学者物知り、あとまわし
2016年09月14日 (水) | 編集 |
#真田丸 関ヶ原の戦いが約1分足らずで終了「超高速関ヶ原かよ」「他の大河でも割と早めに終わってた」
 ——together まとめ
http://togetter.com/li/1023215

 今年の NHK大河ドラマ「真田丸」、これまで大河ドラマなんてあんまり見たことない、という人々をも楽しませるくらいに盛り上がってますね。(^^)

 とはいえ、今年もやっぱり、ツイッターで楽しんでいると、湧いて出てくるわけです「史実厨(しじつちゅう)」が。
 
 史実厨というのはこの場合は、これはドラマだっつってんのに、二言目には史実はどうだ、史実と違う、史実通りではない、けしからん、という、石頭というよりもはやどこか精神的におかしいところがあるんじゃないの? というくらい、「話のわからない」独善的な人々のこと、と思っていただければ間違いないかと。

 くどいようですがこれはドラマ。ドラマってのはフィクション! フィクションは日本語では虚構! 虚構ってのはつまり「ウソ」! これは「ウソもの」なの最初から!

 ……と、わめきたくなるくらい、ネチっこくていやらしいんですよねこの方々。
 クレームをつけるにしても実にあてつけがましい、嫌味ったらしい、その言語能力はもう少し人様を力づける方向へ向けたら素晴らしいと思うよというくらい、無駄に高い言語能力で当てこすりを言うので、ただでさえ可愛くないのに、それが倍増する。

 とはいえ、今回は時代考証を担当する方のツイートもちょこちょこ流れてくるようになりまして。
 ときどき、史実厨が、あれは史実とは違う、などとエラそうに指摘した件について、なぜか申し訳なさそうに、「その説は古いもので、現在の学説ではこのようになっている」と、そっとツイートしていらしたりする。(^^;)

 そんな遠慮っぽくなさらなくても、もっと大々的に言っちゃっていいと思うけどなあ。

 実際、史実なんてもんはしょっちゅう「入れ替わる」ものですよね。
 今のところはそういう話になっているけれど、明日にもまた別の史料が検討されて、これまでの「史実」は「誤り」でした、ということになる、なんていうのは珍しくもないこと。

 今回のこのまとめも、「物がわかってない」連中のツイートを、時代考証の丸島先生がそっと、でも確実に、ツブしてくださっているあたりが痛快……って言ったら怒られるでしょうか。(^^;)


 とにかく史実厨には、嫌悪感が募るばかり。
 今回も、関ヶ原の戦いについては、ドラマ中にはほぼ描写はなく——「クライマックス」だとはっきり言われていたのは、あの真田家の命運をかけた「犬伏(いぬぶせ)の別れ」でした。

 虚実の区別がつかないというのはそれだけでやばそーな人々だなと思いますが(虚実の区別がつかない、というのの代表的な症例が、ストーカーだったり放射脳だったりなので)、それはそれとしても、大河ドラマで戦国時代で、となれば、関ヶ原の戦いは一大イベント。
 これをほぼまるっと「省く」というのはやはり大胆な決意と言えるでしょうが、しかし——今回のドラマの主役は真田信繁(幸村と本人が名乗った記録はないとのこと)さんなんだし、もちょっと広げても、昌幸さん、信幸さんまで。

 主役に添って進むのがドラマなら、そりゃ、関ヶ原の戦いではなく、犬伏の別れの方が、重大事であることは疑いもないこと。

 私はあの、「家族だからこその別れの決断」の描写はことごとく、沁みるように感じ入っておりましたが、頭の隅では「これ絶対、史実厨が騒ぐぞ」とも思ってました。(^^;)
 案の定でしたね。

 関ヶ原の戦いをなぜやらないのだとわめく人々はでも——ちょっと気の毒ですね。
 そんなことにこだわるあまり、このドラマの、あの描写を、自分なりに追いかけながら「味わう」楽しみを放棄している。

 ドラマというものの楽しみよりも、「こうであるべきだ」「こうでなくてはならない」と言う、自分勝手な思い込みを優先してしまったんだな、と思いますと。

 ウルセーなーもー。と思うと同時に、「あの名場面を楽しめない、味わい損なったなんて気の毒だなあ」と言う気持ちもいたします。

 関ヶ原の戦いの結果を知る場面では、電話もファックスもない時代、情報の入手は本当に大変だっただろうし、自分の予想とかけ離れた「現実」を受け入れるのも、大変だったんだろうなあ、と思ってました。
 ああいう描写は、今までのドラマではさほど重視されてこなかったでしょう。
 人の心理を、細かく捉えているところが、「真田丸」のいいところだと思います。

 それにしても世の中にはこういう人たちも少なからずいるわけだね——とも、思います。
 自分が予想し、自分が期待し、かくあるべしと決めた通りになるはずだと信じている。
 それがほんの少しでも外れると、なんか知らんけど怒り出して、誰かを馬鹿だと言って罵しらずにはいられなくなる。

 ………ドラマのみならず、フィクション全般、楽しめないでしょ?

 不思議だなあ——と思って改めて、ツイート「まとめ」を眺めていました。
 世の中の何もかもが自分の思い通りになる「べき」だという、思い上がりとも違う、この種の傲慢さって、何なんだろう?

 制作側の意図を汲んでいくのも「受信」者の楽しみなんだけど、——何なんですかねこれ。
 意図を分かった上で賛否があるのはいいけど、最初からもう人の話を聞く気などない態度で、……私が嫌悪しているのは、単にウルセエというだけではない、こういう傲慢なところが鼻についているのかもしれない。
 ——と思って拝見した「まとめ」でした。

 戦国時代の知識があるのは結構ですが、自分の知識はもう時代遅れの学説かもしれないという謙虚な気持ちを持つと同時に、ドラマはフィクションである、ということを考えて欲しいけどなあ…。
 いうだけ無駄ですかね、そんなことも。(^^;)
 
 
関連記事