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小さな親切大きなお世話

 昨日ぐちゃぐちゃお話ししました、映画「君の名は。」が気に入らない方のコラム。
 昨日ご紹介の方とも違うツッコミようなので、ご紹介を。

 note なんですが、閲覧するのに会員登録が必要だったらすみません;; 自分が登録してあるのでその辺が逆に「どうだったっけ…?」になってる。(^^;)

映画『君の名は。』に感動する方法(note)
斎藤あきこ 2016/09/23、25日訂正・追記


 昨日のツイ主様に引き続き、なんでそんなに「オタクの萌え」要素が非難されなきゃいかんのかわからん。と思いました。
 で、萌え要素、描写だと指摘されている部分については、本当に萌え要素かどうか私には判別いたしかねます。

 オタクの萌えってこういうもんなんでしょ、という、ステレオタイプの決めつけがあるように思いますね。
 組紐でポニーテールっつーのの何がそんなにいかんのか私にはわかりません。

「感動する方法」というタイトルも嫌味ったらしいなあ。誰もあなたに感動してくださいなんてお願いしてないし、感動しろとも命じてないでしょ。
 ………と、私にしてはちょっと珍しく、むかっときたところが面白い。
 
 文中に引用される評論一部についても、ああアタシそういうの興味ないから……ってことで。(^^;)
 ただ、アニメとかオタクとかというものに過剰に反応されるのは、私には疑問だし、理不尽と思うばかり。

 自分の中にあるものを他人様に説明するのは、やはり困難なものです。
 
 ともあれ、あの映画には全然感動も共感もなかったという方のためにはいい文章なんじゃないかな、と思ってご紹介まで。(^^)
 自分の腹の中でもやもやしているものがあるとき、すぱっと言ってくれる誰かの言葉があって、そう! それ! と思うだけでも、もやもやストレスが軽減されるので、これはこれで、いいもんだと思います。はい。

         ●



「人間にだって諸問題あるのに、人間のことほったらかして動物の救済に自分の人生をかけて活動する人を見ると、なんでかなあ、って思う」
 という主旨のツイートを見かけたことがありまして。

 そういう疑問はごもっとも、とは、思います。

 遠い外国の、見も知らぬ子供の命を救いたいとかって、自分の近所に住んでる子供の問題には目もくれないのかよ、というのもあったっけな。

 まあ、そういう疑問を持つこと自体は、——「何も考えない」よりはいいことだろうなと思いますが。

 でも、人ひとりにできることには、限りというものがあるわけで。
 人間の勝手でひどい目に遭わされあげくに殺される、そういうものを放置できないのも、遠い異国の子供のために自分の人生を捧げちゃうのも、すべてのことが平等完璧に出来れば一番の理想ではある。
 しかし、そんなことが人間に可能なのかって話。

 それがなんであれ、自分の人生をかけることがあるとしたら、その「数」には限りがある。
 あれもこれもと色気を出した結果、すべてが中途半端、すべてが徒労に終わるというのは目に見えていること。

 遠い異国の子供に関わるのも、動物「なんか」に生涯かけて「かまける」のも、それはその人が、「自分の人生のテーマ」にしたことでしょう。

 医学部の学生さんも、いずれはテーマを決めるでしょう。医者として勉強するからって全科目を平等にカンペキにこなして全種制覇なんてできますか。
 
 それと同じことだと思う。

 自分がやりたいこと、自分にできることを「選ぶ」。

 背負いたいものは他にも山ほどある。けど、それをやろうとしたら逆に何もできないことになる。
 だから、自分はこれをやろう、というものに取り組む。
 それだけですよね。

 他人がそれを、あれが良くてこれが悪い、それは上等でそんなのは「くだらない」なんて、どうしていえるものか。

 何を自分が背負うのかは、「ご縁」というしかないなあ、と思います。

 他人から、なぜ、どうして、と聞かれても、本人も「どうしてでしょう」なんて首を傾げていることありますよね。(^^;)
 気がついたらこんなことになってた、ということも少なくない。

 それが、ご縁てもんじゃないでしょうか。
 
 それぞれの人にそれぞれの役目とかテーマとかがあって。
 一人一人がそれを追求できているなら、それだけでも世の中は良くなっていくように思います。

「機会平等」が大事だというのは、ここにあると思います。
 それぞれの人が背負ったテーマに、可能な限り、他者からの妨害なく取り組めるように。
 これまでの社会では当たり前とされてきたいろんな「障害」を取り除き、障害にエネルギーを奪われることなく全力で自分のテーマに取り組むこと。

 それがひいては社会全体をよくしていく。
 だから、「機会平等」を、まずは、これほど求めるのでは?
 新幹線を通すために整地して線路を敷設する。
 まずはそこから。……つって頑張っているのが現在の社会かもしれませんね。


 で。
 それはそれとして。
 70億ともいう人間がいて、それだけの人数でそれぞれにテーマがあるなら、その内容はもう、無限に近いくらいに種々あるでしょう。
 そういう中では、自分のテーマがあまりにも「ツマラナイ」ものに思えてがっかりすることもあるわけですが(私みたいに)。
 こればっかりはしょうがない。
 それがどんなにツマラナイ、社会的には価値のないものとみなされていても。
 自分の人生なら、それでやっていくしかないし、それが「誠実」ということでもある。

 華々しい大仕事を果たしていく人を見ては、自分のくだらなさに泣けてくるようなときもあるでしょうが。
 それがご縁でありそれが自分の人生のテーマなら、つまらないものに見えても、何もつまらないことはない。
 
 動物を救うのも遠い異国の子を助けるのも、隣の家の子供を虐待から守るのでも。
 家庭菜園の手入れでも、重病で、苦しい中で呼吸をつづけるということであってさえ。
 自分がやるべきことなら背負っていく。

「そんなことよりもっと大事なことがあるでしょ」
 などという「雑音」に気を取られて、うっかり自分のやることを投げ出さないように。
 
 ……しかしまあなんですね、どうしてこう、他人の人生に熱心に首を突っ込んできて、責任のひとつもとる気もないのにああだこうだという人が、絶えないんでしょうかね。(^^;)
 よっぽどあんたの人生は暇なのかい。——くらいのことは言いたくなるときがある。
 これはこれで大きなお世話だけど(笑)
 
 
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