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All you need is LOVE



 日本でももちろんですが、世界全体で見ても、このうつ病の患者数は増加しているそうです。

 お役所や学会が新たな病気を認定やら設定やらするから、データ上、病人が増えるのだ、という批判もありますが——現在では喫煙者が『病人』扱いされるのが気に入らない人が多くこれを言うようですが——、ま、そんなことはともかく(といきなり、うっちゃりで土俵外へ投げ捨てる)。
 あと、——うつ病なんか甘えだ、みたいなことを言う人もこの際だからうっちゃってしまいましょう。話を面倒にするだけでク■の役にも立たないんだよなああいう人。

 憂鬱な気分になったり、抑うつ状態が続いてしまうというのは誰にでもあることでしょうが、うつ病というのはもはや、日常生活に支障が出る状態。
 医学的に脳の機能や神経の障害がある状態、と、ここでは考えておきたいと思います。

 私もかなり危ないところへ行っていたと思いますが、私の場合は神経障害よりまえに、内臓機能の方がやられてしまい、原因不明のまま3ヶ月ほども寝たきりに近いくらいになっていたりしました。
 体の方が先にストレスで参ってしまったんでしょうね。
 だから逆に、それ以上の消耗を避けることができ、本格的に脳神経の障害までには至らずに済んだのかもしれません。
 何が幸いするかわからないもんです;;

 一言でうつ病といっても、単純にビタミンやミネラルという微量栄養素が不足して症状に至っている場合もあるし、その場合は「栄養不良」を改善すれば回復する。そういう軽度のもの(でも原因は掴みにくい)から、本当に脳の機能が失われてしまう重度のものまで、いろいろ複雑なんだそうですね。

 上記のツイートは、加藤諦三先生のご著書からの引用botアカウントのもの。
 きちんと本を読まないとかえって誤解を生む可能性もあるのでやたら引用もできませんが、でも、このツイートは、その核心を突いているように思われまして。

 栄養面や、物理的に脳神経等にアプローチしていく治療法、行動認知療法はかなり有効だということも最近では聞きますし、いろいろありますね。そういう治療をしていくのももちろん大事ですが、「うつ」の心理の最大の原因は、これなんだろうなあ、と思ったツイートでした。

 簡単に言えば、「愛情不足」。

 最近では自己肯定感とか、承認欲求とか、よく聞くようになりました。少し興味のある人なら、これらの言葉に遭遇しないということはないはず。
 言葉になると何がいいかって、「あれは幽霊じゃなくて枯れ尾花」だと、「具体的に」「わかる」こと。
 正体不明のモヤモヤ、というのは全く、それだけで人を不安にさせるもの。でも、あれはススキです、と分かればなんだススキか、ですむ。

 そういう具体的な言葉があるというのはいいことだな、と思いつつ。

 うつの原因は愛情不足と言える。

 これをいうと、大抵の人は親のことや、育ってきた環境のことを持ち出して、そういう人たちを責め始めます。
 実際、その愛情不足がどういう種類のものかをわかりやすく言おうとすると、上記ツイートのような「たとえ話」がわかりやすいので、あんな風になっちゃいますけども。

 でも、自分に愛情を注いでくれるべき人は、結局、誰なのか、というと。
 ——自分自身なんですよね。

 親ではない。

 世の中には親の顔を知らずに育つ人もある。親とは呼べない人を保護者としながら育つ人もある。それを思えば「親のない人はみんな愛情不足で鬱になる」という仮説は、成立しない。

 上記の例えでは、親がその子を抱きしめるかどうかの話になってますが、じっさい、うつの原因の愛情不足は、「自分で自分に注ぐべき愛情」の不足なんで、自分が自分を抱きしめるというのが本当のところ。

 親といえども他者は他者なんで、——経験者はわかると思いますが、本格的にうつ状態になるともはや、誰がどんなふうに自分を愛しているかなんて関係なくなるんですよね。
 転んで膝を擦りむいた自分を、誰かが愛情豊かに抱きしめてくれても、ありがたいなとは思うにしろ、でも、それで気持ちが動くということはない。

 私などはそういうの、ありがたいとさえ思えなくて、ただ重くて邪魔なものという感じでした。

 なぜ幼いときに親の愛情を受けることが大事かというと、子供は親の行動から「学習」するからです。
 自分では何もできない状態なので学習も何もない。親が自分にするこということを見て聞いて、なるほどああやるんだな、というふうに覚えていく。

 そういう意味で親が重要視されますが、重要ではあっても「絶対」ではない。

 親が自分にしていたことを、子供は、自分で自分に行うようになる。
 ちょっと諸問題あってろくでもない行為を「学習」することはあって、これだとやはり苦労することにはなりますが、でも、よーするに、一番の「核心」は親に愛されたかどうかじゃない。
 自分で自分を愛すること。
 これができるなら、別に親はなくても問題ないわけです。(極論ですが)

 学習する、と言いましたが、本来、自分で自分を愛するということは天与、生まれつきに誰でも持ってる。
 学習するというのも一つの方便で、他者のカタマリである社会の中で、自分を愛することとの折り合いをつける、その方法を、学習しているだけじゃないでしょうか。

 学ぶまでもなく、自分で自分を愛することは本来だれでも持っている。
 誰でも本来は、愛する、という「能力」がある。
 これを仏教でいうなら「仏性(ぶっしょう)」になるんじゃないかと思います。
 
 行動認知療法が薬物治療よりも効果が高いというのは、行動によって、その仏性を「思い出す」からかもしれない。
 持っていないものではないし失われているわけでもない。
 ただ、「忘れている」。

 なんで忘れちゃうのか、というと、育った環境以外にも、今度は「エゴ」というものがあって——、時代が進むほどにうつ病者が増えるのは、このエゴの増大とほぼ比例してるんじゃないかな。
 近代になればなるほど、エゴは増大し、鬱も増えていく。

 愛情は忘れられていく。

 どんな人にも心のうちにはごく幼い子供である自分がいるそうで(インナーチャイルド)、……その子が、今も、痛みをこらえて泣いているのかもしれません。
 親などなくてもいいんで、自分が、その子を抱きしめてあげればいい。

 口で言うほど実は簡単じゃないんですが、でも、そういう認識が、世の中に少しずつ浸透していけば、また違ってくるかもしれませんね。


 また愛ですか、と言われそうですが。
 ——愛ですとも。(真顔)
 
 
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