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天使が通り過ぎる



 ひとさまのツイートを見て、ふと思いつき、
「あまり親しいとは言えない人と過ごす時間のうち、会話が途切れることを異様に恐れる人があるけども、話すことがない、聞くべきこともないなら黙っていてもいいと思う。
沈黙を楽しむくらいに思っていていいんじゃないか」
 なんてことを呟いたんですが。

 考えてみると、こういう態度って、いわゆる「空気を読まないやつ」という評価をされてしまうんでしょうかね? (^^;)

 私もおしゃべりというタイプではなく、人見知りで、どちらかというとひっそり静かにしている方ですが、そういう自分をあえて苦痛に感じたことは、あんまりないんですよね実は。
 言うことがないなら、黙っていてもいいじゃないの、と思う。

 むしろ、あえて、なんとか話をしようと言う人があると、こちらの方が辛くなる。そんなに気を遣わないでください、かえって心苦しいです、と言いたくなる。
 
 面識さえもあまりないなら、話が弾まない方がむしろ当然。
 そう言う意味では仕事先の相手というのは、話題はなくはないので気楽なところがありますね。

 わたくし、日本の社会の中では異様に憎まれるB型でございますが、B型同士だと気楽〜に過ごせるというところは確かにあり、その理由の中に、「別に黙っていてもいい」ってことがあります。
 話すことがあれば話すし、(お互いに)なければ黙ってるし。
 べつにそれでいいじゃんね? ということを、むかーし、友人(同じくB型)と話したことがあったなーとふと思い出しました。

 あれは多分、若いせいもあったのかな。
 どういうわけでしょうか、歳をとってくると、そういうプレッシャーも減ってきたんですよね。
 逆説的ですが、話を繋ごうと思えば大体できるようになってきたので、「黙っていてはいけない」というプレッシャーが減った、のかもしれません。
 人見知りは変わってませんが。

 歳を重ねた分だけ話の種になることも増えてきて、話を継ごうと思えば継いでいけるようになった。で、まあ、そうなると沈黙があっても恐れる理由もなくなってきた、と。
 面白いもんです。

 知らない人とでも積極的に情報開示してコミュニケーションを取ろうという心がけは立派だと思いますが、そんなに無理しなくてもいいんじゃないかなと、たまに、思うことがあります。

 世の中には本当に如才ない、よく行き届いた人がいて、それこそ相手に気遣わせずに場をつないでくれる人がありますが、——万人にあれをやれというのも現実的じゃないでしょう。(^^;)

 結局、人といる間の居心地の良さ・悪さは、言葉で話すことよりは、「歓迎される」「雰囲気」の方が大事だという気がします。
 これは全く説明しきれないことですけども。「雰囲気」って言われてもねえ——と言われるでしょうし。(^^;)

 会話がふと途切れたときの沈黙を、フランスの諺でしたか、「いま、天使が通り過ぎた」という表現があるんだそうですが、そんな感じでいいんじゃないかな。
 私もこの言い方がずいぶん気に入って、以後は特に「話すことがないならあえて話さない」ようになっちゃいました。

 ………これ、でも、相手によっては「空気を読まない」という評価をするのかなあ。
 と、ふと思いまして。(^^;)
 そうだったらごめんね;;
 ある意味、空気を読まない、というのはその通りなので、反論もできません(笑)

 まあ何かと「変わってるね」と言われる人生を送ってまいりましたが、高校2年になるまで「変わってる」って褒め言葉だと思ってましたからね〜。
 褒め言葉ではない、と断言した友人(こちらはA型)の言い草を、私は一生忘れない。

「あんたは自分を変わってるとは思わないんでしょ」
「思わない」
「だから変わってるんだよ」

 なーんでよ。みんな個性とかって言葉好きじゃないの。個性的って、言い換えれば、あるいは見方を変えれば「(人とは)変わってる」ってことじゃない。個性的が褒め言葉なら変わってるだって褒め言葉じゃないのか。

 ——ないらしいです。

 ということで。
「話すことがないなら、黙っていてもいいじゃない。無理に話そうとすることはないよ」
 という態度も、「変わってる」のかもしれませんが。

 変に気疲れするのもされるのも億劫なことですし、「天使が来ている」と思ってほっこりしていれば、「雰囲気」もよくなって、逆に居心地、いいんじゃないかなあ。
 そう思うようにしています。(自己暗示)
 
 
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