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教養とは何か

 明日はお出かけのため、こちら、おやすみいたします。m(_ _)m

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 うちの猫が風邪をひきまして。
 猫風邪といえどバカにはできないものでして、また猫エイズ陽性の子なのでなおさら気を使うところがあり、ちょっとドタバタしていて時間がないので、あっさり目ですが。

 簡単に口にするしよく耳にもするけれど、説明してみろと言われると、びっくりするくらい何も説明できない、そういうものがあります。

 自分の日常に馴染みすぎていると、こと改めて、なぜとかどうしてとか考えないものですね。

「教養」というのも、そのうちの一つ。
 あの人には教養があるとか、教養が足りないとか、わりと簡単に口にしますが、しかし——「教養とは何か?」と言われたら、なんと説明しますか。

 単純に「教育による知識」だけなら簡単ですが、あの人には教養がある、というときは必ずしも知識量のことではない、それこそ品位だか品格だかをイメージすることもあるし、学歴ではなく、その人のなんらかの「魅力」を、そんなふうに表現することもある。

 言われてみると教養の説明ってできないなあ、と思っていたら、西洋史(中世)の阿部謹也先生が、ズバリ、「「教養」とは何か」という本を書いていらして、こういう先生が丸々本1冊書いちゃうようなテーマなんだな、と思ったら、そりゃー通常の人の手に負えるわけないわ、と。(^^;)

 単純に見えるものほど、「本質」を探ると複雑な「回路」に入っていく。

 それはわかるけど、でも、何か、本質をズバリと言い当てることってできそうな気がするんだけどな——と思っていたところへ、こちらの画像を見つけまして。

人の心がわかる心を教養という
http://yukafukuoka.tumblr.com/post/107992498708

 私はまずはピンタレストで見つけたんですが、この名言、「出所不明」とは…。

 ともあれ、見た瞬間、「それだ!」と思いました。
 単純に知識というときは別としても、それ以外のとき——誰かの品位品格を褒めるとき、認めるとき、心惹かれるものを表現したいときに使われる、そういうときの「教養」は。
 突き詰めればこれになる。

 思いやり、というのとは、またニュアンスが違う。
 わかる、というとき、思いやりとさえ他人には気づかなせない振る舞いや言動になるんじゃないでしょうか。

 必要な言葉、必要な沈黙、必要な手配——、それらを受けた人さえ、その場では、「わかってもらえている」とは気づかないくらいの、「見通す目」。

 それを、教養、と言っていいんじゃないだろうか。

 これは必ずしも知識や経験とは関係なくて、その人の天与の感性としか、言いようの無いときもある。だから、教養とは何か、と、その定義を具体的に考え出すと、何やら正体不明でわけわからん、という感じになるんですが。

「人の心が わかる心を教養という」

 なるほど、これだ、と思いました。

 阿部先生のお考えでは教養というものは「世間」つまりは人間の社会があって初めて存在するもの。他者がないところに教養はない、ということが含まれているんですが、「人の心がわかる心」であれば、教養は「世間」「他者」との関わりの中に現れる、という考え方にも合致する。

 思いやりとは違う、——なんていうとまたややこしく思われるかもしれませんが。(^^ゞ
 思いやりは「情」ですが、人の心がわかる心は、情だけではなく、ある程度の学識なり経験なり合理的な判断をも「根拠」としている。

 情以外のもの——知なり理なりをも、育ての親とするもの。

 だからなんだと言われると困りますが、これ、長い間の「考えごと」の一つなので、「それだ!!」と、わかったときは嬉しくなるものでつい。(^^ゞ

 私にとってはこういうことも立派な「遊び」になるので、またこんなことで遊んでいるのかと聞き流してやってください(笑)


 それでは、皆様良い週末を。
 週明け月曜日にお目にかかります。m(_ _)m

 
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