自分のルーツ
 さんざん、日経新聞朝刊の「春秋」というコラムを「左巻き」と呼んでおりましたが、少なくとも、筆者は交代したか、あるいは別に人が加わるかしたようで、割とここんとこ、まともです。

 今朝のお題には「ウブスナ」という言葉が出てきまして。

 産土と書き、その人の生まれ育った土地の意味ですが、土地の神様を「産土神(うぶすながみ)」とも申します。

 土地、神様、人間の出自をも意味する「産土」は大事なものですが、なぜウブスナというのか、語源がはっきりしなかったそうですね。
 それを調べていた先生がおっしゃるには、「産屋(うぶや)の砂」——古事記にも出てきますが、その昔、出産にあたっては小屋を建て、そこに砂、あるいは土を敷いた。
 この「産屋の砂」から、ウブスナというようになったようだ、と。

 私は旅行へ行きますと、その土地の古い神社がわかれば、可能な限り、お参りします。
 外国へ行った折にも、異教徒ですがすみませんお邪魔してます、ということで、教会の外から「ご挨拶」してきました。

 そんな行為の根拠には「産土神」という概念があるようです。
 その土地や風土、気候、ことに水、といったものを敬うこと。

 人は住む土地によっても影響される。人は土と水によって「育てられ」、その土地に「守られて」生きている。
 だから、他の土地へ行ったときも、ご挨拶くらいは…というのが、ほぼ無意識ですが、私の考えるところ。
 信仰するしないはともかくとしても、人が土地によって「生かされている」のは「事実」ですからねえ……。
 その事実を、気にも留めずに過ごすか、ありがとうございますと手を合わせるかは、人の考え方次第、というだけ。


 ここんとこ毎日のように、「もーアメリカ人やめたい」「移住しようかな」というお嘆きを目にするんですが、それを見るたび「気持ちはわかるわー…」と思います。(^^;)

 2009年のあのとき、ここだけの話ですが私も結構、本気で考えてました。
 あれこれ調べて、資料を読んでみたりしてましたが——でも、じっさい、私は本当に、この「産土」から離れられるだろうかと考えて。
 ま、できないことはないな、と。(^^;)
 土はそれで良かったけど、意外だったのが天皇陛下のことで。

 いやもう笑っていただいてけっこうなんですけど、「土」は動かないのでいいんですけど、「天皇陛下を置いていくわけには……」みたいな感覚がありまして。
 自分でも思わず、オマエは何を言ってんだバッカジャネエノと思いましたよ、ええそりゃもう。( ̄▽ ̄;)

 日本国民を、私は確かにあのとき、「見限った」。その感覚は今も同じです。でも。
 天皇陛下については、そうはいかなかった。
 ミョーなもんです、じっさい。

 でも、胸の奥から顔を出したのは、そんな「感覚」で。

 そんな風に思った理由についてはもう考えることは放棄してまして、まあ、そういうもんなんだな、ということにしております。……それこそ結構「根」が深そうこの問題。

 まあともあれ。
 どこへ行こうと、私を生み出して育てた「土」が変わるわけじゃない。自分の「根」はここにある、そのことは変わらない。

 ちょっと事情があったり、他の土地との濃厚な「縁」を背負った人は別でしょうが、でも基本的には、これが人間の「自然」だろうとも思ってます。

 生まれた土地、育ててくれた水は、自分の肉体そのものとも言える。
 つまりは、否応なく、自分はその土地の一部として存在する。それが「根」というもの。

 本気でこの国を捨てようかと思ったとき、でも、捨てられる、と思った根拠には、矛盾するようだけど、「どこへ行こうとウブスナは変わらない」ということがあったんですよね。

 どこへ行こうと、私を生み出して育てた「土」が変わるわけじゃない。自分の「根」はここにある、そのことは変わらない。だから、行きたければ行ってもいい、と。

 これは自分でも予想していなかったことで——「人の存在には根がある」、と思うようになったきっかけでした。

 例えばヨーロッパの人々には、日本人ほどには「移動する」抵抗感はなさそうですが、あれはひたすら地続きであることが影響しているように思えますね。個人の偏見ですが。
 国境なんぞは人間都合でしかないし、千年単位で考えれば固定した国境などないに等しい。
 いまいる土地と、向かう先の土地とは「繋がってる」わけだし、さほどの断絶感はないんじゃないでしょうか。

 海に囲まれ、良くも悪くもそれ以外の土地とは断絶し、「この場所で生きる」ことを、逃げ場所もなく見つめるしかなかった日本人。
 でもそれゆえに、自分は土と水とでできているということを、素直に受け入れてきたような気がする。

 こちらは昨日見つけたものですが——ほんとこれ、なんだろうなと思いますね。

776694091.jpg
©http://twitpic.com/photos/kobayashigahaku

 いつでも動けるのは、いつでも戻れる「根」となる場所があるから。

 動かしがたい土地に生まれ育ち、土と水の意味を知り、精神風土にも強固な「核」を持っている私には、本当は、アメリカ人の皆様のお気持ちがわかるとは到底、言えない、あるいは言ってはいけないんでしょうけども。

 でもまあ——自分を産んで育てた土と水を、そうも簡単に——言っちゃなんですがあんなくだらないことで——捨て去るのも、忍びがたいことじゃないでしょうか。
 今の状態がこの先何十年も続くわけじゃない。頭に血を上らせながらでも、自分の「根」を大事にして生きていてもバチは当たらないんじゃないかな。

 自分の根っこは、大切に。(何かのスローガンみたいな/笑)
 
 
関連記事
プロフィール

みずはら

ブログ内検索
最新記事
リンク
地球の名言

presented by 地球の名言

カテゴリー
RSSフィード
月別アーカイブ