無理にトップを決める意味
 諸般の事情によりお掃除ロボットを購入しようかなと検討を始めたんですが、そうなるともう実に選択肢が豊富になっておりまして、これは予想以上。(^^;)
 で、選択肢が増えた分だけ「ああっ、どうしよう!(悩)」というのもふくらんでいるという次第。

 機能と値段、どの辺で手を打つか、どのへんが自分には「適切」か、って話なんですけどね要は。
 スマホとかタブレットとか最初に買うときもこんな感じだったなあそういえば;;

 まず必要なのは自分の現状把握、てのは何にでも言えることですね。(^^;)

        ●

 ノーベル賞の各賞発表の時期となっておりまして、またぞろ賑やかなことでございます。

 今年の生理学・医学賞は、大隅 良典(おおすみ・よしのり)先生に授与され、まずは、おめでとうございます。

日本人は独創的―大隅さんノーベル賞単独受賞の訳
 読売新聞調査研究本部主任研究員 芝田裕一

2016年10月05日 12時40分

 毎年、でも、この「賞」ってなんだろうなあ、と思ってしまいます。(^^;)
 日本人の受賞者が何人とか、そーゆー話、どうにも「的外れ」に思えてしょーがない。
 ことに日本の場合は、受賞者こそ日本人かもしれないが、実際の研究拠点はアメリカの大学や研究機関、ということも珍しくないわけで、日本または日本人自体が、そうそう浮かれるべき理由もないと思う。

 国籍ではなく、大学や研究機関別に統計とる方が「公正」かもしれない——と思うけどそれは一体何の物差しで公正なのやら。
 と思わず、自分で自分にひとりツッコミ。(^^;)

 ノーベル賞も省みれば死屍累々、受賞されるのが当然くらいに思われつつも、授賞されずじまい、という方がどれほどいらっしゃることか。
 評価するって難しいもんですよね。——どういうポイントから評価するかで優先順位は変わるし、全く異質のことではあるがどちらも重大なことだったというものも、それこそ掃いて捨てるほどあるでしょうし。

 ノーベル賞の選考委員が以前にふと漏らしたところでは、脅迫されるなんてのはもう日常茶飯事だそうですね。(^^;)
 いまのところ殺人事件にまで発展した例は幸いにしてないようですが、でもそれくらいドロドロしたものはあるようです。

 個人的にノーベル賞はエライなと思っているのは、「基礎研究」を掬い上げるというところ。
 引用される論文数や、その後の技術革新、発展の度合いから見る、という物差しは割とわかりやすい。
 目立たない、予算ももらえないような基礎研究にこそ光をあてよう、という「志」は、エライ。と思います。

 研究が素晴らしかったから表彰されるのであって、賞が欲しいからあれこれ「狙って」テーマを探り研究する——と言うのは本末転倒でしょうねえやっぱり。

 まして、ろくに何の研究なのかも聞かず、ただ「ノーベル賞すごい!」「日本の誇り!」「日本人すごい!」になるのには、どうにも抵抗が……ねえ。(^^;)

 その業績の素晴らしさだけを言うなら、他にも大勢、表彰されて当然の方々がいる。
 それなのにあえて「トップ」を、無理やりに決める。
 そこには何の意味があるんだろうか——賞金の話はまた別として——、と、つい、考えてしまいます。

 私としては日本人すごいんじゃね? というのなら、あのイグノーベル賞で、ほぼ常連化してる、ということの方が興味深いものがありますね(笑)
 なんせイグノーベル賞の方は、より日常的で、「当たり前に思いすぎて、フツーの人なら疑問も持たないし問題点を見つけてどうにかしようなんて考えもしない」ところに着眼しているものばかりなので。
 発想の凄味においては、私はイグノーベル賞に軍配をあげたいですよ(笑)

 あと、ノーベル賞関係で日本人の関心が高いのは、なんといっても、文学賞ですね。
 イギリスのブックメーカー「ラドブロークス」は、村上春樹さんを1位としているそうですが、それはあくまで「人気」の話。
 ちょっと真顔になって文学賞の「選考基準」から考えると、正直、厳しいんじゃないかなあ。
 そんなもん貰わなくたってじゅーぶん素晴らしいんだからいいじゃないですかと思うけど、それでも、人はやはり「トップ」が欲しいのかな。

 もはやご本人を差し置いて周囲が盛り上がっている様子すらうかがえるようで(笑)
(このイベントは昨年のものですが)



 これを拝見したときは、時にファンの「応援」は、「脅迫」にも似てしまう時があるなあ、と思ってしまいました。(^^;)

「賞」の意味をあれこれ考える、「ノーベル賞の季節」。
 
 
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