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2016.11.07 (Mon)

影響力の影響

 昨日の話からのまた続きというより「思いついたこと」なんですが。

 影響力って、なんのことなんでしょうね?



 上記ツイートを読んだときはどうにもこうにも、
「よーするにイスラエル大使館は有名人を見せしめとして拷問部屋へご招待するというのだな」
 と、モヤモヤしてしまい(そういう主旨にしか解釈できない)ましたが。

 気になったのは「影響力」という言葉。

 これ、よく見かけますよね。俗に有名人と呼ばれる人が、なんらかの炎上に巻き込まれたときの常套文句、「定型文」です。影響力があるんだから差し控えろ、影響力があるんだからよく考えろ、影響力があるんだから〇〇すべきだった………

 影響力って、なんです?

 人間が社会的動物である以上、自分の言動行動が人様にどういう「意味」をもたらすかを考えるというのは、いわば「社会的な行動」としては当たり前のもの。それはわかる。
 でも、こういう言い草を聞いていると、「有名人」には影響力があるが、一般市民はそうではない、という認識があるような気がして、それが気になる。

 人気のある芸能人を企業のCMに起用し、それを見て「この会社は信用できる」と判断し、結果、投資詐欺に引っかかる人というのは実際、多くいるわけですが。
 多分、「影響力」ってそういう意味なんでしょうか。有名人、芸能人で人気がある人は、無条件で多くの人を「たぶらかす」ことができる、という。

 とある詐欺グループの偽の投資話に引っかかった人が、「CMやパンフレットに、俳優の〇〇さんが出てたから信用してしまった」と話すのを聞いたことがあり、これには私も思わずのけぞってしまいました。
 影響力って。
 それはむしろ、例えば人気俳優さんご自身が持つ「能力」ではなく。
 受け取る側の問題なんじゃないでしょうかね?

 上記イスラエル大使館のツイートでも、「アイドルグループを代表として吊るし上げておかないと、ファンの連中がナチス化する」という考えが、底流にあるように読めてしまい、それが気持ち悪い。

 田んぼの作物を荒らさないよう、カラスを捕まえ、殺して、田んぼの畔に吊るしておく——そうやって他のカラスに「知らせる」、という光景、以前にはうちの方でも見ることがありましたが。
 イスラエル大使館の言っていることは、それと同種の考え方に思えます。私には。

 アイドルグループの件についてはそもそもあれがナチを(かっこいいものとして)ファッションにした、という認識自体が誤りですから(断言)、この際、そのあたりは置いといて。
 あらためて、この「影響力のある人間」という考え方、嫌だなと思いました。

 有名人には影響力があるからと言って、「見せしめとして」その人に圧力をかける、という考えには賛成できない。

 その人に影響力があるのだとしたら、それはその人がそういう超能力を持っているんじゃなく、そのひとのいうことやることを「考えもなしに鵜呑みにする」人たちの、ある種「見識が欠如した状態」を意味しているんじゃないでしょうかね?

 もちろん人間はお互いに、お互いを影響しあって、刺激しあっているものですが、——それは「双方向性」のものであり、どちらかだけが一方的に影響を与える、ってことはないのでは?
 仮に「影響」を発信しているとしても、それ、受け取る人がいないなら、何もないのと同じことになるんですから。

 なんだか禅の公案みたいなことになってきましたけども。(* ̄ー ̄)>

 誰か、何か「だけ」が悪い、という考え方、どうにも納得できない。
「影響力がある人」がいたとしても、「影響される人」がいないのなら、影響力なんてもんは存在しないことになる。

 投資詐欺に引っかかってしまった、という人が、言外に、「有名な俳優さんのせい」だというニュアンスをにおわせたとき、それは違うだろう、と強く思いました。

 何かよろしくない事態が起きたとき、誰かひとりを悪者に指定して、それ以外の人はみんな無力な被害者にしてしまう、というのは、危険な考え方、感じ方だと思ってます。

 私は現代人の中では信仰心は割と濃厚に持っている方だと思いますが、信仰心はありながら、「宗教」は苦手だ、というのは、この辺に理由があるかもしれません。

 純粋な信心のためには、むしろ宗教なんて「有害」だ、という結論になったことがあります。

 何かあったとき、誰かや何か——「有名人」または「有名人の特権」にだけ、「影響力があるんだから」と一切の責任をおっかぶせてしまう、影響された側の責任は考えない、という態度。
 よくないな。——と、今回のイスラエル大使館のツイートで、あらためて思いましたね。

 影響力がある人がどうこうじゃなくて。そんなもん(失言)に影響されてバカな事をしでかした自分について反省する方が先じゃないの?
 なんのために人類は、頚椎を傷めるリスクを負ってまで、1.2kg〜1.5kgもの脳みそをうやうやしく頭蓋骨の中に収めて歩いてんの?
 何もかもを「影響力のある人」のせいするばかりで——、重たい脳みそを活用できない自分の責任は問わないでいいわけ?

 ………ということで、「影響力がある人はよく考えろ」という主張については、私は真っ向否定しておきたい。

 何かあったとき、あの人には影響力がある、私はその影響を受けただけだ、という人は、それまでの日常では、影響力がある人に「べったり」、絶対服従、あるいは盲従、盲信、というところがある。

 信じるのでも愛するのでも、こういう態度は、ある程度は必要なものかもしれない。
 でも、盲信、服従の態度が裏返しになると、今度は、すべての責任を「影響力がある人」にすべて負わせ、自分には責任も落ち度もないという考えになる。
 私にはこれが、集団ヒステリーの「基本形」に思えてしょうがないのです。

 どんな物事でも、何か、誰かだけに責任があるなんて、そんなことあるわけない。
 強い電波も受信機がないなら、何も存在しないのと同じことになるわけですから。

 だから、安易に、あなたは有名人で影響力があるんだからその責任を取りなさい、なんていう言い方、考え方は、ただ嫌いというだけではなく「危険」だと感じる。
 そういうことのようです。
  
 
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