個々独立であり、ひとつであり
2016年12月12日 (月) | 編集 |
 昨夜はこちらの番組に関するツイートが、トレンドに上がっておりました。

NHKスペシャル「自閉症の君が教えてくれたこと」

 自閉症ではいらっしゃるのですが、東田直樹さんの場合は文章で表現することができ、その文章表現の豊かさ的確さには驚くばかりです。

 自閉症の人々の「世界」がどんなものなのか、私どもは通常は知ることはできません。人にとって、コミュニケーションが取れないというのは大変なストレスになるもの。東田さんのご著作は外国語にも翻訳されていますが、それを読んだ人々からは、やっと自分の子供のことが理解できたという声が多く寄せられているとか。

 私もそういうわけで東田さんのことは以前から存じ上げておりましたが、昨夜のNHKスペシャルは拝見しておりません。
 が、鋭い感受性を持ち、それを的確に表現する言葉には、多くの人が感銘を受けたようですね。
 トレンドワードからツイートをのぞいてみたら、下記のようなものが多かったです。



「人の人生は命のバトンを繋ぐというものではなく、ひとつの人生で完結していて、その一生をそれぞれの人が生き切るべきもの」というのは、全くその通りだと思います。
 多くの人がこの言葉に強く反応してました。

 私もそうですが、「命のバトンを繋ぐ」ことからは——どういう形態であるにしろ——外れていると、存在価値のないような、生きていてはいけないような、そういうことを自分でも思うし、他人からも言われることがあります。

 お恥ずかしながら、私の亡父もそういう発想がある人でして、誰かの介護、介助があって命を繋げる人を見ると、「生きてたってしょうがないだろう」というような人でした。本当に。マジで。身内としてもこんな恥ずかしいことはなかったです。
 でも、そう言ってた自分が、現代の医学では治療法がない病気(ALS)になりまして。

 本人の胸の内がどうだったのかは、私はあえて考えないようにしておりましたし、今でもあんまり、考えたくないな、というところ。
 まだ元気なときに、担当のお医者様とも話し合ったのは「延命措置を望むかどうか」。
 父は、そういう状態になったらあえての延命措置はいらない、という選択をしました。

 何しろなんらかの障害がある人に「生きていてもしょうがないだろう」と言った人ですから、それは当然の選択だろうなと私は思いました。

 姥捨(うばすて)の考え方というのはまだ私どもの中に生きている。ある共同体の中で「役に立たない」ものは殺してしまえという発想が、自分自身にも向けられる。

 でも今の社会はそういうものを否定しようとしている。そういう矛盾の中で、「命のバトンを繋ぐ」行為からは外れた、あるいは外れようとしているのではないか、という自分を見たときに、自分がここにいていい、という確信を得られず、でも、表向きには「命の大切さ」だなんて聞かされる。

 そういう葛藤があるところへ、東田さんの言葉はひとつの光となり得るものだと、私も思います。

 思いますが。
 私が気になったのは、実はそこではなく。

 一個の人生はそれ単体で完結したものであり、命のバトンを繋ぐ「ために」、いわば部品のように、存在しているのではない、——これはこれで、いいと思います。
 これは「姥捨」を善とする、昔からの「意識」へのアンチテーゼという意味がある。

 でも、「命のバトンを繋ぐ」ためにいま精一杯がんばっている人は、逆に、この言葉を「自分が否定された」ように聞くかもしれない。

 私が気になったのはそれでした。

 どうもこの自意識、あるいは劣等感というのは困ったもので、ある発言は、全く別の意図で提示されたものだと、頭ではわかっていても、感情的に「自分が否定された」と感じてしまうことがある。
 そうすると面白くない、怒る、侮辱されたと感じる——そういうことがあります。

 こんなところで怒るのは不条理だとわかっていても、なんだか、「自分を否定されたみたい」だと思うと、むかっときて、素直に人の言葉を聞けない。

 瞬間的に私が願ったのは、「この言葉は、命のバトンを繋ぐ、その価値自体を否定したんじゃない、と、確認してもらえないか」ということでした。

 見る人から見ればそんなことは当たり前で、いちいち言うことでもない。それも確かなんですが、でも、「自分が否定された」と感じる、あのなんとも言えない気持ちを、誰かがまた「拾って」しまわないように。

 それぞれが独立完結した人生であり、その人生を生き切ることが、それぞれの命の意味である。——これはいい。
 で、命のバトンを繋ぐと言うテーマで人生を生きる人もあるし、そうではないテーマを抱えている人もいる。
 それだけのこと。
 でもちょっとだけ気になったので、半分寝落ちしながら、次のように私もツイートしました。



 いちいちそんなこと言うのもメンドクセエって言われちゃうかなあと思っていたら、先ほど、こちら、二つのツイートが目にとまりまして。

 


 誰かがご自身のことを語っただけの言葉なのに、拡大解釈して「自分はあの人に否定された」などと感じ、怒り出す、——なんてことがないように。

 それぞれの人生はそれぞれの価値を持って存在しているということが、もっと強固に人の意識に確立されれば、「……あっ、今のはあなたのことじゃないですからね」なんて慌てて「補足」しないで済むんでしょうね。(^^;)

 だらだら長文になってしまいました;;
 お付き合いいただき、ありがとうございました。m(_ _)m
 
 
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