安楽死と尊厳死


ベルギーで未成年に初めての安楽死が施行される
2016.09.20 ギズモード Gizmodo
http://www.gizmodo.jp/2016/09/belgium-youth-euthanasia.html

 尊厳死と安楽死は、同じようでいて同じではないところがありまして。
 
 どちらも病態が末期症状であることは同じでしょうが、安楽死は「苦しみからの解放」であるのに対し、尊厳死は「いたずらに死期を伸ばすだけの延命措置は行わず、人としての尊厳を保った状態で死を迎えること」。

 安楽死は医師によって死を迎える処置がされること。尊厳死は、「延命措置を行わない」で死を迎えること——と言えましょうか。

 人には「よりよく生きたい」という欲求があるものですが、「よりよく生きるために、自ら望む形で死を選ぶ」というのは矛盾にも思えるかもしれません。

 でも、私は、自ら死を選ぶことで「自分を生きる」ことはある、と思いますね。
 安楽死や尊厳死に対し、簡単に反対や非難「できる」人は、なまじ医療が発達しているために肉体的な苦痛が増している、病態末期の壮絶であることをご存じないはずです。
 あるいは、それらを見聞きしても「自分とは関係ない」と思っているはず。

 森鴎外の「高瀬舟」は。その辺りをよく描いて秀逸。安楽死や尊厳死を語る前にはご一読をおすすめします。

 私の父も事実上、尊厳死を選んだと言えますし、それを見ればなおさら、安易に本人以外の人が口出しできることではないと思います。

 死を迎えることができると言って心の底から安堵する、という感覚は、通常の人にはなかなかわからないことかもしれません。
 
 私にも思うところはありますが、尊厳死はまだしも、安楽死を考えるほどの人のことを思えば、全く私の苦痛などは、苦痛のうちにも入らない、甘ったれの愚痴でしかないように思えます。

 けれども、先日ご逝去なさったある人には、
「人の苦しみというのは人それぞれであって、比べられるものではない」
 と言われたことを思い出しました。

 安楽死と言うものと向き合わなければならない人に比べれば、自分の抱える苦しみなどはゴミみたいなものだ、というのは、——そう考えることで自分を「救える」のならそれでもいいが、でも、それはいわば方便。
 人の苦しみは人それぞれ。どの人の苦しみが大きくて、どの人の苦しみが小さいか、などとは、言えるものではない。
 苦しんでいる人にとっては大きいも小さいもない。上も下もない。
 苦しみは、誰かと比べられるようなものではないのだ——と、そういうお話でした。
 ……確か。(^^;) ←おい

 そういうわけですから、人をうらやむことは無意味だし、人を哀れんだりするものでもない。

 いろいろご意見もあるでしょうが、でも、ご家族、お医者様がた、ご友人などの周りの方々含めて、安楽死を選ぶことでその人はその人の人生を生きたはず。
 他人には、それを尊重する、という以外の態度はないはずだと思っております。

 記事本文中、
深刻に苦しむ人たちを見過ごさないのは社会にとって重要なことです
 という、ベルギーの上院議員のコメントがありますが、この言葉が、ものごとの「核」、そのものだろうな、と思います。

【参考】
尊厳死と「リビングウィル」、どんな関係がある?
2015/11/02更新  Careme ケアミー

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