ミスコミュニケーション・考

 なんと。
 もう12月ですよ;;
 大掃除はまあいいとして(11月から小分けにして少しずつ進行中)、年賀状……あああどうしようううぅ。って毎年言ってるあたりに進歩がない。(^^;)

 今年は冬コミには(今のところ)行かないことになっているので、日本郵便さんが25日までに出せというのを無視して、コミケないからゆっくりやればいいかなーと甘い考えでおります。

      ●

 ツイッターでフォローはしてなくて、「リスト」というものを作ってそちらから拝見している先が結構あります。
 そのうちの一つが、「うつ病に隠された心理bot」さま。加藤諦三先生のご著書からの引用ですね。

 なるほどなーと思うものがあるのですが、内容が内容だけにあんまり頻繁にはRTもせず、自分一人でぼーっと眺めております。
 が、ときどき、うつ病とは限らない、広く一般的に人の心理として言えるな、というものもありますね。



 昨日もちらっと、「せっかく気遣いをされているのに、されている本人がそのことに気づいていない」ことって結構ある、と書きました。
 気遣い、心遣い、配慮をしてもらっているのにそのことに気づかず、気づかないために不安感を募らせる。いわばコミュニケーションのすれ違い。

 うつの心理としては、この状態が「常に」あると言えるんでしょう。
 うつ状態というのはもう心が疲れきっていて、自分のことで精一杯になっているので、周囲の状況は目に見えていても認識できない。
 目で見ている、ということと、「認識する」って別のこと。

 こいつわかってないなと言って親切な人が、「あの人はあなたにこういう風に親切にしている」「こんな風に気遣ってる、心配してるよ」と指摘しても——ダメなんですよね。

 疲れ切って心を閉じている状態では、そんなふうに教えてもらっても、ありがたく思うどころか、「人にこんなふうに気遣いを『させて』いる、迷惑なやつだ」と非難された、と、そういう解釈をしてしまう。

「愛されていても、愛されているとは感じられない」——原因であり症状でもありますねこれ。

 この辺を考えていると、人間関係は、ギブ・アンド・テイクを繰り返す「循環」があって初めてまともに成立するんだなと思います。
 どれほど大事にされていても、本人が、そうとは「思えない」場合、本人にしてみたら、それは「ない」ことと同じか、あるいは、「自分は迷惑な存在」という自責と罪悪感になる。
 
 まあ、うつ病者はちょっと極端なことになってますが、そうではない人でも、ギブ・アンド・テイクのやりそこない——ミスコミュニケーションは、山ほどあるんでしょうね。
 というか、うまくやりとりしている方が珍しいのかな……。だから「うまくいく」人が、友達になるのかも。

(余談ですが、ディスコミュニケーションも和製英語のようです、辞書には載ってません。ミスコミュニケーションなら、かろうじて英英辞書にあった;; オックスフォードかなこれ)

 事実と、認識と、それぞれの望みのすれ違い。

 この件についての分かりやすいテキストは私にとっては源氏物語の紫の上。

 源氏物語のもう一人の主人公とも言える、源氏の「一の人」つまり最愛の人ではあるのですが。
 源氏にこよなく愛されていたのは間違いないし、本人もそのことはよく「認識」してはいるのですが(ここ大事)、でも、紫の上は源氏に絶望的に裏切られ続け、失望して、もはや精神的には疲弊しきって死んでいく。

 源氏が彼女をこの上なく愛したのは事実。紫の上自身もそれはわかっていた。
 でも、彼女の一番大事な願いは、生涯にわたって踏みにじられ続け、満たされることはついになかった。

 ここんとこがどうもねえ……。
 どう解釈すればいいのかな、と考える。いつも。

 原作ではわりとあっさりした描写なので、かの「あさきゆめみし」(大和和紀さん)では丁寧に描きこまれています。
 結局、そうやって、最大の苦痛と悲しみを与えたのは源氏ですが(彼女の生きる気力を奪うほど)、でも、紫の上の、生涯最大の喜びを与えたのもまた、彼だった、と。
 そのことを認め、臨終の紫の上は、自分の源氏への愛を回復した(と思われる)ようすで、息をひきとる。

 つまるところ、そりゃもう源氏がどがつくアホなのは事実としても、紫の上が彼に「殺された」のは、紫の上自身が、それほど源氏を愛していたから。
 彼女自身にそういう気持ちがなくて、源氏をあっさり見捨てていたなら、彼女はもっと長生きしたでしょう。

 そう考えれば、紫の上は自身の愛情によって死んだとも言えるわけです。

 自分の命さえ奪われるほどに愛することは。
 幸せなことといえるのか、どうか。

 こういう、ミスコミュニケーションで悩んでしまうのは「べつに、誰も悪くはない」こと。
 それぞれが、ロクでもないことをしているし、それぞれが、崇高なこともしている。
 誰も悪くない。
 でも、現れる結果は、これ。

 それを避けられないものとして、「受け入れる」しかないのか。
汝のすべきことをせよ」(ヨハネの福音書13章27)

 結局はそれしかないということなのか。


 与謝野晶子訳の源氏物語を読んでから30年。
 未だにこの件については、スッキリしません。(^^ゞ


 世界最古の長編小説、源氏物語。

 最古ではあっても、そこに描かれる人間の姿は、今なお、ぜーんぜん古くない。
 そこのところはすごいなと思います。ハイ。
 
 
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