アンチ知る権利
2016年09月23日 (金) | 編集 |


 知る権利という言葉を嫌いになってから、久しいですねえそういえば。

 知る権利が嫌いなんじゃなくて、知る権利という「言葉」が嫌い。
 さらに正確に言うならば、この言葉を使う、その行為が嫌い。

 知る権利という概念自体は、まあ大して尊敬はしてないかもしれないけど、存在意義は認めてます。

 この言葉が嫌いになったのは、夏目漱石先生おっしゃるところの、「人の尻の穴をのぞいては、形が丸いだの四角だのと言い立てる」連中が、その下劣な覗き見趣味を非難されると、「知る権利」を錦の御旗として自分たちの品性下劣なることを正当化しようとするから。

 なんと言おうと理屈で飾り立てようと、くだらないことはくだらないし、下品なことは変わらない。無駄な努力をしてるな、と思いますけどね。

 ということで——実のところ、ゴシップに協力はしたくないので、上記ツイートについても実名になっているところさえ本当は削除を願いたいくらいです。
 くだらない話に頭にきて、でも、頭にきた、と書こうとすると、結果的に、そのデマなり噂話なりを拡散することになってしまうという皮肉。
 ゆえに、不愉快に思いながらも、こういう話への一番いい対処法は「黙って無視」するしかないんですよね。

 沈黙は金なりとはいえ、本当に自分がぶん殴られるまで全く何もわからないってヤツがいるのも事実なので、なかなかストレスがたまります;;

 私としては、そういうわけで、ニュースサイトに物々しく記事にされるのを見ても、中身は見ないようにしています。
 どうせ売らんかなの連中だ。無視しているのが一番いい。
 苦情でさえ彼らを喜ばせることになる。無視するしかない。

 私は何も、ご本人がブログを書くこと自体を、否定しているのではありません。
 ご本人が望むように、それで多くの人にとっての警鐘にも、場合によっては同じような場所にいる人にとっての励ましにもなる、そういうこともあるでしょうし。
 何より、私も、「書くことの効用」を知っているので。
 
 でも。ですね。
 そうはいっても、個人情報にも関わることだし、人様のプライバシーに深く関わることですから、他人があれこれ「面白がる」ものではないという、「大原則」は何も変わらないわけです。

 本人が書いているんだからいいだろうってそういう問題じゃない。
 
 他人は騒がず、静かに見守る、というのが、いちばんの思いやりであり、人としての節度でしょうよ。

 ……言っちゃ何だけど、ホント、ご親切そうな顔をしてその実は「面白がってる」ってわかる記事やツイート、ありましたもんね。
 テレビのワイドショーや週刊誌がアレなのは当たり前になってるから、いちいち言いませんていうだけ。

 上のツイートでもそうですし、私の周囲でも、自分自身が同じご病気だったりする方には、「辛いからブログは見ない」ということ、多いんですよ。
 励まされるという方もあるでしょうが、そういうこともあるけどでも、読むのはつらい、と。

 詳しい話を聞くほど、自分のあれこれも思い出してつらいし。
 逆に、「サバイバー」と言われる「生還者」の回想録も、「自分は回復しました」という「自慢話」を聞かされるようで、つらい。そんな気持ちになる。

 病気というのは、病名は同じでも、その治療過程等はまったく個人個人で異なるものなんですよね。
 予防ということを考える人には参考になっても、むしろ、今、同じ立場にあるという人にとっては、意外と参考にはならない。——このことひとつとっても、まして他人が面白がって騒ぐことがどれほど「ひどい」ことかわかるはず。

 そういう意味でも、世間様の、浅薄にして残酷かつ浅慮な「ばか騒ぎ」は、控えるべきだと思いますね。

 知る権利? ク▲食らえですよそんなもん。

 政治家の政治資金規正法違反をわあわあ言うんだったら、公私の区別ってやつ、ちゃんとお分かりのはずですよね。
 これは公私でいうならこの上ない「私」のことであり、であれば、他人が踏み込むことじゃないという判断は、当然できるはずですよね?

「世間様」という化け物に腹をたてるのはいつものことで、これが最後ともなっちゃくれないんでしょうが、でも——「知る権利」なんかよりも優先されることをきっちり判断して、自分の品位を保って自分で自分の尊厳を守れよ、と。

 自分を下劣な人間にしているのは、自分自身なんだよ? 自分のやることが、自分という人間を作ってる。

 自分で自分をくだらない人間にしておいて、他人から指摘されて怒ることはないでしょう。恥じいったり、反省したりする代わりに、知る権利という屁理屈で言い訳をするなどは、なおさら見苦しい。

 そのように思います。
 
 
関連記事