クリぼっち
2016年12月26日 (月) | 編集 |
 無事今年のクリスマスも終了となりまして。
 面白いなあと思ったのは「クリぼっち」という言葉(新語・流行語大賞にはこういうのを取り入れるべきじゃないの?)(世相や時代を映すっていうんならさ)。

 クリぼっちは「ひとりクリスマス」「ひとりぼっちのクリスマス」ってことだそうで。 
 たぶん私どもいわゆるバブル世代から、クリスマスというと恋人と過ごすというイメージが定着したんじゃないかと思いますが、現在はそれがさらに「深化」して、それが実現できない人の方に注目が集まる事態になってるんですねえ。

 クリスマスにはカップルでの入店お断り、というお店さえあるとか。

クリスマスイブに「カップル入店お断り」の店 去年に続き今年も
http://grapee.jp/125321

 冗談だと思っていたら真面目な話だそうで(スタッフの健康のためって何・笑)、昨日ちょっと驚いたのは、糸井重里さんまで、若き日の思い出ということではありましたが、その「クリぼっち」の気持ちを書いてらしたこと。

 でも本来のクリスマスはたぶん、もちろん恋人とという人もいるでしょうが家族と過ごすもんだよねえ……。
 ありがたいことに、そうは言っても振り返ってみると、クリスマスをほんとーに一人で過ごしたことは(まだ)ないので、私もあんまり偉そうに言えた義理はないのかもしれません。

 でも聞いててちょっと気になったのは「ひとり、ってそんなに『悪徳』なの?」ということ。

 新聞や雑誌などで見る、お悩み相談のコラム、コーナーを見てみると、大抵は人間関係のことですよね。人間にとって、人間関係つまりは他者との関わりというものがどれほど重大事でありストレスとなっているものかがわかろうというもの。
 人は生まれてから死ぬまで基本的にはひとりだし、パーソナルスペースというものが心理的にはあるように、「ひとり」は優しいもの、自分を見つめ直す意味でも必要なものでもある。

 寂しいことがつらい、というのはわかるけど、「ぼっち」が悪徳であるかのように言われるのは、ちょおっと納得できないなあ。——と思って読んでました。

 原始仏教では、孤独を友とせよ、という教えもある。
 正確には、自分自身を自分の友とせよ、というのですが、あの身も蓋もない現実主義の(原始)仏教は、とにかくひとりであることを基本とし、当たり前のものともしてる。
 自分を自分の友とすれば、その人は二度と孤独に苛まれることはない、という。
 そりゃそうだ。(^^;)

 ひとりは寂しいです、というのは勿論わかるけど、でも、「ひとり」があたかも「恥ずかしい」「悪徳」であるかのように騒ぐ現在の風潮には、納得できない。
 それを真に受けてしまって、必要以上に「ひとり」であることを「恐れて」怯える人を見ると、チョットねー……、と思います。

 ひとりというのは、本来は、優しいものだと思います。
 何かあって傷ついたとき、とにかくひとりになる時間が必要ですが(どれくらいの長さになるかは状況やその人次第で違ってきますが、でも、とにかく、ひとりになる時間が必要、ということは変わらない)、それを見てもわかる通りで、本来は、一人であることは、「優しい」時間と空間です。

 人恋しいという感覚がある方が「健全」だとは思いますが(我が身を振り返って;;)、でも、そうもむやみに「恥じたり」、「怖がったり」するもんじゃないでしょう。

 優しい誰かがいてくれるのは幸い。
 でも、一人でいることだって、やはり幸いですよ。

 何も私だって「おひとりさま」を積極的に「おすすめ」はしませんが、でも、今はちょっと、ぼっちぼっちって騒ぎすぎじゃないですかね?
 何事であれ、人を煽るアジテーションて、見てて気分のいいもんじゃない。内容もさることながら、「煽る」行為自体に、嫌悪感があります。

 なので、その煽りに水をぶっかける感じで、たまには誰かひとりくらい、「ひとりの幸い」を言ったっていいんじゃない?——という気持ちで書いております。

 なんでそう嫌なことを言って煽るのさ、と思っておりましたが——なるほどしたたかだなあと思うのは、「クリぼっち商戦」というのもあるんだそうで(笑)
 まあ、それでどなたかの給料になるなら、さほど目くじら立てることでもないとは思いますが。(^^;)

 アジテーションには感心しないし好きでもないけど、そういうものに乗るのなら、「あえて乗ってやってる」という意識でいた方がいいかもしれませんね。

 クリスマスも終わったし、次は年越しそばですよ!(←結局、食べること)
 
 
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