女の友情
 そーいや私も、子どもの頃にはけっこう聞くことがあったような……?
 女の友情は薄くて軽くてダメ、ての。




 そういえば今はあんまり、そういうことを聞かないなあと思ったのでちょっと引っ張ってきました。
 
 基本的にツイートは何かを「論じる」のには向いていないと思うのはこういう時で、二つ目のツイートの方はもっと長いです。興味おありでしたらツイ主様のページへどうぞ。

 私が興味を覚えたのは、そういえば「女の友情なんかダメ」だという論、最近は聞かない、ってこと。
 子どもの頃には時々、そういう話を聞いたような気がする。
 フェミの方々のお嘆きもわかるんですが、こうしてみるとやはりちょっとずつでも、人々の意識変化はあるんだなと思いますね。
 ちょっとは進んだのかなと思った次の瞬間には、以前の通りの、どうかしたら以前以上に頑固頑迷頑陋(がんろう)な、人、言葉、意識にぶち当たってゼツボー的な気持ちになることもありますが。

 先だっても、うちの義妹ちゃんとも話したんですが。
「女同士って仲が悪いとか陰湿だとかいじめだとか対立しやすいとかって、ありゃ一体なんのイメージなんだろうね」
 基本的に女性同士は「共感」を分け合うコミュニケーションをとるので、平和なもんですよ。特別に仲がいいということはなくても、世間で言われるほど、陰湿でギスギスしているということはない。

 友情というものはもちろんあるけれども、こう言ったら何ですが、男性同士のそれのようにベタベタしないんですよね案外。
 それこそ、自身の結婚・出産・子育て、という環境の激変があるので、どうしても、ベタベタするわけにはいかない。時間でも空間でも、疎遠になる時期はある。
 でも、その時期からまた次の季節になった時や、顔を合わせた時には、あっさりその空白を越えてしまう。

 ありがたいもんです。ほんと。
 
 私などは女性ばかりの空間に行くと、「女の人っていいなあ♡」つって寛いでしまう。
 共感をベースにした緩やかなコミュニティになることが多いですし、一方では、何か共通の目標に向かって団結したときは、女性の方が圧倒的に頼りになる、というのが私の実感。

 義妹ちゃんも女性が多い職場にいるんですが、時々、赤の他人からは「女性ばかりの職場は大変でしょ」みたいな同情をされることがある、というのですね。
 そんなことを言われるたび「はあ?」という感じになるらしいんですが(笑)。
 実際、上司に対抗(……)するときは見事な団結力を見せるし、そうではなくても、日常でも、お互いに助け合う、という姿勢があるので、女性ばかりの方がやりやすいと思う、とのこと。
 同感ですわ〜……。

 であるにもかかわらず、女同士は仲が悪い、というあれ。
「男の人は、それ、言いたがりますよね」
 うんうん。
 どうも殿方の意識のどこかでは、女性同士が仲良く団結などされるのが不愉快になるところがあるらしい。
 それは以前から感じていたことで、ジョン・グレイ博士と、福岡伸一先生のご著書を読んでほぼ、確信を得るに至りました。

 女性たちには仲が悪くあれ、と願うその意識。
 それは、なんのことはない、女性の意識が男性から逸れているのが気に入らないんですね。

 女性のファッションに「そんなのは男には人気ない」「モテない」などとよけーなことを言い、「男のために服を選んでるわけじゃない」と女性に怒られる殿方も少なくない。
 なぜ、女性の何もかもが、そうも男性中心である「べき」だという意識なのか、というのが謎でしたが。
 ——小さい子供が、お母さんの意識を引きつけようとする、そんな感覚なんだな、と。

 男性が女性を意識するほどには、女性は男性を意識しない。
 これはものの道理というもので——子供が生まれたら、女性は子どもの方により意識を向けるもの。(もちろん例外はいくらでもありましょうが、基本として)
 女性が本来的にあんまり男性を重要視しないのは当たり前のことであり、「種(しゅ)」の存続のためにはやむを得ないところがある。

 でも、女性から重要視されたい男性にとっては受け入れがたいこと。
 女性の友情などは薄くて軽いもの、女同士は仲が悪い、というのも、男性の意識から現れた、ある種の願望。

 こんなことを言うと大抵、殿方からは、そんなことはない女性は実際ああだこうだと、例を持ってきて「怒る」人がいるんですが。
 その例というのも、結局は「伝聞」だったりその人の勝手な憶測だったり、あるいは実際の経験てこともあるけどその場合は、むしろ、そんな女に引っかかった我が身を省みた方がいいよという例だったり。(^^;)

 まあ、殿方の願望や妄想は、それはそれでいい、と思っております。
 私が言いたいのは、女性に対して、「男性の妄想に、女性が『合わせて』やる必要はないよ」ってこと。

 自分たちの実感や実態とは異なる、ネガティブなイメージを押し付けられたとき。
 あえて叩き潰す必要も(基本的には)ありませんが(妄想のことだから)、でも、それに合わせないとならない、とは、思わないこと。

 あらそうだったかしら、と言ってさらりと流していればいい。
 私どもは、私どもの現実にいればいい。
 そう思います。

 私の弟の面白いところは、彼はこういうことも割とあっさり飲み込むということ。
 最初、このことを考えついたときに、弟に、
「男性は、女性同士が仲が悪いことを望んでいるのではないか」
 と言ったとき、ちょっと考えてから、
「ああ……うん。そうだね。そういうところはある」
 とあっさり認めました。

 あまりにあっさり認められたのでこっちの方がびっくりして、え、マジで? と言っちゃいましたが、そういう「意識」があることは確かです、とのことでした。
(その意識がどこまで強いかは個人差があるでしょうし、全くない、という人もあるでしょう)

 男性の意識の中には、ご本人としては認めるにはあまりに心理的な抵抗が強いものがあるのは理解できますが、その抵抗を越えていける人というのは、多くないように思います。
 私の弟は、それを比較的容易に越えて、他にもいくつか、フツーの人ならいいにくい、認めがたいものについて、あっさり告白した人でもあります。

 そういうのを聞いて思うのは、女性の方もまた、そういうのを聞いて「責めない」ことって大事だなということ。
 責めたってしょうがない。
 責められてしまってはもう、それこそ、立つ瀬がないでしょう。
 いかなる意味でも、人をそこまで追い詰めるものではない。そう思います。
 
 妄想や幻想も必要な時があるので、全否定する気はありませんが、それゆえに現実の人間を貶(おとし)めたり、責めたりってことは、しないこと。
 そういう方向へ、少しずつでも進んでくれたらいいなと思います。
 
 
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