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2016.10.09 (Sun)

不幸の押し付け

 有名化粧品メーカーさんのCM、思わぬ反発を食らったというお話を昨日いたしましたが、なかなか興味深い現象が幾つか重なっていて、昨日はそのうちのひとつを当座、選んでみたというところ。
 昨日は、「男がこうだと思い込んでいる女性像と、現実の女性たちとの乖離。そこから発生する絶望的なまでの摩擦」と言った話になって…………いたと思うんですが(多分;;)。
 昨日の話題の中にもちらっと出ましたが、「年齢」のことも考えております。



 むかーしは、25歳で「売れ残り」説がありましたが、あのCMの話を聞いて「なに、イマドキそんなこと言ってんの? もしかして先祖返りしてんじゃないの?!」とびっくりしてました。
 私どもが20代の二十年前の方がたぶん、そこまで露骨に言わなかったと思うよ……。
 経済の萎縮期間を経て、今の方がかえって明治時代に近づいてんですかね? (・・;) こういうのは保守的とは(とさえ)言わないよなあ……。

 これだから、頭にカビが生えているオヤジが作ってるんだろうなんて言われちゃうわけですね;;

 さても。

 資生堂さんの(………あ。言っちゃった;;)本来の意図としては、25歳で一つの「成人」とみなすと言いたかったようです。
「子供」の時代は終わり、「大人の女性」になる節目——「可愛い女の子」も卒業し、「素敵な大人の女性、いい女」になろうね、というポジティブな「つもり」だったようです。
 だとしたらやっぱり表現を間違えてるところがありますね。(^^;)

 いい女という表現がそもそも、やっぱり男性の価値観だしなあ。
 女性は女性自身について、いい女という表現はとらない。
 いい女って、誰にとってどこ(何)がどのように「いい」のか言ってごらん。(言えるものなら)
 そう考えると、やっぱりオヤジ臭がするのかなこのCM(笑)
 これで発案者が実は女性ですということなら笑っちゃうけど、でも、それも充分ありえる。それはそれで、驚かない。

 上記ツイ主様のお怒りはごもっともですが、そもそも加齢することについてのネガなメッセージは、アラサー女性に限らず、そこらじゅうに溢れているように思います。

「子供であること」には特別な価値がある、そういう「文化」ではあるんですよね、日本の社会って。
 家族の続柄(つづきがら)をいうのに、「その家族内で一番の年少者」から見た関係で呼ぶ、というのも、より歳の若い、年少者、大抵は幼い子供を、「家族の視点の中心」においている。

 おじいちゃんおばあちゃん、お母さんお父さん、お兄ちゃんお姉ちゃん、というように呼び合う。
 お父さんにとっては「おばあちゃん」は自分の「お母さん」なんだけど、日常会話の中では「おばあちゃん」と呼びかけたりする。
 これは一番幼い子供から見ての続柄に合わせているんですね。

 家の中心は幼い子だし、お祭りや、ご神事では、子供はときに神聖な存在となる。
 ——現在の日本では考えられないことですが、幕末から明治初期に日本を訪れた外国人の手記には、日本人が子供達をどれほど可愛がり大事にし、彼らの笑い声が絶えないかを、驚きを持って伝えていますね。
 欧米式の『教育』は伝統的に、子供はケダモノの1種とみなして抑圧しますから——、子供達にとっては幸せの国だと書いている。日本の「子供天国」には心底驚いたようです。

 それほどに子供、幼い子を、「神聖な領域」にあるものとみなしてきた文化が、現在は変なふうに歪んで、無残な姿になっているのかもしれません。
 幼いことを崇めるくらいの状態が——成熟よりも「青臭い」ことを尊ぶ、妙な風土になっている。
 それがセックスと絡んでくるともう最悪としか言いようがないわけですが……。
 
 25歳で子供は終わり、いよいよ大人だね、というのも、もっとポジティブなイメージで、「やっと成人か、おめでとう!」みたいなものにできるのに、ぜんっぜん、そうなってない(笑)
 半分お通夜みたいな顔で、もう「女の子」じゃないんだ……、なんて言うのの背景にはやはり、何をどう言い訳したって「歳をとるのはガッカリな事」という価値観がある。

 年をとるというのは悲しいこともある、それは認める。
 でも、本来、人が成熟し、きちんと「大人になる」ことは、それを超えておめでたい、豊かなことなのにな。
 精神的には、現代人は全体に幼いので「30歳でやっと成人」という説があるくらい。
 私としては、その辺りをわきまえて、ああいう「バカが垂れ流すイメージ」に真顔で付き合うことなんかないですよー、と申し上げます。(^^;)

 アラサー女性を「不幸」と言いたがる、というのは、鋭いご指摘ですね。
 でも、「不幸な存在」にしておきたい、という「圧力」は、今や、いろんなものにかかっているようです。

 いつぞやは、どこが行った調査だと言ったか忘れましたが(すみません;;)、意外と、20〜30代の男性に、「自分は幸せではない」と回答した率が高かった、という結果になってました。
 
 他人の不幸は蜜の味、という心理が、世の中には変なふうに働いているのかもしれません。
 自分より誰かが不幸でいてくれれば、自分は不幸ではない(アレよりは)、と思えて、少しだけ気分がいい。
 だから、いろんな人が、いろんな対象について「不幸であれ」と思い、「あれって可哀想だね」と嗤っていようとする。

 そんな「力」が、働いているかもしれない。

 不幸なイメージと結び付けられようとしているのはアラサー女性ばかりでもないと思います。
 でも、これもまた、そう真に受けることじゃないなあ…。

 まあ、例えば私が不幸で「可哀想な女」であれば、自分は(アレよりは)幸せなんだ、と思える、そういう人がいるなら、好きにしたらいいじゃないすか、と私は思うけど。
 でも、私ほどには図々しくないひとにはやはり、「誰かの幸せのためにあなたが不幸だというイメージを押し付けられて、おとなしくしてることはないですよ」と言っておきますね。

 そういう意味でも、あのCMにクレームつけたことは無駄ではない、とも思います。

 ただ「条件」がひとつあって。
 誰かが自分に不幸のイメージを押し付けることに抗議するなら、自分は「他人の不幸は蜜の味」というところにはいないようにしてください。
 それだけ。

 それがお互いに守られていけば、今回みたいな、「誰かを『下』に置こうとする」圧力も、だんだん減らしていける。そう思いますんで。
  
  
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