女性の意識改革
 本日のお題のために、前振りとして昨日書いたこと(2016-09-16 エントリー『解放の誤謬』)は、
「フェミニズムは、女性の自由・自立と言いながら、『善なるものとは、男性的なもの』という価値観から抜け出せなかった。
 そのために、女性の自由・自立は、ただの『男性の真似事』を目指すことになってしまった」
 ——ということでした。

 キリスト教文明は一神教を基礎としていて、そのために『男性原理』を良しとしている。フェミニズムを訴えた人々も、旧来型の男性優位の価値観に反対の声をあげたのはいいけれど、「善」とは男性的であること、という、もう意識も認識もできないくらい染み込んでいる価値観から抜け出せず、女性の解放と言いながら、「女性の男性化」を理想とする、という、とんでもない間違いを犯した——と言うのが、私の前提とするところです。

 で、やっと本題。

 先日、テレビ番組中のアンケートで、「女性が社会で活躍するために必要なことは?」というのがあったんだそうですが、それへの回答が、認識の違いがくっきりわかって大笑い。





 現在の社会というのは男性優位、もしくは男性中心で組まれてきたものですが、実のところ、男性原理「しか」ない、極端な状態になっているわけですね。
 世の中でも、個人の精神状態でも、何事もバランスというものが必要なんでして、何か一つの要素だけが突出しているとか、何か一つ「しか」ない、というのが、健全な状態であるはずもない。

 現在はあまりに男性原理が強くなりすぎて、男性自身にとってすら、適応しやすい環境・社会ではなくなってきている。

 ゆえに、女性という「要素」を取り込んでいくことが、この過剰になったバランスを変えて、整えていくことが必要——、という、現状は、そういう状態のはずなんですよね。

 男性原理だけでは成り立たなくなっている、もうこの先はバランスを整えることが必要になってる。
 ——ということに、気がついていないか、または、口先では「女性の社会での活用を」と言いながら、そのためには自分たち自身にも変化を求められていることが「わかってない」、ということを。
 企業側の回答1位が、物語っている。
 よーするに何にもわかってないってことじゃんこの連中。
 ——というのが私の感想。

 で、変化なり変容なりが、片方だけに必要ってことはないわけでして。
 企業側の認識不足はそれとしても、でも、女性の側の意識変化も、必要なのも事実だと思いますね。

 ただ、女性の意識変化というと、企業側が言っているようなことではない。ということも、確認したい。
 これを言いたいがために昨日からずるずる書いているわけです。(^^;)

 女性の社会進出、それへの意識変化を、というと途端にかつての—— 1970年代くらいですかね——「スーパーキャリアウーマン」の亡霊が人々の脳裏に蘇るようです。
 女性に「だけ」、家庭と仕事の「完璧な」「両立」を求める人は、男性であればそれは自分に好都合だからだし、女性であればそうしなければ認めてもらえないという恐怖があるので、そんなバカなことを思ってしまうのでしょうけども。

 それは違う。
 女性は必ずしも男性化する必要はない。
 というより、「男嫌いで女好き」な私としては、そんなミットモナイことはしてくれるな、と思っちゃいますよ。(^^;) ←ひとこと余計
 
 仕事は大事。でも、プライバシーの豊かさがなくて、なぜ、人間らしい生活と言えるでしょうか。

 本当に人を豊かにするのに、どちらか一方だけ、何か一つだけ、それだけで、それさえあれば、成り立つということはありえない。
 今までは、家族の誰かを「犠牲」にしておけば何とかなったのかもしれない。でも、今は、誰かを犠牲にしても、それでも、プライバシーの豊かさは得られなくなった——(男性)社会があまりにも過熱し、過酷になったゆえに。

 選択肢も増えちゃいましたしねー。(^^;)
 仕事のことにしろプライバシーにしろ。いろんな選択肢があるから、何をどう選んでどう組み合わせていくか。自分の考え方次第、となったのは、過去の時代にはなかった現象じゃないでしょうか。

 本当は、今は、面白い時代なんだと思いますよ。
 いろんなものが変わろうとしている。
 伝統を残すためという場合ですら、変わることで変わらないでいられる、という現象が起きている。
 人の体が、新陳代謝があって維持されていくみたいに。

 変わる、というのはやはり不安もあるし怖いことでもある。
 その不安や恐れに負けて、このままでいいんだ、今までの通りにやればいいんだ、と、力ずくで変化を止めようとする人があるのも、無理もないことでしょうけど。

 変わらないでいようとしても、新陳代謝というのは、止めて止められるものじゃないですしね。
 動力もないのに、海を目指して流れ下る川の水を止められるものじゃない。
 そういう時代なんだなと思います。今は。

 ということで、私は企業側(旧弊)も、女性にも、変わるべきものがある、ということで、アンケート結果自体には「まあそうでしょうね」なんですが、ただ——「善なるもの=男性」という価値観だけは、もーいっかい、念のため、否定しておく必要があるなと思って、こんなことを書いております。

 女性の意識改革も、変化も必要。それは認める。
 でも、それは旧来の、男性化をよしとする価値観に添うてはなりませぬ。ってことですね。
 かれこれ二千年以上続く、「善なるもの=男性」という価値観に自分がとらわれていることに気づかないままでいたら、結局、変化を止めることになってしまう。

 フェミの人のみならず、多くの女性(と男性)にそのあたり、念を押したい。
 そんな思いでおります。

 ちなみに。
 私は別に、男性性を否定しているわけではないです。バランスを求める以上は、否定できるもんじゃないですし。(^^;)
 バランスって、常に揺れ動くことで維持されるものですよね。
 やじろべえは静止しているように見えても細かに動いている——というイメージですね。左右の錘(おもり)があるからできることなんでして、錘が一つじゃどうにもならない。

 そんなあたりを——もうちょっと広く認識してもらえればいいのにな、と。
 そんな風に思って聞きました。ってことで。
 
 
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