理解より嬉しいもの
5つ星!『君の名は。』を英メディアが大絶賛
シネマトゥデイ 2016/12/5(月) 7:16配信

 ツマンネーことをタラタラ書いてあったのは破棄して、ちょっと嬉しくなったので急遽、話題差し替えます。(^^)

 ということで「君の名は。」。
 美しいということは見ればわかるとおりであるにしろ、あの「物語以前の物語」が、どこまで理解されるものだろうか……と、密かに思っていた(…心配してたというとオカシイよねえやっぱり…)「君の名は。」ですが。
 
 いまのところ外国においても評判は良いようですし、あとはこちらの記事ですね…映画評と実際のお客さんの動きや反応は必ずしも一致するとは限らないけど、でも、「理解されるものだろうか」の部分、理解されたかなというところが、ちょっと嬉しい。

 なかでもThe Telegraphの評論がねえ。「そうっ! そうなんですよ!!」と思わず手を握りしめたくなるくらい、「嬉しい」。(* ´ ▽ ` *)

 以前にもちょっと書きましたが、「君の名は。」は本来なら、あのラストシーンが、フツーの映画の(とか何かのフィクションの)スタート地点になるところ。
 あの映画を見て肩透かし食らった気がした人の言い分もわかる。あれは本来は物語になる以前の、観客の目には触れない「準備段階」なんですよね。

 物語らしいものはじつは存在していなくて、あるのは、「気持ち」と、何かが存在している、「命あること」、それだけ。

 ある意味では大変に抽象的で、分かりにくいお話だと思います。
 それをあれだけ、ちゃんとした映画にした、というのがスゴイ。

 とはいえ——肩透かしを食らった気分になった人がいるように、この淡い、時間のスキマを縫って歩く、フィジカルな部分では「何も起こっていない」ものが——「好まれる」だろうか。
 そのあたりが気になっていました。

 理解されたとしても、それを好むかどうかは別ですからねえ…。

 良い作品だ、良い映画だと認められても、作品について、好き、と思えるかどうかはまた別のこと。

 私が心配するようなこっちゃないとはいえ、(^^;; でも、一応のファンとしてはさ。どーせだったらやっぱり、好きになってほしいなと思うわけですよ——「理解」よりも。

 好むこと、好きと感じること、って玄妙なものですよね。

 例えば映画とかなら、「良い作品」「傑作」「名作」だと認めるけれども、でも「好き」かと聞かれたら、いやーそれはちょっと、申し訳ないけど…ってことは山ほどある。
 逆に、世間から罵倒されてしまう理由は理解できるくらいのものがあって、でも、私はこれ大好きだなーというものもある。

 理解され、認められることも、偉大なこと。
 でも、聞いていちばん嬉しいのは、「好きなものを好きと言ってもらえること」なんですね。

 好き嫌いの「好み」は、本人にもどうにもならないこと。
 だからこそ、理解され(理性的なところで)評価されるより、「好き」と言われることの方を、私は「上位」に置いてしまうようです。

 往年の名女優でマレーネ・ディートリッヒという方がいまして。
 引退後の彼女のインタビュー番組を見たという、塩野七生さんのエッセイによれば、彼女はいろんなことを「アイ・ラヴ…」で括った、という。
 何かが素晴らしいとかを表現するのに「なぜ素晴らしいか」を分解して、「批評」するのではなく、ただ、アイラヴ…で伝える。

 実のところ、理解されるよりも愛される方が困難とも言えるし、理解されたい、などというより、愛されたい、という方が度胸がいる、というのが、塩野さんの感想でしたが。

 もちろん理解されればありがたいけれど、最後には、理屈も批評も飛び越えたところで、好き、と感じること好きと思うものが、人間にとっては基本だし核なのかなあ。

 ——と、興行成績がどうこうよりもとにかく「好き」と思ってもらえたことが、自分でも意外に思うほど、嬉しくなった記事でした。
 
 
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