大人になること

 本日、成人の日ですね。
 新成人の皆様、おめでとうございます。

 成人の日というと、伊集院静さんのメッセージが出るので、これを拝見するのを楽しみしています。
 実際にはウィスキーの広告ですが、毎年、成人の日には伊集院さんのエッセイというのかメッセージで、で、そこはそれ広告ですから話のオチはお酒、または「乾杯」ってことになっていく訳ですね。

 私は毎年新聞で拝見してますが、広告なので新聞以外でも見ることはできますよね。
 で、今朝も早々に、朝刊一面より先に「広告あるはず」とチェックしてしまいました(笑)

 もう今年で何回目になるのかな。なんにしても、まとめて本に………はならないか…。だったらまず電子書籍でもいいんだけど、まとめてもらえないかな。

 今年は「品性」という言葉が出てきたので、ほ〜、と思い。(日常生活では滅多に聞かない単語だ)
 でも、伊集院静さんでもそうでしたかと思ったのは「大人になりたくないと思っていた」というところ。

 ………やっぱりそういうもんかな。大人になりたくない? ふーん。
 私は大人になりたくないどころか早く大人になりたかった。故に、大人になりたくない、という人にもなんとも返事のしようがなかったなあ。

 大人というのは、まあほっとけば人間いつかは死ぬのと同じで、そういう感覚で、「ああもすうもない」こと。
 生後20年経てば嫌でも成人とされる。
 子供だった私の目に映る人々を見て「大人になりたくない」と思ったことは、実はない。

 なんだあいつら、という軽蔑の念はあったけれども、彼らを大人だと思ったことはなく、あれは「なりそこない」なのだ、という認識でした。
 年齢こそいいお歳ではあるけれど、中身はまったく話にならない連中だと思ってました。
 これは大人が子供がじゃない。「人間として」なっちゃいない、という見方をしていたようです。

 人間性や、伊集院さんのおっしゃる「品性」は、実は年齢は関係ないもの、と捉えていまして。

 3歳に満たない子供でも、恐れ入ってしまう人格者はいらっしゃる。(ほんと)
 でも、そういう「徳の高い人」に対して、多くの人が身の程知らずにも、「子供だから」と、ものスッッッゴイ失礼な態度を見せるのを、残念にも理不尽にも感じていましたし——、この点については今も同じかな。

 相手が年下だとわかるといきなりエラそうな態度になる人がいるけど、はたから見ていてハラハラすることも、滑稽に思うことも、ありますね。
「あんたがそんな尊大な態度をとっていい人じゃないよ、その人は」
 と思いつつ、でも言ってもしょーがないから黙っている。で、後からそっとフォローに回ったり(笑)

 じつのところ、年齢というものを、私は重視していないのかもしれません。
 社会における意味や、肉体上の条件としてはもちろん、また違う意味があるんで、それはそれで大事だということは承知していますが。

 子供だった私が願ったことは、「まともな大人」であること。
「立派な人」にはなれないけれども、せめて「まともな」人間でありたい、ということを。
 そういうことを願っていたから、「大人になりたくない」とは思わなかった。

 時計の針は止まらない。であるならば、せめて、ちゃんとまともに成長していたい。
 ——願ったのはそんなことでした。

 私が大人になりたくないとは思わなかったのは、「自分はどうひっくり返っても大人になぞなれない」ことが、わかっていたからじゃないか、と思うんですよね。

 三つ子の魂百まで、という言葉がありますね。
 どの人にもある「三つ子の魂」とは、つまり、その人をその人として存在させている「本質」のことだと思います。
 このこと自体にはいいも悪いもない。でも、その「三つ子の魂」故に、人間てのは「ほっといたら何も変わらないまま終わる」ことを、心のどこかで感じていたんじゃないかな。
 たとえ100歳まで生きていようと、ほっとけば何も変わらないであろう自分を予感していた。
 だからこそ、「ちゃんとした大人」になりたい、という気持ちがあった。

 そういうことだったかな、と思います。

 たいていの人にとって変化は恐ろしい、不安な気持ちになるもの。
 大人になりたくないというのも、変化を恐れる気持ちなのかもしれません。
 私などは平均以上の臆病者なので、恐れる気持ちも平均以上に強いはずなんですがでも——、その恐れさえ忘れさせ、「ああなってはいかん」と思ったほど、「なりそこない」たちの姿は無残だったとも言えますね。

 とするなら、あの「なりそこない」にも意味はあったし、出会ったことに感謝すべき、とも、言えるんでしょう。

 最初から素敵な大人にあって、あんな大人になりたいなあ♡ と思わせてもらった方が、もっと素直な人間になれたのに、とも思いますが(笑)
 そうはいかなかったのは、私の不徳の致すところ(笑)
 昔の人なら「汗顔、汗顔」というんでしょうね。………あれ、かっこいいよな〜。


「ちゃんとした大人」というのは、私には永遠のテーマといえるもののようです。
 
 成長したと思うかと言われるとちょっとアレなんですが、ただ、子供の頃には大軽蔑した「なりそこない」に対して、でも、彼らの背負うもの、それでも美しいもの、それゆえに悲しいこと、——そんなところにも目がいくようになったのは、「成長」と言っていいかなと思っております。

 いいんですよ別に、たとえそれが、自分も「なりそこない」になった証拠なんだとしても(笑)
 わからないままでいるより、わかった方がずっといい。——これも、昔から変わらない私の考え方のひとつかな。

「知ることの不幸」については、子供の頃よりはるかにわかるようになったけど。
 その不幸に打ちのめされても、それでもなお、「わかった方がいい」といえるのは、これは、強くなったのかもしれません。

   
 
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