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「ヌメロ・ゼロ」



 読了するのが惜しくて、ダラダラ読んでました。
 ウンベルト・エーコの最後の作品となりました「ヌメロ・ゼロ」。

 たぶん、ネタバレはしないと思いますが、——なんせ本当にネタバレをしようと思ったら、相当、長い説明をする必要が出てくるので、ネタバレするのも大変、という感じですね。(^^;)
 それでもうっかりする可能性があるので一応、未読の方とは、本日はここでお別れを。
 ごきげんよう♡

 露骨なネタバレがないならいいや、という寛大なお心の方、「続きを読む」「Read more」などなどと書いてあるところからどうぞ。
(使用しているテンプレートごとに言い方が違うからややこしいですよね;;)

          ●

 エーコの本にしては厚さがナイ、というのが最初の印象でした。実際、内容、構成、筋書きとしても大変シンプル。
 でも、シンプルであるゆえに80歳を超えたマエストロの「円熟」を感じます。
 大きな仕掛けなどないのにグイグイ引き込まれていくその力。

 往年の、ご本人にも抑えきれないんだろうというくらいの言葉の奔流といったパワフルさはないけれど、提示される情報や知識はあいかわらず緻密。

 本作では、一癖あるなんてくらいでは済まされない、クセだらけの登場人物たちが、新しく雑誌を発行するという名目で集められる。
 ヌメロ・ゼロは英語で言うなら「Number Zero」。
 本格的に雑誌が発行される前の、「パイロット版」を何号か準備する。正式な販売の前のものなので、ナンバー・ゼロ、と言う。

 この雑誌発行の経緯も、相当、胡散臭いものですが、新聞や、雑誌の発行にあたり、「マスコミ」と呼ばれる業界での、ものの考え方なり、慣習なり、その業界特有の「モラル」が細かに語られる。
 これだけでも結構面白い。

 そうして雑誌の準備号が作られていく間にも、社会には様々なニュースが飛び込んできます。
 「ヌメロ・ゼロ」は小説ですが、でも差し込まれてくるこれらのニュースは、すべて実際にあったことです。
 ファルコーネ裁判官がマフィアに殺害された事件は、私もよく覚えてる。

 そうやって実際にあった事件、ニュースが差し込まれるので、読者は小説を読んでいる感覚よりも、雑誌が発行されるまでのドキュメンタリーでも見ているような気持ちになってくる、というのは巧妙。

 そうして、「現在の事件」と並行して語られるのは、ムッソリーニのこと。

 いっしょに戦争で共に負けた仲だというのに、私ども日本人は、ほとんどムッソリーニのことは知らない。薄情なもんですよね〜。(^^;)

 先だってはナチの話もありましたが、ムッソリーニとなりますと、もっと知らない;;
 戦後、裁判にかけられる前に殺されていたとは聞いていましたし、それはイタリア人自身による「私刑」というべき凄惨なものとも、うっすら聞いていましたが、詳しいことは知らないままでした。

 今回は、現実にある諸史料、当時の検視記録などをもとに語られるので。
 その政治的な混迷状態、状況のことも含めて、「臨場感」たっぷり。
 ムッソリーニの死をめぐるナゾと陰謀が、緻密な推理で展開されるのですっかり引き込まれてしまいます。

 興味深かったのは、「点と線」じゃないけど、歴史の波間にちょこちょこと顔を出す、小さな事件——聞いた時にはえっと驚いても、すぐに自分の日常の中に消えていった事件たちを改めて継ぎ合せ、検証すると、「巨大な陰謀」だったのだ、と気づくあたり。

 あらためて検証をしてみれば、これほど露骨な「証拠」があるのに、何も、誰も気づかず、そのまま忘れていた——なぜあの時は、——あのときにも聞いていたはずなのに、なぜ、これはおかしいじゃないか、と思わなかったのだろう、と、皆で愕然とするんですね。

 マスコミはなぜ報道しなかった、なぜ隠した、なぜ「騙した」、とわめきたくなるけど、調べてみると、当時のマスコミはちゃんと報道しているんですね。でも——誰も、その当時には、怪しいとも思うものはいなかった。
 そして何よりも、「記憶」。

 なぜこれほど重大なことを私たちは忘れていたのか? いつから? どうして?
 確かな記憶だと思っていたことは次々に覆されていく。
 ——自分は、ああいうことがあったと記憶しているけど、本当か? 本当にそうだったか? 記憶間違いをしていないか? いつのまにか記憶を自分で書き換えていないか?

 エーコは「報道はちゃんとしていたよ」と指摘する。
 でも、その報道を聞いても、誰も何も気づかなかったんだよ、と。
 そして忘れてしまう。
 そんなニュースを聞いたことすら忘れてしまう。

 日本でもただいま、何かと言うとマスコミが槍玉に挙げられますね。
 挙げられてもしょーがないところもありますが、エーコは「新聞がどうこうじゃない。『自分が』どうなのか」と問うているようです。
「責任」をマスコミに擦りつけたいところだろうが、あいにく彼らは意外とちゃんと仕事はしているよ、と。
 彼らのせいにはできないよ。
 重大事を通り過ぎたり無視したり、誤解したり、挙句に忘れ果てているのは、自分だろう? ——

 そうやって記憶に自信を失うと、何が嘘か、何が事実かなんて、誰にもわからないんだよと、それまでの検証をいっきなり、ぜんぶ、ひっくり返してみせる。
 なんという血も涙もないちゃぶ台返し(笑)

 それまでは巨大な陰謀が、策略が、と真顔で聞いていたのに、「……なんちゃって♡」と言われたような衝撃。
 
 エーコは、シンプルなこの小説で、報道のあやふやさ、それをも凌ぐ人間自身の認知のいい加減さ、甘さ、浅さをあっさり裁いて見せているようです。

 何が本当で何がうそかなんて、誰にもわからない。報道されているから事実とは言えず、報道されていないから「隠した」「騙した」とも限らない。
 陰謀はあったのかもしれず、誰かの妄想だったのかもしれない。
 どちらであれ、ただひたすら、自分が、自分で見て聞いて考えて判断せずにいた、ということが浮かび上がるだけ。

 空虚ではない自分を保て、と言われているように思いました。
 虚と実とを確実に区別し、「自分にとっての実」を持て、と。



 複雑なプロットや、「薔薇の名前」のように思わずぶっ飛ぶような「知」も用いずとも、虚と実をくっきりあぶり出しているあたり、その技量の円熟、というものを感じます。

 人の記憶にこだわり続け、記憶を失えば魂を失う、とまで言ったエーコは、そこからさらに進んで、ただ記憶するだけではなく「自分にとっての現実」を、本作では示したのではないか。

 記憶はさまざまな人が持つ。同じ事件のことなのに、それぞれの記憶を持ち寄るとまるで違ったお話になってしまう。
 どの記憶が本当のことなのかと考えても無駄なこと。
 自分の持つ、自分の現実を、生きていくほかはない。


 記憶と膨大な知を、まるで底なし沼のように吸収し続けた人は、最後には、記憶の蓄積(だけ)に頼らない、「自分」に結びつくものを見せてくれた。そう思いますと。
 私にはたいそう、「腑に落ちる」感覚でした。
 

 ………これでまたお一人、その「知」に魅せられてきた人がいなくなってしまったなあ、と——正直なところを申しますと、今は、そんな寂しさの方が強いです。
 
 小説がどうこうというよりも。
 人ひとりが去るということは、ひとつの世界が消滅するということなんだ、と、そのことをこそ、強く感じる。

 小説の感想というよりは、——マエストロの「不在」に、しみじみしちゃっている、というのが、正直なところかもしれません。(^^;)
 
 
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