思えばいと疾し
2016年11月18日 (金) | 編集 |
 ありていに言いますと、悪口です。(^^;)
 「新語・流行語大賞」なんですけど。

 2016年、今年のノミネートはこちら↓。

http://singo.jiyu.co.jp

 いつ頃からそうだったのか、最初からそうだったのか、とにかく気がつくとこの「ユーキャン・新語・流行語大賞」は、「……流行?」と首をかしげざるを得ないもんばっかり選んでくるんですよね。
 流行ったって、どこで? と言いたくなるようなものもあるし、政治に絡んだ候補が出てくるのも気持ち悪い。昨年2015年ですと候補の中に「アベ政治を許さない」かなんかがあって、なんですかそれ。としか、言いようがない。
 小泉内閣当時もなんだか変なこと言ってた気がしますが調べる気にもならない。

 新語、というからには新しく作られた言葉だろうし、流行語というからには「人口に膾炙する」という「現象」が、候補に上がる条件として考えられるのに、「…………どこが?」と言われるようではどうしようもない。

 候補作は誰が選ぶんでしょう? どうやって? どんな基準?
 あまりにも「人口に膾炙する」という私どもの実感からは遠いところにある言葉ばかりが並んでいる。強いて候補を眺めたときの「実感」をいうなら、
「ああ。マスコミが、なんだか騒いでたよね〜」

 新聞雑誌等の広告や実際の目次、見出しのデータをぶち込んで統計とりました、ということならまだわかりますが——でも、そうだとすると
「なんだ、マスコミが流行らせ『たい』、って意味か」
 ということになり、実際に流行したかと言われれば「違うでしょ」とあっさり否定するしかないですね。

 こんなところでも、「他人の思惑に唯々(いい)としてノるのを嫌がる」という、私のへそ曲がりぶりが発揮されるようです。(^^;)

 流行させたい、人様の同意を得たい、という気持ちはわかりますが、だからってこんなもん(失言)を使って、いかにもそれが実際その通りに流行したかのように装い、素直な人なら「あれ、そうだったっけ」「そうなのか、流行ったのか」って飲み込んじゃいそうで、それを狙っていくというのはあまりにも、手法としてはケチなんじゃないの? と、そんな風に思います。

 今年の候補30語、眺めていても「流行った?」「どこで?」と思うし、「誰が言ってた?」と考えれば、結局それは、週刊誌などを含めたマスコミ「だけ」じゃん——と気がつく。
 実際、よく目にも耳にもしたとしても、嫌ですよこんな下品が言葉を自分が使うなんて。
 そういう感覚で、実際自分も使いましたなんて人、そう多くはないんじゃないですか。使ったとしても「引用」に近いものばかりだったはず。

 だから、新語・流行語大賞、って、私ども一般庶民には関係なくて、「マスコミにおける」って、ちゃんと区切ればいいんですよね。

 ネット流行語大賞の方はその名の通り、「ネット上で」のことですよ、リアルの社会はまた違うかもね、という断りを入れているんですから、わかりやすいし良心的。
 実際ネットでは、ネットやSNS特有の表現、言葉が「発明」され続けてますよね。言語とも言い切れないようなものを含めて。

 で、実際、インターネットを見ていると、確かにそういう言葉(か符丁か記号)が生まれた、よく使われた、というのもわかることなので、「実感」を伴う。

 新語・流行語大賞もこの際ですから、マスコミにおける、という説明を、ちゃんと頭につけたらどうでしょうか。

 大河ドラマ「真田丸」は今年のヒット作であることは間違いないのに、それに関連する言葉、あるいは「みんなが口にした」言葉(〜丸、というのは意味はないけど流行ったねえ/笑)、候補にかすりもしてないってどういうこと? と思いますと、
「一般市民とはかけ離れたところでやってんだなこの賞」
 としか考えられないですよね。
 …………昔からではあるけれど。(^^;)

 私はそういう、何かの押し付け、「ね、そうだよね」とむやみに「強要」されることにはどうしても敏感に反応してしまいます——嫌悪感の方向で。
 で、新語・流行語大賞についてはもう、ばからしい、業界のお身内で「ごっこ遊び」しているだけじゃん、という風にしか思わなくなっておりまして。

 それでもつい眺めてしまうのは「今年はマスコミってどんなバカを晒してたっけ?」という、これはこれで、今年を振り返る材料にはなるから、かもしれませんね。

 ………あらためて眺めていると
「皆様、2016年も、お疲れ様でした」
 という感慨がこみ上げてくる——これは素直な気持ちで、嫌味ではございません。

 1年なんか、あっというまだねえ、と言いながら、それでも、いろんなことを乗り越えてきた1年、……ではあるんですよね。
 
 
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