子供の頃からバクゼンと疑問に思ってきたことがありまして。
「フェミニズムちゅーのはどこで何を間違えんだろう? なぜ間違えたんだろう?」
ということ。
この「運動」の最大の発信地はやはりアメリカなんでしょうが——私が子供の頃はその言葉は世間の揶揄と冷笑の的だった、という印象です。
日本ではそこまでではなかったにせよ、それでも「スーパーキャリアウーマン」というのをフェミニズムが理想形として掲げていたのは、子ども心にも随分と「嫌な」印象でした。
途中で、あれは間違いでしたと自己批判したのを、責める気にはなれない。そうだろうな、と思い、間違いでしたと言えるだけ偉いよ、と思いましたね。
と言って、私自身は俗に言う男尊女卑、伝統的な封建制度は大嫌い。
従来の男尊女卑も嫌いだし、フェミニズムも嫌いというのはどーゆーこったと思っていましたが、結局「フェミニズムは男尊女卑の鏡像」だから、だとわかりました。
フェミを異常に嫌う殿方は、結局、自分の姿を鏡で見ては怒っているわけです。逆も同じ。
フェミは、従来の価値観へのアンチテーゼ——何かを否定するために提示された考え方であるに過ぎない。
男尊女卑のいやらしいところは、何かを上位とし何かを下位とする考え方にある、というのをはっきりさせるのに、ポジとネガを逆転させて映し出されたものがフェミ。
つまるところはこの二つは「根は同じ」であり、「同質」だということですね。
そりゃあ私が「どっちもやだな」というのは道理だな、と自分で納得。(^^;)
その昔、「世界ウルルン滞在記」で、「女尊男卑」の村——と言うのがありまして。
その村というのはいわば「平家のかくれ里」的なものが由来で、その始まりにおいて、女性は貴族階級であったことが、「女尊男卑」の理由になったというお話だったと思います。
それを見たときにはっきり嫌悪感を持ったので、「私が男尊女卑を嫌うのは自分が女性の立場にあるからではなく、とにかく、こういうふざけた二元論が嫌い、ということなんだな」と自己発見いたしました。
自分の都合でものを言っているのではなく、「そういう大雑把なくくりで人間を決めつける、その考え方は間違ってる」から、嫌うのだな、と。
わかったときは自分で結構、ホッとしてましたね。(^^;) 自己都合だけでものをいうのも間違っているし美しくないしそういうの嫌いだし。
ものの道理として成り立たない。だから私は元の像も鏡像も否定する。
そういう判断をしている、ということで、自分で自分にOKが出せた次第。
で。
フェミはどこで間違ったのか。
はっきり申しますと「女性が、男性と同じことをする」のを、女性解放だと捉えたのは誤りだと思っております。
全く同じことを——あんなミットモナイことを、なぜせにゃならんのだ、と、これはこれでまた殿方には嫌われることを思ったり。(^^;)
とにかくアメリカのフェミは変だよと思ったのは、男性のストリップを見て喜ぼうとしている女性たちを見た時でした。
………ここでリビドーの話をしてもしょーがないんだけども、基本、女性のリビドーのあり方からすると、殿方のハダカ見たってそんなに嬉しかないものなんですよね。嬉しい人もあるかもしれないけれども、だからって興奮することはない。
最後には個人差の話になるから、男性ストリップ、見るの好きです楽しいです興奮します、という方がいたとしても不思議じゃないけど、まあ、女性の中の多数派ではないはず。
その時のモーレツな違和感がずっと謎のまま残っていたのですが、最近になって「そうか」と思ったのは。
あれは、「男性がやることは、いいことだ、正しいことだ、自由なのだ」という価値観に縛られているのだな、と。
キリスト教文明というのは「男性原理」文明だというのは異論のないところと思います。
あちらのマッチョ信仰というのは正直なところ、ちょっと日本人には思いつかないくらいのものがあります。
何せそれが神様なんですから絶対的でしょう。
太陽神を女神とし、「女ならでは夜も明けぬ国」と歌う日本とは、やはり違う。
無意識に——あの人たちの意識には、女性であってさえ、「善なるものは男性的なもの」だという思い込みから自由ではなかったのだ。と。
女性解放と言いながら、実際に目指した方向は、女性としての自由でも自立でもなく、「男の真似事をする」方向になってしまった。
多分、でも——そのことに、未だに、気がついていないのかもしれない。
故・スーザン・ソンタグさんの指摘を見ても——スーザンさん自身はその縛りからは自由でいた、稀有な方だったと思いますが——、フェミだウーマンリブだと言いながら、従来型の価値観に従っていた、いる、というあたり。
ああそうなのか、それでか——、と、腑に落ちたのも最近のこと。
自分が何に縛られているのか、自覚するのって本気で難しいな。と思いますねあらためて。
で、この話は実は「前フリ」だったり。(^^;)
「女性が社会へ出て働く」ことについての話題が多くなっておりますが、その話をするための、前フリです。実は。
たぶん、触れてほしくない人が大勢いるだろう、という話題に触れるのは、やはり気を使います。
(気を使ってんですよ、これでも;;)