自称神様への対処法
2016年09月02日 (金) | 編集 |
 ツイッターには通称「クソリプ」と言われるものがありまして。
 リプは「リプライ」の略。
 どなたかのツイートに対し、基本、誰でもそのツイ主さま宛に返信となるツイートを送ることができます。これがリプライ。
 ツイートを開くと返信またはコメントとして、ツイートの下に表示されますね。

 このリプライのうち、箸にも棒にもかからない内容のものを、クソリプ、と呼ぶようです。

 やけに威丈高に「おまえはバカか」と罵倒する系統のものが多いですが、なかには懇切丁寧にあさっての方角の話題で持論を展開するものもある。
 言っている内容それ自体はまあそれなりに面白かったりはしますが、「それとこれとは別の話題でしょう」というものもあります。

 罵倒にしろ脅迫にしろ(通報したことありますよ私;;洒落になってないんで)、「それとこれとなんの関係が?」というものにしろ、相手にしたくでもしようがないくらいの、どーしよーもないものを「クソリプ」と。

 このクソリプに限らず、「きちんと話を聞くべき”苦情”、”異論”と、たんなる馬鹿は区別する」という態度、そろそろ、社会常識にするべき時期に来ているように思います。

 クレームと一言で言っても、まさしく「クレームは宝の山」というくらいの、真っ当なものもあるけれど、ただ対応の担当者を脅したり土下座をさせたりという、犯罪に及ぶものまである。
 これらをまったく同じ括りで扱ってまともに対応するのは、「社会的な損失」にまでなるようです。

 ごくたまーに、そういう基地外がいる、というくらいなら、警察を呼んでお願いするくらいでなんとかなったんでしょうが、いまは、あまりにも多くの人に「ものをいう」機会が与えられるようになってしまい、必然的に基地外の数も増え、いちいち警察にというわけにもいかなくなってきている。

 クレームも、聞くべきことなら聞く側に(結果的に)メリットとなりますが、ただの犯罪行為や、譫妄(せんもう)状態の「患者」対応では、対応する人材も、時間も、コストも、余分にかかるうえになんのメリットもない。そういうことになってしまう。

 早い話、馬鹿をまともに相手にしているといろんなことを無駄にする羽目になるので、相手にしない、ということを、社会常識として徹底するべきくらいになってしまったなと思うわけです。

 むかーしのことであれば、「ものをいう」ことができるのは、ある程度以上の階級とか、知的レベル層、といったように限られていましたが。
 いまはあいにく、それこそミソもクソもいっしょというくらいになってしまいました。

 すそ野の広さゆえの面白さも思いがけない「発明」もあって、これはこれでいいんですが、ただ、メリットもあればデメリットもある。そのデメリットを小さくしないと、相対的にメリットも小さくなるよねということ。

 クソリプについては、ツイッター上ではだいぶ、「対策」もいわれるようになりまして。
 基本的には、無視すること。
 なぜかああいう馬鹿というのは相手にされると喜んじゃうんですね。喜んでますます意味不明のことを言い募る。
 朱に交われば赤くなると申しますが、馬鹿って伝染するんですよね。クソリプ対応の画像も作られていて、これはこれで面白いけど、結局、触らないことがいちばん。

 クソリプに属するようなクレームの——放射脳みたいな——特徴の一つには「一見、もっともらしそう」ということがあります。
 もっともらしい、んじゃない。もっともらし「そう」。
 
 そのうちの代表格が
「こういうことは、不快に思う人/傷つく人もあるんだからやめろ。不謹慎」
 というもの。

 先日お見かけしてなるほどごもっとも、と思ったのは、
「不快に思う人もいるがそれ以上に喜んでくれる人、楽しいと言ってくれるひと、好きと言ってくれる人たちがいるんだから、(そういうお前が)黙れ」
 というものでした。

「馬鹿と基地外は声がでかい」が私の持論ですが(これは私自身の身内を研究して得られた結論)、じっさい、いわゆる「炎上」を調べると実態はほんの数人だったりしますよね。
 ああいう人たちは「お仲間」を求める。自分ひとりで(ひとりででも)やる、ということに、あまり耐性がないらしい。

 正々堂々ひとりで主張することができないから、あたかも大勢のひとがいるかのように見せかけるし、また、これが異常なほど上手。
 そのカムフラージュを考えつく知能をほかのことに役立てられないものでしょうか? となかば感心するほど。

 じっさい、多少の苦情があったとしても、楽しんでくれたり喜んでくれたり、好きといってくれる人たちのほうを、私は重視すべきだなと思います。

 ただ問題なのは、馬鹿基地外は声が大きいのですが、そうではない人たちの、たとえば喜びの声とかはどうにも、小さい、ということ。

 まあふつーの人間に、ああいう大声で騒ぐなんて恥ずかしい真似はやりにくい。それはもっともなことですが。
「ものをいう」機会が増えた、そのメリットとして、苦情より、喜びや感謝の思いを、静かな声でいいので、こまやかに伝えるということも、常識化していくといいんだろうなと思います。

 接客側が「お客様は神様です」という「心構え」をもつのはいいことでしょうが。
「俺はお客様だから神様だ」
 なんて「神様」自称をするのは、本物の神様か、基地外かのどちらかでしかない。
 神様がそんな見苦しいわけないんですから、残る答えはひとつだけ。
 ということで、こういうのは、きちんとしたクレームとは別のものとして処理する。

 そういう区別と対処法、そろそろ確定すべき時期にきている。のではないかと。
 そう思います。
 
 
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