嫌いの構造
2016年09月27日 (火) | 編集 |
【追記あり】『君の名は。』を見て感じた気持ち悪さについて
Togetter まとめ (ネタバレ注意)
http://togetter.com/li/1029154

 映画「君の名は。」についての話題ではございますが、ネタバレにはならないところで話がぐるぐるいたします。
 ですので、ネタバレがないならいいか、ということでしたら、お付き合い願えればと思います。(^^)
 私自身はネタバレはしませんが、上記「まとめ」はネタバレになるかと思うので、ご注意ください。


 タイトル通りで「君の名は。」についての「苦情」ツイートのまとめですが。
 ふーん、と思ってニヤニヤしてしまったのは、ツイ主様が一生懸命「君の名は。」の「ダメ」なところをおっしゃるのですが、これがもう見事なくらいに上滑りしていくので、興味深く思いまして。

 主様本人もチラリというように、実のところ、主様が指摘する駄目なところは、欠点、瑕疵、というものではありません。
 言うとすれば「欠点」「駄目」なのではなく、「自分はこれが嫌い」だという、それだけの話なんですよね——主様もおっしゃるように。

 ただ惜しいなと思うのは、嫌いだ、と叫んでいるだけで終始しているところ。

 自分の好き嫌いと、物事の良し悪しを取り違えることには感心しない。
 どのみち本当の意味での客観性なんぞこの世にはないけれど、とはいえ、一応の「事実」と言えることと、好き嫌いの「感情」は、全くべつのもの。

 主様、「自分はこれが嫌い」と言った上でさらに「なぜ嫌いか」を語っていただけたら、もっとよかった。

 私がざっと見たところでは、——主様の性別も年齢も存じませんが、とにかく何か——性的なもの込みで、恋愛へのこだわりがおありのように思われます。

 それは作品の瑕疵では無く、見る側がどこまで気にしているか、の問題でしかない。
 監督はその辺りきちんと認識して、瑕疵、欠点といえるような重大なもののまま、放置はしていない。
 じっさい、たいていの人は「気にしていない」。

 いちいちご指摘のことは、欠点というほどのものではなく、主観として「自分が嫌っている」だけ。
「君の名は。」の「悪口」を言うのではなくて、「嫌いと感じる、自分が持っている原因」を探って語った方が、主様にとっても「自己発見」をもたらしたかもしれないし、なんだか明後日の方からの「反論」「反証」を食らうこともなかっただろうと思います。

 自分が嫌いなもの、なぜ嫌いなのか、——「嫌いの構造」を自覚するのって、なかなか、いい経験になるもので。(^^;)
 好きなもの、なぜ好きか、というのを探るのも、自己発見にはなるのですが、嫌いである理由を探って出てくるものの方が、自分にとってはなかなかのショックです。

 嫌い、という感情は、「それを嫌うことで自分からは遠ざけようとする」ためのもの。

 嫌いだと感じる対象に対して、不安や、恐怖感、「いやな記憶」があるから、「自分を守るために」「遠ざける」必要がある、と判断する。
 遠ざけるために、嫌いだと感じるわけなので。

 嫌いなものって、嫌いだから嫌いなんじゃなく、「自分の身を守るために嫌いと感じる」ようになっているわけです。
 嫌いというのは後付けの理由に過ぎない。
 だから、他人から見れば、「なんで?」で終わる。納得はされない。

 主様自身にはその辺り、どんな不安なり恐れなり不快な記憶なりがあるかは存じませんが、無責任に読んだ赤の他人として思ったのは、「何もそこまで(性的なこと含めて)ゲンジツの恋愛にこだわらなくても……」でした。(^^;)
 何かのコンプレックスを刺激されどおしだったようにお見受けする。
 そりゃ不快ですよね。(^^;) 本当にそうなら、だけど。
 私の目には、そのように見えたということで、お許しを。

 その人がコンプレックスに感じていることが共有できない限り、いちいち「駄目」「気持ち悪い」と指摘されることは、「へえ? そう?」だけで上滑りしていく。
 そうではなく、そのコンプレックスと向き合ったうえで、こういうコンプレックスがあるのでこういう描写に引っかかる——というお話なら、ああそうですか、それは不快ですよね、ということになるのになと。

 ただ、どんなに素晴らしいものでも賞賛「のみ」ということはありえない。
 そういう中で「君の名は。」は、これまでほとんど、否定する意見を見なかったので、そのこと自体が、すごいなと思っていました。
 だから、ああようやく否定するご意見が出てきたか、と思ったのも確かです。

 先日私が、「こういう映画がヒットするようなら、日本人もそう悪くはないんじゃないか」と思った、と申しましたのは、そんなあたり。

 この映画は、「人の気持ち」にだけ焦点を当てて、極端に言うと、「物語」にはなってない、んですよね。
 物語以前。

 いやもちろん映画として起承転結あるしちゃんとした「ドラマ」ですが、主題として扱っているのは、人の気持ち。

 ラブストーリーというものがあるとしたら、そのラブストーリーになる「準備段階」だけ、になっている、というか。

 通常の恋愛映画なら、ほんのわずか、登場人物のセリフなり仕草なりで表されて終わり、というだけの、それだけのものを、「純粋培養」して見せている。

 物語は、始まってもいない。

 時間のクレバスに落ち込んだ小さな粒子を、それだけを、拡大したか培養したかで見せているのが「君の名は。」なんで。
 まあ、消化不良になったり肩透かしでがっかりしたり、ひどい場合は「意味不明」で片付けられてしまうだろうものを、ちゃんと映画にした、というところが、偉大だ——と思っております。

 もちろんこれは、監督さんの手腕によるもので大いに敬意を払うところではございますが。

 ただ。
 こうやってその「物語になる以前」であることにフラストレーションを高める人がある方が、むしろ当然というくらいなのに。
 特に10代の若い方がこれをしっかり「拾って」夢中になる、大人どもも、バカにすることなく、その「一瞬の気持ちだけ」に心を寄せた。
 その辺りが、「この映画がヒットするようなら、日本人もそう悪くない」と思った理由です。

 と言って、別に、この映画のアンチ派が「悪い」ということではありません。
 むしろ、そういう反応がある方が現実的だと思うくらいだし——、そうではなくても、好き嫌いって、どうしようもないものですから。(^^;) あって当然なんですよね。嫌い、という人が現れるのも。

 好きにしろ嫌いにしろ、でも、思わず、長々と語らせてしまう、そういう「情熱」を掻き立てるわけですから(嫌いという感情もまた情熱)、——私どもはまとめて、監督の思惑に乗っているんだろうな、と思って、これまた、にやにや、でございます(笑)
 
 
 
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