成長後の紫の上・考
2016年10月11日 (火) | 編集 |


 ふと思い出したのでメモ的に。

 社会人になってから何年目かのある日、時間が空いたので久しぶりにお茶でもしようかと会った友人(♀)。
 世間話の合間にふとため息をついて、
「昔はさー、女の子ってさっさと嫁に出したわけじゃん? あれ正解だったと思う」
「ほお? そのココロは?」
「まだ20歳なるならずみたいな年でさ、社会のことも人間のこともろくに分かってないくらいの状態じゃないと結婚なんかできないよね」
「おいおい」
「だってそうじゃん。社会に出てさ、あれこれ見てると男と結婚なんかする気になる?」
「女ならいいのかい」
「いいと思うね。私は自分の友達、誰とでも結婚できるよ」
「(笑) 私もか?」
「アンタなんて最高じゃん」
「そりゃありがとう(笑)」

 てなことを言っていた人ですが、数年後には無事結婚して(あ、もちろん男性とです)、今のところ無事でおりますのでご安心ください(笑)

 よーするに右も左も分からない、人の言葉の裏も表も(そんなには)分からない、「世間知らず」の状態であれば結婚もしやすいだろう、社会を知り人を知り(ありていに言えば男性というものを見てしまい)「わかって」しまうともうあれこれが嫌になって動けなくなる……という主旨ですね。

 まあ、そういう面もあるのかな。
 でも、そのときは「女の子」でも、二十年後も女の子のままってことはありえないわけで、いずれ、もののことわけ、というものを理解するようになる。

 その結果が「中年の危機」だったり、あるいは熟年離婚の結末となるのかもしれず、とすれば、右も左も分からないうちに、本人がぼーっとしているところを見計らって結婚させちゃえばいい、という「仮説」は成立しないことになりますね。(^^;)

 ものがわからず、ぼーっとしてる、「都合よく」扱えるお人形さんがいいな、というのは、殿方の願望には多かれ少なかれあるもののようです。——源氏物語の、光源氏と紫の上が、この辺りよく引き合いに出されますが。

 光る君もそういえば、紫の上を子供の頃から養育することで自分の理想の女性として(都合よく)育てることができた、とは言えますが。
 しかし元々、紫の上は頭のいい人だし、洞察力もある人。——彼女もまた、「わからなくてもいいことをわかって」しまって、それゆえに深い傷を負う人でもありましたね。

 知ることや、成長することは、——「不幸」なことなんでしょうか。

 ある種の「白痴」でいた方が、人はかえって幸せなんでしょうか。

 成長することは不要のことであり、不幸なことなんでしょうか?

 光る君の一の人、最愛の人と言われながら、「当てにできない」人を愛したがゆえに癒しがたい傷を負い、深い孤独の中で最期を迎えた紫の上の姿は、「不幸」なものなんだろうか?

 ときどき、チラチラと考えていること。
 
 右も左も分からないうちに勢いでしないと結婚なんかできない——と言っていた人が、でも、無事、円満に家庭人をやっているのを見ると、そうとも限るまい、と思いますね。
 いい事例が身近にいてくれてよかったよ(笑)

 知ることは不幸だろうか——という疑問は消えていませんが、でも、このことを考えるたび、いつも、
「それでも、不幸に通じるんだとしても、『知りたい』という気持ちを否定することはできない」
 というところへ行き着いて終わります。
 

 そんなことを連想的に思いだしてました。

 オチはありません(笑)
 
 
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