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希望の裏返し

 こういう「ハウツー」って聞いたって参考にならない、現実的じゃない、とハナっから否定する人もありますが、でも、聞いておいて損になることでもないので、ちょっとだけでも。
 ね。(^▽^)

不満をより効果的に伝えるには
2016 年 11 月 21 日 12:57 JST  THE WALL STREET JOURNAL


 日本で過剰労働が減らないのは「お客様は神様。俺は客だから神様だ」という、過剰にサービスを求める風潮も原因になっている、というツイートをお見かけして、うんそれはあるなあ、と思いました。

 もういい加減、きちんとしたクレーム(complaint)と、相手にする価値もない、というより速やかに警察に届けるべき「言いがかり」「恐喝」「脅迫」「強要」とは区別しましょう、と言っておりますが。
 その一方で、でも、「ちゃんとした」クレームを言うって、案外できない人が多いんじゃないかと、上記の記事を読んで思いました。

 ちゃんと、適切に、不満なり希望なりを伝えると言うことは必要。

 世の中には、モンスタークレーマーがいる一方で、ちゃんと自分の希望を述べるときですら「自分さえ我慢していれば丸く収まるんだ」と思い、黙ってしまう人もいる。
 どちらも望ましいことじゃない。

 モンスターなんちゃらも困るけど、黙り込んでしまうのも、長期的に見るといいことではないでしょう——本人にもだけど、実際は、周囲の人、あるいは社会全体にとっても。

 どうも今は、我慢しちゃう人と、耐えかねて不満が爆発しちゃう人とに分かれているような気がする。(モンスターなんちゃらは論外とする)
 
 ちょっと混雑したエレベーターや電車の中で、むやみに周囲の人に(無言で)怒りをアピールする人っていますよね。
 何について怒っているかというと、「自分はこの階/駅で降りるんだ。邪魔だ、どけ」ってこと。
 それでひとりでプリプリ怒ってる。
 タチが悪い奴だと肘で他人を小突いたりしますよね。

 ——黙って突っ立ってるだけで、オマエがどこで降りたいかなんて他人にわかるかボケ。
 と、何度思ったかわからない。
 こっちはエスパーじゃないんだ。
 まして身動き取れない混雑した場所では、互いに「譲り合う」しかないのに、誰がどこで乗降するかなんて黙っていたらわかるわけないだろ。

 なぜそこで「すみません降ります」って言えないのか。これは謎です。
 何のために口がついてんの? 喋れないの? 別に日本語じゃなくたっていいよ、英語でエクスキューズミーだって、何か言われて出口へ向かう動きがあれば、ああそうか降りるのかとわかるんだから。

 極端なんだよ、と思います。
 我慢する人は過剰に我慢するし、モンスターなんちゃらはすべての他人が自分のためにサービスして当たり前だと思ってる。

 モンスターなんちゃらについてはここでは置くとして、気になるのは、「不満なり希望なりを言わない/言えない」人。
 なぜモンスターなんちゃらよりも黙っている人の方を気にしているかと言うと、こういう人って放置されがちだから。
「手当て」が遅れるんです。
 で、手遅れになったら、いきなり爆発する。

 おとなしくしている、我慢している人って、周囲からみれば、ある意味、「便利」な人でもある。
 何だか顔色が悪いなとか落ち込んでるみたいだなと思っても、自分としてはその人が黙っている方が「都合がいい」から、ま、いいか、と放置する。
 よろしくございません。

 言いたいなら言えばいいだろうと乱暴なことを言う人もいますが、それができないから我慢しているんで、そこはやはり、周囲からの「手助け」は必要でしょう。
 世の中の人間全部が自分と同じように図々しい奴ばかりだと思うなよ。

 不満や希望を伝える、というのは、意外と難しい。
 不満を伝えるというと「怒り」とセットになっている人もあるけど、これも違う。
 伝えたいなら、むしろ怒りなんて感情表現は邪魔になるだけ。

 ということで上記の記事では、そのあたり、タイプ別の解説を加えながら「伝える」方法について書いているので、なるほどねえ、と。
 コミュニケーションも「技術」ですから、アドバイス、そっくりそのまま実行はできなくても、「そんなん聞いたって役に立たない」なんて言わないで、聞くだけ聞いてやってください。

 こういう記事などで、不満を伝えるにはこんなふうにしてみてと言われても、実際の状況や、人間関係として、そのまま実行はできない、ってことはありますよね。

 不満は溜め込んじゃいけないし、だからと言って表に出してはトラブルになる。
 そういうときは、自分で自分のその感情を認めてあげる、ということが、効果的でしょうね。

 不満を持つ自分を、自分勝手な人間だとかって責めないこと。
 このハウツー記事が「おすすめ」するような「技術」を試してみながら、やはり基本は、「自分で自分の気持ちは認める」ことは欠かせない。そう思います。

 不満の裏には希望がある。こうでありたい、自分はこうしたい、という気持ちがあるから、裏返しになると不満になってしまう。

 もう一度、それをひっくり返して「表に返して」、こうでありたい、自分はこうしたいという「希望」に戻す。
 自分はそんなふうに思ってるんだな、と認める。
 不満で気持ちがパンパンになっていると、「自分の希望」さえ、見つけられないんですよね。
 で、自分が望んでいることに気がつくと、不思議に、気持ちがホッとする。

 不満というのは、内側からのノックなのかもしれませんね。
 私にはこういう希望がある、こういう望みがある。それに気がついてくれ、という合図。

 もし、自分はこうしたいと思っていることがある——と気がついたら。
 そうなのか、と認めるだけでいい。「評価」はしないこと。

 評価するってことは「裁く」ことでもありますから。
 いいとか悪いとか言い出すと、結局、自分を責めたり、人を恨んだり、になることが多い。
 そうではなく、自分の望むことを、私はこれを望む、とだけ、認めてあげる。


 不満についてだけのことじゃなくて、どんなことも、「自分の内面の手当て」と、「外に表現する技術」と、両方をそれぞれに働かせることが大事なんでしょうね。
 口で言うほど簡単じゃないことは、私自身もよっく! 承知してますが。(^^;) 経験者ですなんてもんじゃない。リアルタイム進行中です(笑)

 ということで。
 基本的には独り言なんだけど、でも、どなたかのご参考になればいいなと思って、メモがわりに書いてみました。
  
 
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