Entries

正当な対価

 タダほど高いものはない、というのが、うちの親の教えでした。

 タダ、というけど、それは何もタダではないんですよね実際には。
 例えば、——タダで何かを入手できたりサービスを利用できたりしているようでも、実際は自分や他人の個人情報を「売っている」、というのがよくある手口で。
 で、個人情報を売っているんだとしたら、その売値はとんでもなく安い、バカみたいな値段で「買い叩かれて」いる。
 それなのに「得をした」といってホクホクしている。

 対価をきちんと払う、その重要性がわかっていない人というのはいるようです。
 そういう人はいつの時代でも一定数いたでしょうが、ことにバブル崩壊後の日本では、その一定数が少し大きくなったのかもしれない。

 何かっつーと無料、無料といって無料のものを探す。
 本来支払うべき対価を、安く抑えようというくらいならまだしも、とにかく「タダ」である「べき」だというのは、なかなか「怖い」感覚だな、と思います。
 ………そりゃ二度見もしますわね。と思ったツイート。↓


 正気とは思えない;;
 で、こちら。

キンコン西野、絵本「無料公開」で騒然 「お金の奴隷解放宣言」に賛否
2017/1/19  J-CAST

「お金の奴隷解放宣言」ということをおっしゃったそうですが、さてねえ。
 私の目には、「なんでもタダでありつこうとする」方が、「お金の奴隷」に見えますよ。

 お金というのは人が使うためにあるもの。使うべきものをきちんと使えない、というのは、奴隷以下ではないですか。精神的に。

 絵本の無料公開のきっかけは、小学生だという人から「2000円は高い、自分では買えない」と言われたことだそうですが。
 その人自身やその人の家庭の経済事情はわかりませんが、「高い」と思うなら買わないだけのことでしょう。
 価格としては自分にとっては高いけれども「価値がある」と思うなら、お金を貯めてもいいし(今日明日で腐って消えるようなものじゃないんだから)、図書館で探してみる、持っている人があれば貸してもらう、という手段もある。

 自分には高い、だからタダでよこせ、ってねえ。これ。
 乞食か泥棒の言い草だってこと、わかってる?

 私はむしろ、こういう「お金に振り回される」人の方が「お金の奴隷」とやらになっている気がしますよ。
 たとえ現在、財力がなくてお金がないんだとしても、自分なりにやりくりして、つかうべきところでお金を「使える」のなら、その人はちゃんとお金に対しての自分の主体性を持っている。
 奴隷かそうじゃないかは結局、自分の心が決めることじゃないですか?

 その昔、私が教わったことですが、「人間には大雑把に行って4種類ある」と。

1。お金持ちの金持ち
2。お金持ちの貧乏人
3。貧乏人の金持ち
4。貧乏人の貧乏人

 お金持ちの金持ちとは、「実際の財力があって、なおかつ、精神的にも豊かな人」であり、「貧乏人の貧乏人」は「財産もないし精神的にも貧しい」人、ということ。
 最後の4番目にはなりなさんなよ、と教えてもらいました。

 お金というものをどう考えるかどう扱うかってところで、その人の人間性がわかるなあ、と思います。
 お金にだらしがない人も、そんな必要はないのにめったやたらに「けち」な人も、「精神の貧乏人」と言えますね。
 お金は使うためにあるものですが、それをきちんと使えない、自分の意思や考えに基づいてお金と付き合えない、というのはそういうこと。
 お金がないわけじゃないのに給食費を払わない人などは「金持ちの貧乏人」に分類していいでしょうね。

 2千円の本が高いと言った人に、そうですかつってタダで内容を公開することはむしろ、「お金の奴隷」根性を助長したことにしかならない。
 価格としてではなく、その本の「価値」を自分はどう評価するのか、ということの方が、大事なことじゃないですかね。

 価格を聞いてびっくりして、うわ高い、と思っても、でも、自分にとってはそれだけの値打ちはあると思えば、ちまちま貯金してでも買う。
 そこには「価値」への敬意というものがある。

 でも、物欲しげな顔をしていれば誰かが「いいよタダで持っていきなよ」と渡してくれると期待してる、それを当たり前だと思う——、そういう人が本当に本心から、渡された本を、ありがたい、と思うでしょうか?
 
 作者への敬意があれば、無料でもらうなんてとんでもない、となりますよ。
 ものの価値というのは面白いものです。なぜ、それが100円であっちが一千万円もするのさ、と思うものは世の中にゴロゴロあるけど、その意味を考えているだけでも、「価値」を知る勉強になる。

 そうしていろんな価値が世の中にはあるけれど、自分にとって何が価値なのか、何が正当な「価格」なのか、——それを決めるのは自分自身だということにも、必ず、気付くはずです。
 ものの価値を知るということは、自分自身を知ることと関係している。

 そもそも、このお金の奴隷とかっていう大げさな言葉も、私は個人的には気に入らない。
 ナントカ弱者とか、そういう言い方、好きな人っていますね。で、自分はそういう「弱い」人の味方です私は正義の味方です、って顔をする。

 でも、私だったらこんなラベル貼られたら怒りますよ。
 痩せても枯れても、って言い方があるけど、立場的に不利だったり、諸事情あって人様の手助けを必要とする身だったりしても、弱者だの奴隷だの被害者だの、挙げ句の果てには「かわいそう」だなんて言われる覚えはないですね。

 痩せても枯れても落ちぶれてもお金がなくても、路傍に捨てられた死にかけの身になっても、そんなくだらないラベルを貼ってくるやつを、私は「正義の味方」だなんて思わない。
 自分はいい人だと思いたいがために、誰かを自分の「下位」において、自分を「上位」に見せる、そう思い込む、その根性のくだらなさに自分で気づかないのか?
  
 ………とまあ、言葉は厳しくなりましたが、そんな感じで見ております。

 お金は不浄なものじゃないし、人間の「主人」でもない。
 お金は大事なものだし、大切に扱うべきものだし、そこには敬意と愛が必要。
 くだらない極論で、自分や他人を惑わすな。

 それが私の結論てことで。

 なんにしろ、——それでなくても人間なんぞは精神的なビンボーにハマりやすいんだから、何でもかんでもタダタダいうの、やめたほうがいい。
 そう思います。
 
 
 
関連記事

ご案内

プロフィール

みずはら

ブログ内検索

最新記事

地球の名言

presented by 地球の名言

右サイドメニュー

月別アーカイブ