ちょっと怖い七草粥

 今日は五節句のうちの、最初のお節句、「人日(じんじつ)」です。
 後のお節句は、三月三日の上巳(じょうし)、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽(ちょうよう)。

 他の節句を見ると、「一月一日じゃないの?」と思いますが、この日は元日、暦では一日は「鶏(とり)の日」なので避けたんだとか。

 なぜ七日が「人日」かというと、むかーしのシナの日付の意味として、
「元日は鶏
 二日は狗(いぬ)
 三日は猪、
 四日は羊
 五日は丑(うし)
 六日は午(午)」
 で、最後、七日が「人」になっているんだそうですね。
 
 十二支の動物のあれは、しかし実際には動物ではなく、時の移り変わり、季節のめぐり、ものの状態などを表す「暦」であったことも知られています通りで、実際には動物がどうこうではなく、それぞれにおめでたいことや願いことを表していると思われます。

 一応、それぞれの動物は人間にも馴染みのある動物、家畜であったりして、そういうものに感謝を捧げる、という意味もあった模様。

 さりながらそこはさすがにシナだなあと思うんですが、感謝をする、祈りを捧げると言いつつ、おそらくは願い事を叶えるなどの「まじない」の意味もあって、それぞれの日、それぞれの動物を食していた、とも。

 食べるということは「呪術」の一種でもある。食べる、という意味を考えていると面白いねというのはこの辺のことで、ただ美味しいから食べる、あるいは栄養を取るために食べる、ということとは別に、何かの呪術的な力を得るために、食べる、ということもある。

 ご祭事には食べることが含まれていることが多いですが、そういうまじないの意味なんでしょうね。
 神様にお供え物をし、それと同じものを食べることで神様のパワーを自分の身に取り込む、というのは、いわば「オマジナイ」の発想ですよね。

 ということで改めて、一日から六日までを眺めると、なるほど、食べられる動物が並んでます。
 その伝で行ったら七日は人間を食べる、ということになるのでは——と、ちらっとでもお思いになったアナタ。
 正解です。

 ——実際、日常の食事という概念とは全く別の意味で人肉を食するということは、人類の歴史・文化の中にあることはあります。

 元から、動物性たんぱく質を摂取することには興味が薄いらしい日本においては、人肉を食すという発想も当然、希薄ですが、古代シナにおいては、呪術として、あった、という話もあります。
 確定的なことは私も存じません。ただ、そういう「説」がある、ということ。

 シナには猿の脳を食することは実際にあるそうですし(現在もどこまで一般的なのかは存じません)、古代には呪術として人肉を食すことがあっても、さほど不思議ではない。

 私どもは、犬を食べるというのももう、聞けばギョッとしますが、これも昔にはあったこと——日常的なことではなく、飢饉のときには、ということであるにしても——ですし、ここで、いいとか悪いとか残酷とかなんとか、逆上はなさらないように願います。
 歴史と文化の話ですので。

 ということで、さすがに、人を食すというのは習慣にはし難く、それで、「初春の若草を食べる」ことにした、という説があるそうです。

 日本においては、七草がゆの伝統自体は平安時代中期には見られたそうですから——例えば庶民がそうしたのかどうかはわかりませんが——、まあ、なんにせよ、千年たっても人が願うことには大きな変わりはないと申せましょう。

 伝統行事というとろくに内容を知りもしないのに馬鹿にする人がいますが、伊達や酔狂で長い間、人々が守ってきたわけじゃないよ、ということが隠れているので、じっくり調べてみることはお勧めします。自分がその伝承に乗るか乗らないかはともかく、ディスるにしてもちょっとは勉強してからにしろや、と思うことはありますね。

 アホくさい正月のおかゆの話が、いきなりディープな人肉嗜食(じんにくししょく/カニバリズム)の話になるとは思わなかったでしょ?(笑)

 食べることの意味、祭りの「本質」。そんなことを1年のうちに何回か、ちょっとだけ考えてみるのも、それなりに面白いと思っております。

 私も朝ごはんはお餅、雑煮が続いていたので、ご飯系に御味御付け、というのが今朝はずいぶん久しぶり&新鮮に感じられて、ようございました。
 みなさまの今年1年のご健康を祈念いたします。

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