美学と妄想の違い
2016年11月04日 (金) | 編集 |
 オタクにしろ、コミケにしろ、世間様の実に中途半端な情報を元に、かなり、本来の言葉の意味からはかけ離れた意味を持たされるのを見るたびに、そりゃもう、イライラを募らせてまいりましたので。
 今回のこともあっさり、頭に血が上りました。(^^;)

NHK「西郷どん」は大河初ボーイズラブ要素も
2016年11月2日13時38分 日刊スポーツ

 再来年の大河ドラマは西郷隆盛さん主役のものと決定したそうです。
 原作は林真理子さん、といっても既刊があるわけではなくて、原作となり得るものをこれから上梓なさると言うことらしい。
 その大河ドラマの発表会見の席で、脚本担当の中園ミホさんのご発言として。

「原作はいろんな愛にあふれています。島津斉彬との師弟愛や家族愛、男女の愛、ボーイズラブまで、ラブストーリーがちりばめられている。1年間、そんな西郷どんにどっぷりほれていただきたい」



 ボーイズラブ、省略表記はBLですが、これを発音するときはビーエルということは滅多にない……はずですが、世間様はビーエル、とそのまま読む人もいる。
 よーするに知っちゃいないしわかってもいない。なのにテキトーな意味でこの言葉を使う。
 セッキョーのひとつもやりたくなるところですが、でももう、面倒なんで最近は黙ってます。

 この文脈からすると、BLという言葉を使うのは適切ではないでしょう。男色(なんしょく)なら男色、衆道(しゅどう)なら衆道、現代語で同性愛なら同性愛というべきでしょう。
 言葉の専門家なんですから、そのあたりは厳密に使って欲しいと思います。

 ——日本は古来、男色、中世末からは衆道(しゅどう)という独特の「文化」がありましたんで、ここで言いたいのはそちらの方でしょう。
 男色は一般名詞ですが、衆道となりますとこれは武士道と深く関わる「美学」でもあります。

 じゃあBLってなによというのなら——これは「フィクションのジャンルのひとつ」です。

 妄想煩悩というべきBLと、実際にあった衆道とは、似ても似つかないというのが実際ですよ。あんまり詳しく語るとドン引きされると思うので言いませんが。

 武士道のテキスト(禁書になった)(でも読まれ続けた)「葉隠」では「忍ぶ恋こそまことの恋」という有名な一説がありますが、ここでいう「恋」は衆道のこと。女性は恋の対象「外」という概念なんですね、あれは。

 何かっつーと死にたがる「葉隠」は、武士道とは「死ぬことと見つけ」ちゃうわけでして、武士は本来は主君のために死ぬもの。
「まことの恋」もまた、相手のために死ぬことが「恋の至極」だけれど、恋のために死んでは主君のためには死ねなくなる。故に、恋は「忍ぶ」もの——表には出さず、心に秘めておくもの、というのが、葉隠の結論です。

 現実がどうだったかはまっっったく! 別の問題として考えた方がいいですが、ともあれ、衆道はそういうわけで、単に同性愛という言葉では収まらない「美学」ですし、まして腐女子による妄想などとは、なんの関係もございません。

 そういうあたりを一切無視してこの言葉を使うというのは、どうもね。
 言葉の誤用と言っていいくらいでしょう。

 ドラマのテーマが、葉隠の主張する「恋」と関係するというなら話は別ですが、衆道の話なんてのはですねえ、現代人にまともに理解されるわけはないんですよね。
 これまでの大河ドラマでも男色の描写があったのは確かですが、あくまでも登場人物のエピソードに過ぎなかったし、実際、それがドラマの売りみたいにいうようなものじゃないですよ。

 ということで、過去もう何度もなんども、ある意味現在形でも、誤解と曲解、偏見と揶揄、冷笑にさらされて生きてきた腐女子としては、見過ごしにできない「言葉の誤用」ですね。
 虐げられてきた経験上、過敏に反応し過ぎかな、とも思いますが。(^^;)

 でも、BLというのが増田宗太郎(中津藩士)のことを指しているのなら、BLという世間様からは冷笑の的にされることばを使うのは、適切じゃない。これは断言する。

 ドラマはドラマの面白さできっちり見せてもらいたい。ちょっと奇抜な(と思い込んでいる)ギミックをチラ見せして人の気を引こうなんていうのは(例えば、『ポロリ』もあるよ! というのと同じ感覚で)、安易すぎると思いますね。

 そもそも、増田宗太郎の言葉は、その奥にある熱情と覚悟の強さには圧倒されるものがあり、性愛があろうがなかろうが、その「まこと」に感動するくらいのものじゃないですかね。

 なんか、へんなふうに人を茶化すような態度も嫌だし、そんなときにBLなんてろくに中身を知りもしないだろうものの名称だけを引っ張り出す、そういう姿勢も嫌だな。
 
 なんにしましても、再来年の大河ドラマのこと。
 来年のことを言うと鬼が笑うと申しますが、再来年のこととあっては鬼は笑い死ぬでしょうか;;

       ※      ※

「吾(われ)、此処(ここ)に来り、始めて親しく西郷先生に接することを得たり。
 一日先生に接すれば一日の愛 生(しょう)ず。三日 先生に接すれば三日の愛 生ず。
 親愛日に加わり、去るべくもあらず。
 今は、善も悪も死生を共にせんのみ」



増田宗太郎は西南戦争に薩軍として参戦。西郷が解軍令を出してのち、帰郷するものもある中、増田は西郷のもとにとどまり続けた。
西南戦争の最後の戦となった、城山の戦いで戦死したとも、捕らえられて斬首されたともいう。

 
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