが「正しい」こと、「女性の解放」だというのか。本気でそんなこと思ってんのか?
 これは長い間の私の疑問でしたが、結局、
「男らしいことが”正しい”こと、という、旧来の価値観はぜんっぜん変えていないから、そうなる」
「女性解放=正しい=男らしい=男の真似をする女」
 そういう意識でいる。
 そう気がついたら、腑には落ちたけど、馬鹿らしくもなりました。(^^;;

 自分がどんな価値観で生きているかなんてのはなかなか自覚はできない。ちょっとばかり意見の合わない他人と話すと、「そんなの常識でしょう」と言って相手を非難しがちですが、その常識は自分にとっての常識でしかない。——そういうことにもなかなか気づかない。

 女性の解放とは、男性の価値観の支配からの解放だとするなら、女性は女性らしく、女性は女性のまま、のびのびと生きていけること、じゃないんですか。
 なのになぜ、男の真似をすることをよしとしているのか。
 ものすっごい矛盾じゃないですか?

 私がイラついたり気持ち悪く思ったりしたのはこのへんだったんですね。「それでは筋が通らない」という。
 そのイラつきは、
「なんだ、彼らは結局、男らしいことが善であるという価値観に未だに従っているのか。だから男の真似をすることが女性の解放だというミョーなことになってんだな」
 と、腑に落ちたところで消えました。

 価値観の支配を実感するのは難しい。他人から言葉で大まかに言われたってわからない。
 だから下世話そのものではあるけど一番手っ取り早い、性欲の話をするんですが。
 ——これがもう、相手によっては無茶苦茶怒られるし嫌われます(笑)
 でも、意外に、それ以上のことは言われないんですよね。
 自分の価値観がどこにあるかを垣間見ると、ショックだし、怖い、という感覚もあります。——それはわかるので、私も追い討ちはかけません。

 女性解放をと言いながら、未だに男性の価値観に忠実になっている、その理由や原因を探ると、これもまた根の深い話でございまして。
 自覚したところですぐに変えられるかと言ったら、それはない。
 人によってはしかるべき治療を受けた方がいい、ということさえあるでしょうし。


 ここんとこ、フェミがどーたらという鬱陶しい話題が続いてしまって申し訳ないんですが……、でも多分、またこの辺で少し、世の中の価値観なり人の意識の「流れ」なり、変わろうとしている時期なのかもしれない、と思ったので、この際なのでまとめてみました。

 なんにしても、少しずつでも、呼吸がしやすい、息をすることくらいは楽にできるようになればいい、と願う次第です。
 
 
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